第一章 その名は《魔皇》④
その時。
「………ん」
おもむろに、彼女は目を覚ました。
雪のような白い髪。艶めかしい肢体に浴衣を着崩して羽織る少女だ。
名前を鳳由良と言った。
ベッドの上で上半身を起こし、両手を上にゆっくりと伸びをする。無防備にも見える豊かな双丘が大きく揺れた。
(~~~ん)
どうにも時差ボケが抜けない。海外は自分にとっては鬼門のようだ。
(まあ、もうそんなに行くこともなかろうが)
この拠点にしているおんぼろマンションの売りに出さなかったのは正解だった。
自室で目を覚ました由良は真っ先にスマホを手に取った。これは鬼狩り専用の機種だ。霊力を流すことでアカウントが使えるようになり、裏世界の情報が検索できるようになる。
そうして由良が情報を探り始めていると、
「……むむ」
その情報に眉をひそめた。
最近、姿が確認されるようになった全身を獣殻で武装した鬼狩りについてだ。
いささか出鱈目な噂もあるが、誰のことなのかは一目瞭然だった。
「……まったく。あやつはもう」
由良は嘆息した。広大な土地を持つ国にいたせいか、帰国後はどうにも偽装が雑になっているようだ。少し忠告しなければならないかもしれない。
さらに検索する。と、
「……ほう」
由良は双眸を細めた。気になる情報を目にした。
もう少し深く調べてみると、さらに面白いことを知った。
「これは朗報か?」
そう呟いた時、ガチャリと玄関のドアが開かれる音が聞こえた。
由良はネコのように反応すると、ベッドから飛び降りた。
すぐさま自室を出る。と、そこには想像通りの人物が帰宅していた。
「ただいま。由良」手にビニール袋を持つ彼は、笑ってそう告げた。
「うむ。おかえりなのじゃ。悠樹」
由良も微笑んで出迎えるのであった。
◆
五分後。リビングにて。
「そうか。相手は第四階位じゃったか。そなたが手こずる敵でもないが」
ポリポリとお土産のポッキーを口に咥えながら、由良は呟く。
「並みの者ではかなり厳しい相手じゃな。半年ぶりの帰国じゃが、相も変わらずこの国の妖鬼どもの格は高いの」
そんな感想を口にした。
一方、床の上で胡坐をかく少年は少し気まずそうに視線を泳がしていた。
四遠悠樹。それが彼の名前だった。
彼こそが妖鬼アサンを葬った鬼狩りの少年である。
身長は百七十二センチ。歳は来年で十六歳。線の細い顔立ちにクセのない黒髪。美少年という恥ずかしい呼称まではつかないが、充分整った容姿をしている少年だ。
他人からはよく着やせしてみられる鍛え抜かれた身体には、白いパーカーと黒いジーンズを着込んでいた。その動きやすさから、彼が最も好む服装だった。
ただ、いま悠樹は少し悩んでいた。
(……参ったな)
どうにもソファーに座る由良を直視できない。
由良は、本当に綺麗な女性だった。
まず目を惹くのは、ふわりとした白い髪。そして紫水晶のように輝く瞳。
美麗な顔立ちに加え、肌も実にきめ細かく、雪を思わせるほどに白い。彼女はれっきとした日本人らしいが、この容姿は稀に起きる先祖からの隔世遺伝らしい。
そしてスタイルもまた抜群だった。百四十五センチとかなり小柄ではあるが、実に見事なプロポーションをしていた。
(……多分こういうのを、トランジスタグラマーっていうんだろうな)
悠樹は、そんなことを考える。
今の姿もそうなのだが、彼女は最近、家ではよく浴衣を着崩して愛用していた。彼にしてみると、この魅惑的な姿はどうにも目の毒になる。
悠樹にとって由良はとても大切な人だった。
二年前、途方に暮れていた自分を拾ってくれた命の恩人であり、恐らく世界でただ一人だけの自分と同じ境遇の人間だった。
さらに言えば、鬼狩りとしての師でもあるのだ。
断じて邪まな目で見てよい女性ではなかった。
ましてや、自分は必ず彼女を守ると誓っているのだから。
とは言え、だ。
(……ああ~、マズい、ダメだ)
あの白いうなじや豊満な胸元、艶めかしい太股ときたら本当に魔性だ。
どうしても少しだけ目が行ってしまう。
(そもそも元は名家のお嬢さまだからか、由良って結構無防備なんだよな)
悠樹は肩を落として、小さく溜息をついた。
「なんじゃ? どうした悠樹? 何故いきなり溜息をつく?」
キョトンと小首を傾げる由良に、悠樹は再度、溜息をついてから、
「……いや、何でもないよ。けど、今日の相手は放置してもいい相手じゃなかった。異能も考慮すると、第五階位に近かったかもしれない」
妖鬼には格がある。
始祖の鬼の直系たち――最強の四体、《四凶》が自ら定めた位だ。
名乗り始めたのは明治の頃か。宝石のモース硬度から引用したらしいその位は、最下級の第一階位から始まり、いずれは最上級の第十階位へと至ると言われていた。
特に第五階位以上になると厄介な異能持ちも数多くいる。アサンはそれよりも低階位でありながら異能も使えたので、実のところ、かなり危険な相手であった。
「アメリカにも怪異はいたけど、やっぱりこの国の妖鬼はレベルが違う感じだ」
悠樹がそんな感想を零す。と、
「……そうじゃな。ふむ。だからこそか」
由良はポツリとそう呟いた。それから悠樹を見やり、
「……悠樹。実は良いニュースがある」
「え? 良いニュース……?」
「うむ。そうじゃ。ちょっと取って来るから、そこで待っとれ」
と、眉根を寄せる悠樹を残し、由良は自室に向かった。
そうして三分後。彼女はノートPCを持ってリビングに戻ってきた。
「これじゃ」由良はリビングにある背の低いテーブルの上にノートPCを置いた。すでに起動しているそのノートPCには、とあるホームページが表示されている。
その画面を、由良の肩越しに悠樹は覗き込み、
「……私立新城学園?」
眉をひそめつつ、そこに記載してある文章を読み上げた。
「来年開校される全寮制の高校? 現在願書受付け中って……何これ?」
「ふむ。これは最近噂になっとる政府肝いりの鬼狩りの育成校なのじゃ」
由良の言葉に、悠樹は軽く目を瞠った。
「――え? 鬼狩りの育成校? 政府の?」
が、すぐに眉をひそめて訝しむ。悠樹の反応も当然だった。
各鬼狩り家の非協力的な秘匿体質もあるが、この国の上層部は基本的にこういった積極的な動きを避けていた。妖鬼を下手に刺激することを危惧しているからだ。討伐に関しては鬼狩り家に一任しており、現状、政府の役割は宝角の換金と妖鬼の被害隠蔽ぐらいだった。
それが、今になって、こんな大きな動きを見せるとは……。
「鬼狩りの質は年々下がっておるからな。特に近年の若手の死亡率は異常じゃ。政府もこれ以上は静観できぬと考えたのじゃろう」
由良がそう教えてくれた。しかし、それでも悠樹は疑問に思う。
「確かに今の状況は改善すべきだとは思うよ。けど、これってそもそも人が集まるの? 今までの各鬼狩り家のやり方を考えると、かなり怪しく感じるよ」
「うむ。初めて知った時は妾もそう思っていた。しかし、調べてみると、どうやら今は定員割れするほど志望者がいるらしいぞ」
「……え? どうして?」
悠樹は少し驚いた。由良は無言のまま振り向き、真剣な眼差しで悠樹を見据えた。
とても綺麗な紫水晶の瞳に見つめられ、悠樹は思わずドキリとする。
「……重要な話じゃ。確と聞け。悠樹」
神妙な声音の由良に、悠樹もまた真剣な表情で頷いた。
由良は一度瞳を閉じてから、話を続ける。
「……御門兵馬という男を知っておるか?」
「もちろん知っているよ。六大家の一つ、御門家の現当主だ。《百槍観音》の二つ名を持つ現代最強の鬼狩りの一人だよ」
悠樹の即答に、由良は「うむ」と頷いた。
「その男なのじゃが、そやつな、この学園の筆頭理事でもあっての。この計画に対し、とんでもない『餌』を用意しおったんじゃ」
「……『餌』? はは。もしかして入学すると、お得な特典がつきますとか?」
と、あえて冗談めいた口調で問う悠樹に、由良は微かな笑みを見せた。
「はっ、まさにその通りじゃな。ただし最優秀者限定の卒業特典じゃがな」
その台詞に、悠樹は表情を真剣なモノに改めた。
「……率直に訊くよ。由良。御門兵馬はいったい何を用意したの?」
由良は一瞬だけ沈黙して、
「……神槍じゃ」
「――ッ!」
完全に想定外だった回答に、悠樹の瞳が大きく見開かれる。
「御門兵馬は御門家が代々所有する神槍 《カザトキバクラ》を、三年後の最優秀者に譲渡すると言い出したのじゃ」
厳かに由良がそう告げる。悠樹は言葉を失った。
――神槍 《カザトキバクラ》。
それは、世界に七つしかない武具の一つだった。
かつて《御使い》から授かったという伝承級の武具。まさに神器である。
総称で《七天祭器》とも呼ばれる七つの神器の威力は絶大であり、伝承では無尽蔵にも等しい大地の霊力を吸収し、天変地異さえも自在に操るとも言われていた。
かの七つの神器の起源にまつわる文献には、こう記されている。
およそ千三百年前、人々は強大なる始祖の鬼を筆頭に、溢れ出すように現れる妖鬼どもに抗う術もなく蹂躙され、危機に瀕していた。
しかし、そんな時、金色の髪を持つ一人の青年が人々の前に現れた。後に鬼狩りたちから《御使い》と崇められる人物だった。
人々の惨状を憐れんだ異国の青年は、屈強な七人の戦士を選び、彼らの前で一冊の書物を開いた。すると、そこから七つの光球が飛び出して来たではないか。
七つの光は鬼狩りの始祖たる七人の手元に納まると、瞬く間に武具の形を象った。
『戦士たちよ。その七つの武具を以て運命を切り開くのです』
そう告げて、《御使い》は戦士たちが持つ七種の武具に対し一つずつ銘を与えた。
そして《御使い》は七人の戦士を自分の弟子として迎え入れ、およそ半年間に渡って基本的な戦術や術式の指導を行った後、いずこかへと一人去っていったそうだ。
お伽噺にも等しい伝承である。
だが、その伝承の真偽はどうであれ、いま重要なのは――。
「――由良ッ! それは本当なのかッ!」
由良の両肩を強く掴み、悠樹は声を荒らげる。
かなり過剰に反応ではあるが、それも当然だった。何故なら《七天祭器》をすべて入手することは悠樹たちの悲願だったからだ。
しかし、現在、《七天祭器》の大半は行方不明。
判明しているのはたった二つのみであり、しかも六大家の御門家と雅堂家がそれぞれ管理しているため、迂闊に手出しできない状況だった。
それが、まさかこんな形で入手できるかも知れない機会が訪れるとは――。
「由良ッ! 本当にその学園に入って一番強くなれば、神槍が手に入るのかッ!」
興奮のあまり、由良の肩を掴む手にさらに力が籠る。
彼女は痛みに少しだけ眉をしかめて、ぼそりと呟いた。
「……悠樹。痛い」
ハッとして、悠樹は慌てて両手を離した。
由良の浴衣の間から見える白い肌は一部赤みを帯びていた。
「ご、ごめん……由良」
悠樹は強く唇を噛んだ。激しい後悔に苛まれる。
自分は一体何をしているのか。我を忘れて由良を傷つけてしまうなんて。
が、当の由良は気にした様子もなく、優しげに微笑み、
「些細なことじゃ。気に病むな。それより悠樹。そなたどうするつもりじゃ?」
と、最も重要な事案を問う。
悠樹は後悔を一旦心の片隅に置き、気持ちを切り替えて意志を伝える。
「もちろん入学するよ。こんなチャンスはきっと二度とない」
真直ぐな眼差しで、悠樹は由良を見据えた。
頼もしい姿に少年の口元を綻ばせながら、由良は言葉を紡ぐ。
「ふふ、そう言うと思っとったわ。確かにこのチャンスを逃す手はない。帰国した甲斐があったというもの。新城学園の願書は先ほど発注しておいたぞ。二人分な」
悠樹は無言で頷く。流石は由良。そつがない。
(三年は少し長いけど、《七天祭器》が一つでも手に入れば、今の状況だって何か変わるかもしれない。そうすれば不死の『奴ら』を葬ることだって……)
期待も膨らんでくる。とにかく、今回は自分が入学して最優秀者を目指し、由良には外からサポートを……と、考えていた時だった。
「しかし、本音を言えば楽しみでもあるな。学園生活なんぞ初めてじゃ」
愛らしい笑顔で、由良がそんなことを言い出した。
悠樹の頭にふと疑問符が浮かぶ。
(……え? あれ?)
しばし考えて、ある可能性に至った悠樹は恐る恐る由良に尋ねてみた。
「あ、あのさ、由良。まさかとは思うけど、由良まで入学する気じゃないよね?」
すると、彼女は、
「ん? 入学するに決まっとるじゃろが。さっき二人分と言うたろ」
あっけらかんとそう答えてくる。悠樹の目が丸くなった。
――鳳由良。
浮世離れした美貌を持つ彼女の姿は、まるで十五、六歳の少女のように見える。
しかし、悠樹は知っている。それは彼女の実年齢ではないことを。
二年間の共同生活から、悠樹は由良の実年齢におおよその当たりをつけていた。
恐らく彼女は十九歳前後。そう。彼女は十九歳なのである。
「……由良」
悠樹は再び彼女の両肩にそっと手を置いた。
「……うん。無茶なことはよすんだ。由良」
思わず悠樹がそう言ってしまっても、誰に責めることが出来ようか。
――ただし。
「……ほほう。それは一体どういう意味かのう?」
当の本人である彼女を除けばだが。
微笑を浮かべた由良は、すっと悠樹の頬に両手を回した。続けて少年の頭を動かし、自分の豊かな双丘に近付ける。意図せずに柔らかな胸が触れて悠樹の鼓動が跳ね上がった。
「ゆ、由良……?」いきなりの状況に、内心ドキドキする悠樹だったが、
「――ッ!? ゆ、由良!? グガ、ガガガ……!?」
ミシミシミシミシミシッ――。
突如、悠樹の頭が悲鳴を上げる。容赦のない『頭骨固め』だった。
(キツッ! これヤバい! 頭蓋が粉砕される圧力だ!)
悠樹の顔色が青ざめる。これは思いっきり地雷を踏み抜いてしまったようだ。
だが、自分はこんなところで死ぬ訳にはいかなかった。亡き親友のためにもだ。
ここは何としても生き延びるため、悠樹は声を張り上げた。
「ご、ごめん! ごめんって! 由良!」
「……何を謝るのかの? そなたは」
頑強にロックしたまま、由良は笑みを見せる。
豊かな双丘の弾力と、両腕の凶悪な圧力。天国と地獄の『頭骨固め』である。
このままだと、そのどちらかに逝ってしそうな感じだったが、
「明日、僕が肉じゃがを作るから! それで許して!」
「……ホントじゃな?」
悠樹の必死の懇願に、由良はようやく腕の力を緩めて解放してくれた。
頭を両手で押さえてのたうつ悠樹を見下ろして、由良は嘆息し、
「まあ、学園生活が楽しみなのは事実じゃが、今回は事態が事態じゃ。潜入するのならば二人の方がよかろう。妾の入学はもう決定事項じゃ。よいな、悠樹」
と、告げてきた。至極真っ当な提案だった。悠樹も「……う、うん」と頷いた。
続けて、由良は腰に片手を当てて、
「やれやれじゃな。しかし、それよりも悠樹よ。そなた、実は今、かなりの崖っぷちにおる自覚はあるのかの?」
「……え? 崖っぷち?」
今の凶悪な『頭骨固め』以外に、まだ何か危機があるのだろうか?
思い当たらず悠樹が眉根を寄せていると、由良が呆れたように嘆息した。
「のう、悠樹よ」
そして彼女は、今回の件における最大の懸案事項を切り出した。
「そなた、今の学力はどの程度なのじゃ?」
「……え? 学力って……」
「妾の記憶が正しければ、そなたは二年前から一度も勉強などしとらんだろ」
「……………え?」
目を瞬かせて唖然とする悠樹に、由良は容赦ない言葉を突き刺す。
「察するに、そなたの学力は中一程度で止まっとるのではないか? 不可抗力だったとはいえ最終学歴は中学中退なのじゃから」
悠樹は一瞬真っ白になったが、すぐに反論の声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってよ、由良! この学園って鬼狩りの育成校なんだよね? だったら一般的な勉強なんて関係ないんじゃ……」
「……アホウ。それでも表向きは普通の私立高校じゃ。確かに鬼狩りであることは入学の絶対条件じゃが、普通に入試はあるようだぞ」
今度こそ悠樹は真っ白になった。まさか、今さら普通に勉強しろと?
「え、えっと、じゃあさ! 由良はどうなのさ! 学校なんて行ったことないって……」
そう尋ねる悠樹に、彼女は可愛らしく小首を傾げて、
「妾か? 妾は学校こそ通わなんだが、幼少時より厳しい英才教育を受けておる。なんなら、今から東大の過去問でも解いて見せようかの?」
完全に想定外の発言だった。悠樹の顔が凄まじい勢いで青ざめる。
どうやら危機的なのは自分だけらしい。
かつてない危機に思わず絶望していると、そこに白き天使が舞い降りた。
「案ずるな、悠樹よ」由良の笑みはとても優しい。
「そなたには常に妾が付いておる」
「ゆ、由良ぁ……」
目尻に涙を溜め、悠樹は由良を見つめる。
もしや、彼女にはこの絶望的な状況を打破する秘策が――。
「幸いにもまだ入試まで二ヶ月ほどあるからな。その期間、妾が徹底的に勉強を見てやろう。というより、二ヶ月で二年分の知識をそなたに詰め込んでやるぞ」
………………。
「なに、人間死ぬ気になればどうにかなるものじゃ。二ヶ月間、基本的に外出禁止。妖鬼の討伐も妾が行う。そなたは何の憂いもなく勉学に励むがよい」
由良は、表情が固まった悠樹の両肩にポンと手を置き、
「ガンバろ。なっ」
にっこりと笑ってエールを送るのであった。
後に悠樹はこんな風に語る。
この二ヶ月間は、自分がどうやって生活していたのか憶えていない、と。




