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「そんな安物の花、さっさと捨てろよ。見ているこっちが恥ずかしくなる」

掲載日:2026/10/01

『「そんな安物の花は捨てろ」と言われたので、王妃様への献花も取り下げました』


第1幕:衝突と生の反応


「そんな安物の花、さっさと捨てろよ。見ているこっちが恥ずかしくなる」


ユリウスが鼻で笑い、作業台の脇に置かれた手桶を革靴の先で小突いた。

金属が敷石をこする甲高い音が、十月の澄んだ朝を鋭く裂く。


私は束ねかけの麻紐をぎゅっと握りしめた。硬い繊維が手のひらに食い込み、じわりと痛みが走る。


(はあ? 何を言ってるの、この人)


喉元までせり上がった怒鳴り声を、奥歯を噛み締めて必死に押し戻した。口の中に、鉄のような苦みが広がる。


作業台の上には、夜が明けきらぬ薄青い闇のうちから、露に濡れながら摘み集めた花が並んでいた。

朝の光を浴びて淡い金平糖のように輝くミゾソバ。すっと背筋を伸ばしたシュウメイギクの清楚な白。赤みを帯びた小さな粒の穂をたわわにつけるイヌタデ――アカマンマの群れ。

足元に置いた大きな陶器の水盤には、朝のうちに水揚げを済ませたツユクサが、澄んだ水を吸い上げて凛とした青を見せていた。


どれも、旧庭園の湿り気のある隅や小川のほとりで、十月の冷たい風とともに命を灯す花ばかりだった。


「明晩の秋宵の夜会は、我が家にとっても、式典係としての俺の出世にとっても、最大の正念場なんだ。急遽、王妃様だけでなく隣国の特使まで大広間へお出ましになることになった。そんな大舞台の壁や柱に、道端の雑草を飾る気か? 王立植物園の温室から大輪の薔薇を取り寄せて、ずらりと並べろ。貧乏くさい」


「……貧乏くさい、ですか」


声がかすかに震えた。


「ひと月前、あなたは何とおっしゃいましたか。夜会の装飾担当を任されたから、予算をできる限り浮かせて自分の手柄にしたい。私の庭の花を自由に使わせてくれ――そう頼み込んできたのではありませんでしたか」


「状況が変わったんだよ!」


ユリウスは苛立ちを露わにし、作業台の木肌を平手で叩いた。乾いた音が響き、台の上の小さな花びらが散る。


「身分の高い特使や大貴族がずらりと並ぶんだぞ。金がいくらかかろうが、見栄えを派手にしなきゃ俺の面目が潰れるだろうが。予算超過の言い訳くらい、後からいくらでも作れる。こんな、靴で踏みつぶすような野草を喜ぶ貴族がどこにいる?」


言い放つなり、彼は作業台の端に寄せてあったミゾソバの束を、乱暴に肘で薙ぎ払った。


ばさっ、と鈍い音がした。

朝露をまとったみずみずしい茎が、作業場の敷石と泥の上に散らばる。


「やめて!」


考えるより先に、身体が動いていた。

膝を突き、泥にまみれかけた茎をかき集める。指先に敷石の冷たさと湿った黒土が入り込んだ。


見上げると、ユリウスは心底うんざりした目で、泥まみれの私を見下ろしていた。


「見ろよ、その手。泥だらけじゃないか。名ばかりとはいえ由緒ある宮廷庭師の家柄だからと、平民のお前をわざわざ子爵家の嫁に迎えてやるんだぞ。爪に泥を詰めた女を連れて歩く俺の身にもなれよ。庭仕事なんて下男に任せて、少しは淑女らしく振る舞えないのか」


頭の中で、何かが音を立てて冷え切っていくのがわかった。


新興貴族である彼の実家は、王宮内に独自の伝手を欲しがっていた。先代から王室への出入りを許されていた我が家の看板を利用しようと持ちかけられた婚約。

半年前、彼が初めてこの庭を訪れた日のことが脳裏をよぎる。祖父が淹れてくれた香草茶を「美味いな」と柔らかく笑って飲んでくれた。あの笑顔を信じて、朝の暗いうちから指先をかじかませ、少しでも美しい花を選ぼうとしていた自分が、たまらなく惨めで情けなかった。


都合のいいときは「ただ同然で使える便利な花」とすり寄り、見栄を張りたくなれば「泥の手をした貧乏くさい女」と蔑む。


怒りと後悔と、自分への腹立たしさで、視界が歪みそうになる。


「……わかりました」


私は膝をついたまま、拾い集めたミゾソバを胸元に抱きしめ、ゆっくりと立ち上がった。


「大広間の装飾用の花は、すべて王立植物園に注文なさってください。私の庭の花は、夜会には一本も出しません」


「はっ、最初からそう言えばいいんだ。予算オーバーの稟議書はお前が書くわけじゃないしな。少しは反省して、明日の夜会にはおとなしく座っていろ」


ユリウスは満足げに踵を返し、泥の跳ねを避けるように大股で作業小屋を出て行った。


---


第2幕:生活による回復と、自力での境界線


カツカツと遠ざかる革靴の音が消え、作業小屋に静けさが戻った。

風に乗って、遠くの生け垣からキンモクセイの甘い香りがかすかに漂ってくる。


私は息を詰め、作業台に散らばった花や葉を一本ずつ拾い集めた。


祖父が生前、毎日の終わりに砥石で研いでいた剪定鋏を握る。刃先は少し欠けているけれど、手によく馴染む道具だ。

泥のついた茎を、水の中で切り直す。


じょき、じょき、と小気味よい音が小屋に響くたび、逆立っていた感情の棘が削ぎ落とされ、乱れていた呼吸が少しずつ深さを取り戻していった。


泥で汚れた手桶を井戸水で洗い、濡れた布巾で作業台の木目を拭う。祖父に教わった日々の所作だけが、震える心をこの場所につなぎ止めてくれていた。


ふと、壁の黒ずんだ梁に掛けられた木札が目に入った。

祖父の几帳面な角ばった文字で、年中行事の覚え書きが記されている。


『十月第二週 秋宵の夜会 王妃宮へ季節の小壺』


作業台の棚の引き出しには、数年前に王妃宮の女官長から届いた礼状の束が、色あせた紫のリボンで結ばれて大切に保管されていた。


『今年もジャン殿の素焼きの小壺が、張り詰めた王妃様のお心を解きほぐしてくださいました』


上品な筆跡で記されたその一筆を、祖父は亡くなる直前まで誇らしげに眺めていたものだ。


祖父の代から、秋の夜会の夕刻には、庭の季節の花を小さな素焼きの壺に生け、王宮奥の王妃様の居室へ届けるのが習わしだった。


けれど、夜会に関わる花の搬入は、今回の装飾担当である式典係のユリウスが取りまとめている。王宮の規定では、大広間の装飾花も王妃宮への献花も、すべて式典係の窓口に事前登録し、点検印を受けなければ城門を通れない。


(あんな男の窓口に、この花を通せるわけがない)


また「安物の雑草」と罵られ、受付の床に投げ捨てられるのだろうか。

祖父が守り続けてきた花を、これ以上あの男の靴の先で汚されることだけは、絶対に耐えられなかった。


私は棚から分厚い管理帳簿を引っ張り出し、一枚の羊皮紙を取り出した。

正式な「搬入取り下げ届」の用紙だ。


インク壺にペン先を浸し、震える指をもう片方の手で押さえながら、はっきりと文字を書きつけた。


『秋宵の夜会・装飾担当ユリウス殿より受けた指示を踏まえ、旧庭園の花は王宮および王妃宮への納入基準を満たさないと判断いたしました。つきましては、本年度の旧庭園からの献花を含む一切の搬入を辞退いたします』


ペンを置き、インクが乾くのを待つ間、棚の隅に畳んで置いてあった薄手のウールの肩掛けに目を留めた。肌寒い日に羽織るよう、以前ユリウスが置いていったものだ。


かつてはそれに温もりを感じていたはずなのに、今はただの重い布にしか見えなかった。


私は書類を手に取り、作業小屋を出た。


式典係の詰所へ向かい、受付の下級書記に羊皮紙を差し出す。


「旧庭園の庭師、エレノアです。明日の夜会に関する搬入取り下げ届です。受領印をいただけますか」


「えっ、しかし、これは王妃宮への……」


「装飾担当であるユリウス殿からの指示を踏まえた届けです。受領印を、今ここで押してください」


私の迷いのない視線に押されたのか、書記は慌てて朱色の受領印を用紙の端に押し、控えを私に返した。


控えを胸のポケットに収めた瞬間、胸の奥で重く澱んでいたものが、冷たい風の中にすっと溶けていくのを感じた。


---


第3幕:反転と断罪・正当な評価


翌日、夜会当日。

夕暮れが近づくにつれ、旧庭園の空気は急速に冷え込んできた。


十月の空は驚くほど高く澄み、西の地平では茜色と深い群青が溶け合っている。その境目に、鋭い一番星がひとつ、光を灯し始めていた。


私は厚手の仕事着を着込み、手桶と小さなスコップを携えて、庭の斜面の小道を歩いていた。

遠くの本宮の大広間からは、夜会の始まりを告げる華やかな金管楽器と弦楽の調べが、かすかに風に乗って流れてくる。


今頃ユリウスは、予算を湯水のように使って取り寄せた温室の薔薇に囲まれ、貴族たちの間で得意満面に胸を張っているのだろう。


冷たい秋風が頬を打つ。

立ち止まり、深く息を吸い込んだ。


乾いた土の匂いと、刈り取られた草の青い香りが、胸の奥まで満ちていく。


斜面一面に広がるコスモスが、細い茎をしならせながら、夕暮れの風を受け流して揺れていた。白、淡い桃色、深い紅。その足元には、控えめに穂を揺らすネコジャラシと、小さな白い毬のようなシロツメクサが、春の名残のようにひっそりと寄り添っている。


見栄も虚飾もない。

ただ訪れた季節を受け入れ、土の上に力強く咲いている。


もう、あの男の隣に立つ未練など、塵芥ほども残っていなかった。


「――お前だな、ジャンじいさんの孫娘は」


背後からかけられた低く通る声に、私は息を呑んで振り返った。


黄昏の影が伸びる植え込みの脇に、二人の人影が立っていた。

一人は、仕立てのよい簡素な外套を羽織り、豊かな銀髪を後ろで無造作に束ねた初老の女性。その背後には、気配を消した屈強な近衛兵が、音もなく控えている。


女性の胸元から、外套の隙間に銀糸で精緻に縫い取られた百合の紋章が覗いていた。


王妃エリザベート様、その人だった。


「へ、平民の庭師、エレノアと申します。王妃様、なぜこのような場所に……」


慌てて手桶を置き、泥のついたズボンの膝を折ろうとすると、王妃様は片手を軽く挙げて制した。


「よい、膝を汚すな。……今宵、私の私室にあの小壺が届かなかったのでね。不審に思って式典係の控え帳を調べさせたら、お前の名で取り下げ届が出ていた。装飾担当のユリウス殿から受けた指示が理由だと知り、式典を取り仕切る式典長が青ざめて私の女官のもとへ駆け込んできたよ」


王妃様はふっと口元を緩め、それから真剣な眼差しで庭の斜面を見渡した。


「当の本人は、私が機嫌を損ねていると聞いて血相を変え、温室の大輪の薔薇を抱えて女官の制止も聞かずに私の私室へ取り次ぎを迫ってきたそうだ。『こちらの方が豪奢で、王妃様にふさわしい』とな。部屋に通すまでもなく門前払いにさせたがね」


王妃様は歩みを進め、足元に群生する小さなミゾソバの前にしゃがみ込んだ。

白くほっそりとした指先で、金平糖のような淡い花びらにそっと触れる。


「伝統ある献花の慣例を軽んじ、無断で予算を超過し、結果としてお前を取り下げにまで追い込んだ。私利私欲と保身しか頭にない者に、式典を任せるわけにはいかない。式典長を通じて、あの男には即座に装飾担当の解任と謹慎処分を言い渡した。生家の子爵家にも相応の沙汰が下るだろう」


短い言葉には、冷ややかな怒りと、王妃としての揺るぎない威厳が宿っていた。


「ジャンはな、毎年この夜会の日に、秋の風を持ってきてくれたのだ。きらびやかな宝石やドレスに囲まれ、腹の探り合いばかりが続く息苦しい宴の夜、あのみすぼらしい素焼きの壺に挿された野の花を見るのが、私にとって唯一の深呼吸だった。……宴を抜け出して庭を歩くなど、何年ぶりだろうね。エレノア、お前が届け出を出したのは、この花を守るためだったのだろう」


「王妃様……」


胸の奥が熱くなり、指先がかすかに震えた。


「はい。私の花は、あの人には安物の草にしか見えなかったのです。けれど、この庭で風に耐えて咲く花を、これ以上あの人の手柄や見栄の道具にされたくありませんでした。王妃様にご迷惑をおかけするとわかっていて、意地を通しました」


「それでよい」


王妃様は立ち上がり、私の泥にまみれた右手を、その温かな両手で包み込んだ。


「花を慈しみ、誇りを曲げなかったお前の手だ。祖父と同じ、まっとうな庭師の手だよ。……あのような男に、お前を縛りつける資格はない」


「はい。婚約は、正式に破棄いたします。あの方のために花を育てることは、もう二度とありません」


私の言葉に、王妃様は心から満足そうに頷いた。


「ではエレノア、私の部屋へ花を届けておくれ。大広間の宴には少しだけ顔を出したが、退屈でたまらん。……式典係の窓口はもう通さなくてよい。明日付で旧庭園を私の直属とする勅令を出す。今宵はこの近衛に裏門を通らせよう。お前が選んだこの庭の秋を、あの小さな壺いっぱいに詰めて持ってきなさい。冷えた身体を温める、美味い林檎の蒸留酒を用意させてある」


「はい……! すぐに」


王妃様が護衛を伴って暗がりの中へ戻っていくのを、私は深々と頭を下げて見送った。


---


第4幕:清算と、新しい生活の第一歩


作業小屋に戻ると、私はまず棚の隅に置かれていたユリウスの肩掛けを引っ張り出し、外の木箱へ放り込んだ。明日、詰所の小間使いにでも持たせて子爵邸へ送り返せばいい。


子爵家から支度金など、初めから一文も受け取っていなかった。祖父から受け継いだ小さな小屋と広大な庭が、私の生活のすべてだ。


清算すべきものは、もう何一つ残っていなかった。


私は祖父が使い続けてきた素焼きの小壺を棚から下ろし、井戸から汲み上げたばかりの冷たい水をたっぷり注いだ。


すっかり夜の帳が下りた庭へ出ると、夜露に濡れた花々を見渡し、今夜の壺に合うものを選んで鋏を入れていく。


すっと伸びたシュウメイギクの凛とした姿を中心に据え、足元には金平糖のようなミゾソバと、赤く色づいたアカマンマを優しく添える。そして、庭の隅で咲く竜胆を、水面近くにそっと差し込んだ。


深い青が、夜の静けさの中でひっそりと映える。


華美なリボンも、金銀の飾り粉もない。

けれどそこには、冷たい夜の空気と土の匂い、力強く巡る季節のすべてが息づいていた。


壺を両手で抱え、王宮の裏門へと続く小道を歩き出す。

見上げれば、満天の星が夜空を埋め尽くすように瞬いていた。

ひんやりとした秋の風が頬を撫でていく。


ふと足を止め、胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。

草と土の清らかな香りが、身体の隅々まで満ちていく。


王妃宮直属となる明日からは、誰かの顔色をうかがうことなく、胸を張ってこの花々を城へ運ぶことができる。


来年も、その先も、私はこの素焼きの壺に季節を詰め、王妃様のもとへ届けるだろう。

そしていつか、この古い庭を街の人々にも開放し、名もない野の花がこんなにも美しく逞しいのだと、訪れる人たちに伝えていきたい。


抱えた素焼きの壺の確かな重みを腕に感じながら、私は前を向き、十月の夜の小道を力強く踏みしめていった。



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― 新着の感想 ―
面白かった。 一言「この庭園の草花は王妃様のお気に入りですが?」で終わっていたかも知れないお話だけど。 王妃様の部屋にただの式典係でしかない子爵令息が突撃かますって、バカですかw 王妃様も夜会のその足…
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