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無能と断じられた宮廷剣士の私、婚約破棄の断罪式で深紅の誓約剣を抜きますが? ~転生聖騎士、真紅の血脈にて全てを裏返す~

作者: uta
掲載日:2026/09/16

「無能な“抜けずの剣士”との婚約を破棄する」


大聖堂の高い天井に、王太子ジェラルドの声が朗々と反響した。


建国記念叙勲式。神々の像が見下ろす壇上で、彼はわたくしに剣の切っ先を突きつけている。碧眼には勝ち誇った光。金の髪が聖堂の光を受けて、まるで自分が英雄であるかのように輝いていた。


(あら、随分と芝居がかっておられること)


わたくし――セラフィナ・ヴィオレは、深紅の瞳を伏せたまま、心の中でだけ静かに嘆息した。


「国宝《誓約剣ヴェルミオン》を五年抜けなかった役立たずに、王妃は務まらぬ!」


どよめきが、波のように会衆を揺らす。


ヴィオレ公爵家。代々《誓約剣ヴェルミオン》の担い手を輩出してきた、由緒ある剣士の家系。その娘であるわたくしが、五年間ただの一度も剣を鞘から抜けなかった。


ゆえに社交界の名は――『抜けずの剣士』。


嘲笑には、もう慣れてしまった。


ジェラルドの傍らでは、男爵令嬢ミリアが袖で口元を隠し、勝ち誇った笑みを浮かべている。


「あら、抜けないんですの? お可哀想に」


その声が、わざとらしくよく通った。


「ご心配なく。わたくしなら、誓約剣を抜けますわ」


ミリアが進み出て、祭壇に安置された深紅の鞘に手をかける。


そして――ゆっくりと、刀身がわずかに引き出された。


銀の刃が数寸、鞘から覗く。会衆が沸いた。


「おお……!」「男爵令嬢が抜いたぞ!」「あの無能とは大違いだ!」


(……へえ)


わたくしは、その光景を静かに見つめていた。


(宮廷魔術師ザルドスの魔力の匂いが、剣にべったりですけれど。皆さん、見えていらっしゃらないのね)


罵倒が飛んでくる。無能。役立たず。家名の恥。


それでもわたくしは、背筋を伸ばしたまま動かなかった。


なぜなら、彼らは誰も知らないのだ。


わたくしが《誓約剣ヴェルミオン》を――「抜けなかった」のではないことを。


抜か・な・かった、のだということを。


「セラフィナ。何か申し開きは?」


ジェラルドが冷笑する。


(申し開きは、特にございませんわ)


わたくしは、ただ静かに首を横に振った。



前世の記憶が蘇るのは、いつも決まってこういう時だ。


わたくしはかつて、現代日本の剣道場の娘だった。竹刀を握り、床を蹴り、汗と礼節の中で「命の重さ」を教わって育った。


そして――不慮の事故で、あっけなく命を落とした。


気づけば、この剣と魔法の世界に、ヴィオレ公爵家の令嬢として生まれ変わっていた。


(だからこそ、わたくしにはわかったのですわ)


《誓約剣ヴェルミオン》。


人々はこれを「担い手を選ぶ聖剣」と呼ぶ。だが、その本性は違う。


この剣は――偽りの忠誠で抜けば、担い手の命を吸い尽くす呪剣なのだ。


「真に守るべき者への忠誠」が本物でなければ、刃は担い手の生命を代償に求める。家系の古文書の、誰も読まなくなった一節に、それは確かに記されていた。


(そして、この五年)


壇上で剣を突きつけるジェラルドを、わたくしは冷ややかに見上げる。


寵姫を侍らせ、わたくしを嘲り、家系の力ばかりを当てにしてきた男。


(この方に忠誠を捧げて、命を差し出す価値が? ――ございませんわ。ただの一片も)


抜けば死ぬ剣を、不誠実な男のために振るう理由など、どこにもなかった。


だから、抜かなかった。


無能だからではない。


抜く価値のある相手が、そこにいなかっただけ。


「ふん、口も利けぬか。無能とは哀れなものだ」


(申し開きも何も。あなた方には、真実を理解する頭がございませんもの)


その時だった。


大聖堂の扉が、轟音とともに開け放たれた。



「魔族です! 魔族の軍勢が――結界を突破しました!」


国境からの急使が、血まみれの姿で床に転がり込んだ。


「王都まで、半日の距離に迫っております……! 宮廷剣士だけでは、とても……!」


聖堂が、凍りついた。


さきほどまでの歓呼と嘲笑は、悲鳴と混乱に塗り替えられていく。宮廷剣士たちは顔を見合わせ、震え上がった。


「ミリア! お前が誓約剣を抜けるのだろう!? 早く、国を守れ!」


ジェラルドが叫ぶ。


ミリアが慌てて祭壇に飛びつき、深紅の鞘を握った。


引く。引く。だが――


刃は、びくともしなかった。


さきほどわずかに覗いていた銀の刀身は、まるで岩に鋳込まれたように、鞘の奥で沈黙している。


「な……なぜ……! さっきは、あんなに簡単に……! 動きなさいよ、この……!」


ミリアの顔から、みるみる血の気が引いていく。


(それはそうでしょうね。ザルドスの細工が、緊張で解けてしまったのですわ)


わたくしは、腕を組んで静かに見ていた。


ジェラルドの碧眼が、泳ぐ。そして――ゆっくりと、わたくしの方を向いた。


「セラフィナ……」


先刻まで「無能」と断じた声とは、まるで別人のように震えていた。


「セラフィナ、お前なら……お前の家系なら、剣を抜けるはずだ! 頼む、国を守れ!」


(……まあ)


わたくしは、思わず片眉を上げた。


(つい今しがた、わたくしとの婚約を破棄すると高らかに宣言なさった方が。ずいぶんと、都合のよろしいこと)


膝をつかんばかりに縋るジェラルドを、わたくしは深紅の瞳で見下ろした。


そして、静かに――五年ぶりに、口を開いた。



「わたくしを無能と断じたのは、あなた方ですわ」


わたくしの声は、大聖堂の隅々まで、静かに、しかしはっきりと通った。


ジェラルドが、びくりと肩を震わせる。


「五年間、剣が抜けぬ役立たずだと。家名の恥だと。……ええ、さんざん仰いましたわね」


わたくしは、ゆっくりと壇上へ歩み出た。


銀灰の髪が、ステンドグラスの光を受けて揺れる。会衆は、息を呑んでわたくしを見つめていた。


「ですが――剣を抜く理由は、あなたのためではございません」


「な……! ならば、誰のためだと言うのだ!」


「わたくしが守りたいのは、王家でも、あなたでもない」


祭壇の前で、わたくしは足を止めた。


深紅の鞘。その中で、五年間わたくしの決断を待ち続けてきた剣。


(この五年、陰でわたくしを支えてくれた民)


(人知れず助けてきた、名も知らぬ人々)


(そして――亡きお母様が、その命を賭して愛したこの国)


それらを思い浮かべ、わたくしは静かに右手を伸ばした。


「陰でわたくしを支えてくれた民。そして――亡き母が、その命を賭して愛したこの国ですわ」


指が、鞘の柄にかかる。


「あなたへの忠誠ではなく。わたくし自身の誓いに従って――抜かせていただきますわ」


その瞬間。


《誓約剣ヴェルミオン》が、応えた。


鞘の奥から、脈打つような紅い光が溢れ出す。刀身が――まるで生きた血のように、深紅に染まっていく。


「ば……馬鹿な!」ザルドスが、初めて声を荒げた。「命を吸うはずの呪剣が、なぜ真紅に応える……!?」


(あら、宮廷魔術師様ともあろうお方が、ご存じない?)


わたくしは、真紅に燃える刃を、天へと掲げた。


(この剣は、担い手の命ではなく――「守る意志」の純度に応えるのです。五年間抜かなかったからこそ、わたくしの意志は、極限まで研ぎ澄まされた)


「――いざ、参ります」



大聖堂の外へ、わたくしは深紅の剣を携えて駆け出した。


王都の空は、すでに魔族の瘴気に黒く濁っている。城壁の向こうから、無数の異形が押し寄せてくるのが見えた。


宮廷剣士たちは、腰を抜かして動けずにいる。


(さて。前世の剣道場で叩き込まれた理合いが、こんな形で役立つとは)


わたくしは、深く息を吸った。


竹刀ではなく、真紅の聖剣。だが――間合いを読み、呼吸を合わせ、一撃に全てを込める心得は、何一つ変わらない。


床を蹴る。


深紅の剣閃が、たった一度、大きく弧を描いた。


それだけで、魔族の先鋒がまとめて薙ぎ払われる。血のような光が空を裂き、瘴気を焼き払っていく。


「な……なんだ、あの剣は!」


「ヴィオレ公爵家の……あの、抜けずの剣士が……!?」


わたくしは剣を返し、切っ先を大地に突き立てた。


真紅の光が、放射状に広がっていく。崩れかけていた王都の結界が――みるみる再構築され、以前よりもなお強固な光の壁となって、魔族の軍勢を弾き返した。


静寂。


そして。


「うおおおおおおっ!!」


城壁の上から、群衆の歓呼が爆発した。


「聖騎士様だ!」「セラフィナ様が、王都を救ってくださった!」「抜けずの剣士だと嘲っていた我らを、お許しください……!」


さきほどまでわたくしを罵っていた同じ口が、今は讃美を叫んでいる。


人垣の中で、一人の侍女が涙を流しながら、誰よりも大きな声を上げていた。


「わたくしのお嬢様が、無能なはずがありませんわ……! ずっと、ずっと見てまいりましたもの――!」


リゼット。


五年間、ただ一人わたくしを信じ続けてくれた娘。


(ありがとう、リゼット。あなたのその声だけは、この五年、決して嘘ではなかった)


わたくしは、深紅の剣を静かに掲げ直した。


さあ――ここからが、本当の断罪の時間ですわ。



魔族を退けたわたくしは、深紅の剣を携えて、再び大聖堂の壇上に戻った。


ジェラルドも、ミリアも、そしてザルドスも――そこから逃げ出すことは、もはや許されなかった。


「さて」


わたくしは、真紅の刃を祭壇にそっと横たえた。


刀身が放つ紅い光が、聖堂を満たしていく。それは――《誓約剣ヴェルミオン》に宿る、真贋を暴く聖なる光。


「この剣は、真実を映します。偽りの魔力残滓を、決して見逃しませんの」


光が、ミリアの手を照らした。


浮かび上がったのは――彼女の指先に絡みついた、禍々しい魔術の痕跡。


「これは……儀式で剣を『抜いた』ように見せかけた、細工の残滓ですわね。ミリア様」


「ち、違います! わたくしは……わたくしはただ、殿下に望まれて……!」


「あら。可哀想に、とは仰らないの?」


わたくしは静かに微笑んだ。


「……そして、ザルドス様」


光は、宮廷魔術師ザルドスへと伸びていく。


彼の柔和な笑みが、初めて凍りついた。


「あなたが、わたくしの家系記録を改竄なさった魔力の匂い。『抜けない=無能』という噂を国中に流した、その術式の残り香。――全て、この光が語っておりますわ」


「馬鹿な……記録は、完璧に消したはず……!」


「ええ。偽りの記録は、完璧でしたわ」


わたくしは静かに続けた。


「ですが、あなたご自身がいつも仰っていたでしょう? ――『記録がすべてを語る』と。真贋判定の光という記録の前では、あなたの細工こそが、雄弁に罪を語っておりますのよ」


「そんな……わたしの術式が、この剣に暴かれるなど……」


ザルドスが、膝から崩れ落ちた。


「ジェラルド王太子殿下」


わたくしは、最後に彼を見た。


「建国の聖遺物たる《誓約剣ヴェルミオン》を私物化し、その真贋判定の光をもって、偽装叙勲への共謀が明らかとなりました。――これは、国を守る神々への冒涜。れっきとした、大罪ですわ」


「わ、私は……私はただ、皆に望まれて……そうだ、私は悪くない……!」


「衛兵」


わたくしは、剣を振るわなかった。声を荒げもしなかった。


ただ、静かに手続きを進めただけ。


「この三名を、建国の聖遺物を汚した大罪人として、拘束なさい」


鎧の音が響き、衛兵たちが三人を取り囲む。


ジェラルドが、床に這いつくばりながら、初めてわたくしを見上げた。その目に浮かんでいたのは――失ってから、ようやく気づいた男の、遅すぎる後悔。


(暴力ではなく、証拠と手続きで。それが、命の重さを知る者の、けじめですわ)



喧騒が静まった大聖堂に、重い足音が響いた。


漆黒の甲冑。額から覗く竜角。金色の縦長の瞳。


――辺境を守り続ける竜人の騎士団長、アルヴィス・ドラクレア。


無口で冷酷と噂され、社交界の華やぎとは無縁の男。誰もがその異形の威圧感に、思わず道を空けた。


彼はまっすぐに、わたくしの前まで歩いてきた。


そして。


全会衆の見守る中、その巨躯を静かに折り、片膝をついた。


「アルヴィス団長……? なぜ、あなたが膝を……」


驚くわたくしの前で、鬼神と恐れられた男は、深く頭を垂れた。


「あなたが剣を抜かなかった五年を、俺は知っている」


低く、静かな声。


「宮廷魔術師の細工の魔力残滓を、俺は五年前から感じ取っていた。だが、証拠を掴むには時が要った。……あなたが『抜けない』のではなく、『抜かない』のだと。命を吸う剣を、不誠実な男に振るう愚を選ばぬのだと――俺だけは、知っていた」


わたくしは、息を呑んだ。


(この方が……ずっと、わたくしの真意を? ……鎧の下で、手が震えておられる)


膝をつく彼の手が、鎧の下で、微かに震えているのが見えた。


戦場では鬼神のごとき強さを誇るこの男が。わたくしの前でだけ、不器用に言葉を詰まらせ――竜角の下の耳を、うっすらと赤く染めていた。


「あなたの高潔さを、俺はずっと敬っていた。……敬うなどという、生易しい言葉では足りぬかもしれんが」


金色の瞳が、まっすぐにわたくしを射抜く。


「――ようやく、誓いを捧げる相手に会えた」


聖堂が、静まりかえった。


(まあ……この無骨な竜人様が、こんなに一途な言葉を。竜角の下の耳が、真っ赤ですわ)


わたくしは、深紅の瞳を細めて、静かに微笑んだ。


「団長。あなたが五年間、独りで真実を見ていてくださったこと――このセラフィナ・ヴィオレ、生涯忘れませんわ」


そっと、彼の甲冑の肩に手を置く。


「顔を、お上げくださいませ。膝をつくべきなのは、むしろわたくしの方かもしれませんもの」



崩壊した王家は、もはや権威の残骸に過ぎなかった。


ジェラルドは廃嫡され、ミリアとザルドスは大罪人として塔に幽閉された。国宝を汚した罪は、決して軽くはない。


わたくしは、王家との婚約を正式に破棄した。


(もっとも――向こうから破棄なさったのが、そもそもの始まりでしたけれど)


そして、真にわたくしを認めた辺境の地――アルヴィスの守るドラクレアの領へと、新たな道を歩むことを決めた。


《誓約剣ヴェルミオン》の担い手として。誰かの駒としてではなく、己の誓いに従う聖騎士として。


旅立ちの朝。


リゼットが荷を運びながら、涙ぐんで笑った。


「お嬢様。ようやく、お嬢様の真価を、皆が知る日が参りましたわね……!」


「ええ。あなたのおかげよ、リゼット」


そこへ――一羽の伝令鳥が舞い降りた。


「お嬢様……! あの、伝令鳥が。王家の紋章が押された、命令書のようですわ」


足に括られていたのは、王家の紋章が押された一通の命令書。


開いてみれば、傲慢な文字が並んでいた。


『国宝《誓約剣ヴェルミオン》を、直ちに王家へ返上せよ』


崩れかけた王家が、なお最後の意地とばかりに寄越した命令。


「……ふっ。崩れかけた王家が、なお最後の意地とばかりに、ですのね」


傍らのアルヴィスが、静かにわたくしを見つめている。


「……どうする」


わたくしは、深紅に染まった誓約剣を腰に佩き直し、命令書へ向けて、ただ一言だけ告げた。


「この剣が選んだのは、わたくしですわ」


朝の光が、真紅の刀身を静かに照らす。


「命令なさる資格は――もう、あなた方にはございません」


わたくしは、命令書を風に手放した。


白い紙片が、辺境へ続く空へと舞い上がり、遠く消えていく。


深紅に染まった誓いの剣は、二度と偽りの手には戻らない。


この剣が守ると誓ったのは、王家ではなく――この国と、民と、そして。


(さて。辺境での新しい生活は、どんな景色を見せてくれるのかしら)


「……辺境は、華やぎこそないが。あなたの誓いを、真に敬う者たちがいる。……来て、くれるか」


竜角の騎士が、不器用に手を差し出す。その耳が、また少し赤い。


(また耳が赤い。ほんとうに、不器用なお方)


わたくしは微笑んで、その手を取った。


「ええ、喜んで。真紅の誓いを胸に――ようやく、一歩を踏み出せそうですわ」


報われなかった五年の果てへ。わたくしは、辺境へ続く朝の光の中へ、静かに歩き出した。

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