第二章 再会①
(……どうして?)
その時、沙夜の心臓は高鳴っていた。
十分ほど前。大虎の霊に誘われて、沙夜は森の中へと入った。
木々の間隔はそれほど狭くはない。障害物的な配置にも見えたので人工的な植林なのかもしれない。恐らく、この森は新城学園の生徒たちの訓練の場でもあるのだろう。これなら多少大胆に行動しても問題ないはずだ。
沙夜は歩くのを止めて一気に速度を上げた。
タン、タンっと跳躍して進む。獣殻を纏わずとも、鬼狩りならば自前の霊力でこの程度の身体強化は可能だった。
大虎の霊は所々で姿を現した。それを目標に進む。
ややあって、沙夜はこの場所に――滝壺の見える広場に出た。
そこで一人の少年を見つけたのだ。
服装からして新城学園の生徒のようだった。
その少年の横顔を見て、
――ドクンッと。
心臓が、いきなり大きく震えたような気がした。
(………え)
沙夜は困惑した。
胸に手を添える。気のせいか普段よりも鼓動が早く聞こえた。
(……これは何?)
さらに困惑しつつも、再び少年に目をやった。
その少年は、沙夜の目から見てもかなりの実力者だった。
流れるような連撃を繰り出している。しかも一太刀ごとに成長しているようだ。
(……けっこう鋭い)
率直にそう思う。若手の弱体化を危惧して学園は創立されたそうだが、こんな少年もいるのだと少し驚いた。これは《瑠璃光姫》以外にも期待できるかもしれない。
だが、沙夜が驚いたのはその後だった。
滝壺に流木が落ちて、少年が強く大地を踏み抜いた時だ。
彼は居合のように刀を薙いだ。
直後、滝が割れ、背後の岩壁に斬撃が刻まれたのだ。
それは石神一族に伝わる斧武術の一つだった。
秘伝技・《飛断》。簡単に言えば飛ぶ斬撃だ。石神家全体で見ても十代では沙夜以外に習得した者はいない技だった。
(どうして?)
少年の横顔を改めて見据える。
知らない顔だ。恐らく会ったこともない。
けれど、その横顔に、どうしてか懐かしさを覚えた。
鼓動が微かに早鐘を打つ。
どこか喜びに似た感情を抱いていた。
(どうして?)
眉をひそめる。困惑することばかりだった。
しかし、石神家の直系として今の技は見過ごせない。
沙夜は少し躊躇いつつも拍手をした。
自分がいることを知らせる意味もあるが、素直な賞賛でもある。先ほどの《飛断》は石神家の一流の鬼狩りを比べても遜色しない練度と威力だったからだ。
すると、彼は振り返った。
ただ、誰かの名前を呼ぼうとしたところで、少年は何故か硬直してしまった。
実のところ、硬直したのは沙夜も同じだった。
彼の顔を初めて正面から見た時、一瞬だけ硬直してしまったのだ。
けれど、それは一瞬だけのことだ。
「少し驚いた」
極力、普段通りを装って淡々とした口調で沙夜は言う。
「石神流斧武術の秘伝技。《飛断》」
沙夜はゆっくりと進み、少年の前で止まった。
彼の方は未だ硬直したままだった。
「教えて。どうしてあなたが使えるの?」
そんな少年の顔を覗き込んで、
「あなたは一体誰なの?」
沙夜はそう尋ねた。すると、少年はどこか泣き出しそうな顔をして、
「~~~~~~~ッ!」
――力強く。
(………え)
彼はいきなり沙夜を抱きしめてきた。全力の抱擁だ。
流石に沙夜も驚いて目を見開いた。
本来なら少年の腕を吹き飛ばし――比喩でない――肋骨を粉砕する案件だ。
けれど、彼女を強く抱きしめて震え続ける少年を前に、沙夜は動けなかった。彼が心に何かとても辛いモノを抱えていることが伝わってきたからだ。
「…………」
沙夜は瞳を細めると、そっと優しく少年の背中に両手を置いた。
少年は、しばらく彼女を抱きしめ続けていた。
そうして、
「ご、ごめん……」
ようやく離してくれた少年が、本当に申し訳なさそうな顔でそう告げた。
沙夜は淡々とした眼差しを向けて、彼の頬に両手を添えた。
「セクハラはダメ。絶対」
「うぐっ!?」
両頬を押さえられながら少年は呻いた。
「けど、今回は何か理由があったのは分かる。許すから、それも話して」
「ご、ごめん」
少し沙夜から距離を離しつつ少年は謝罪した。
「君が昔の知り合いに似ていたんだ。だから、思わず懐かしくなって」
「……そう」
沙夜は真っ直ぐ少年を見つめた。
ありきたりな台詞だが、全くの嘘でもないように感じる。
「ほ、本当にごめん!」
一方、少年は焦ったように大きく後ろに跳んだ。そして両足に獣殻の具足を纏い、
「沙夜……石神さん! 僕はこれから用事があるんだ! ごめん!」
そう告げて、大跳躍して逃げ出した。沙夜と同じく獣殻を別の部位に装着する特技を持っていたことには驚いたが、沙夜がその気になれば追えないこともない。
けれど、沙夜は動けなかった。
「どうして、私の名前を知っているの?」
結局、あの少年には名乗ることをしなかった。お互いにだ。
しかし、少年の方は沙夜の名を呼んだ。自分のことを知っているようだ。まあ、自分が有名人だからと言ってしまえばそれまでなのだが。
「…………」
沙夜は、肘を片手で押さえて視線を伏せる。
――トクン、トクン、と。
今更ながら心臓が早鐘を打ってきた。
いきなり異性に抱きしめられたのである。少女としては当然だった。
けれど、それは心地よい鼓動だった。
まるで心の空洞がほんの少しだけ埋まったかのように。
その時、沙夜は気付いていなかった。
彼女の灰色と化してしまった《星銀の髪》。
少年に抱きしめられた瞬間、その毛先が微かに輝いていたことに。
一瞬だけだが、かつての星の輝きを取り戻していたことに。
「…………」
今はただ静かに。
彼女は自分の心音にだけ耳を傾けるのであった。




