第八章 友達になれたかもしれない君へ⑤
ガガガガガリッ、と。
地面を削り、銀色に輝く巨大な百足が深い穴から飛び出してくる。
続けて大百足は空中で回転。ボコボコと全身をまるで沸騰でもさせているかのように膨れ上がらせると、数瞬でザガの姿へと変わった。
『だああッ! くそッ! あの野郎! ふざけた真似しやがって!』
そうして怪物はズズンと地面に着地し、忌々しげに悪態をつく。
『何が「高さ」だ! 賢しい台詞を吐きやがって!』
眉間に深いしわを刻み、ザガは舌打ちする。
何という馬鹿馬鹿しい発想なのか。どこまでも鬱陶しい糞ガキだった。
だが、所詮は浅知恵に過ぎない。直撃の瞬間は少々肝を冷やしたが、ザガの鋼の肉体を粉砕するほどではない。ダメージの方もそこまで大きくなかった。
『くそが! どこ行きやがった! 四遠ッ!』
とは言え、苛立ちと、わずかではあるが死の恐怖を覚えたのは事実だ。
ザガは忌まわしい黒竜の姿を探して周囲を見渡す。
が、どこにも姿が見当たらない。
あの巨体で隠れ切れるとは思えなかった。再び竜人の姿にでも戻ったのか。
『あの野郎、小細工までしやがるか。だが、俺には鼻が――』
その時、ふと気付いた。何かがおかしい。
何故か自分の影が凄まじい速度で広がっている……?
(ッ! こりゃあ、さてはまた鳳の《黄金魄》かッ!)
恐らく今、上空ではあの白い矢が複数顕現を行っているのだろう。
煩わしい事この上ないが、無視も出来ない。ザガは再び空を仰いだ。
そして、絶句する。
空には龍どころか、白い壁が存在していた。
先程とは全く規模が違う。それは天が落ちて来るかのような光景だった。
『く、くそうッ! 冗談じゃねえぞあのアマァ!』
ザガはすぐさま肉体を硬直させ、さらに両腕を十字に組んだ。
今から回避など不可能だ。ここは耐えるしかない。ザガは覚悟を決めた。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ―――ッ!!
そして襲い来る死の大瀑布! 圧倒的な物量はザガの肉体を容赦なく打ちつける。銀色の怪物は片膝を付き、ひたすら歯を食いしばった。
そうして耐え忍ぶこと二十秒。
ようやく静寂が訪れ、ザガはゆっくりと立ち上がった。
身体に無数の矢を突き刺したまま、ザガは周囲を見渡して喉を鳴らした。
『……オイオイ、何だこりゃあ……』
そこはいつしか雪原に変わっていた。純白の矢に大地が埋め尽くされているのだ。
齢三百歳を超すザガでさえ、この規模の《黄金魄》は初めて見る。
(あのアマァ。あいつも大概デタラメじゃねえか)
流石に警戒心を上げた、その時、ザガの鼻が人間の匂いを捉えた。
竜人ではない。これは、あの少年より遥かに芳しくて旨そうな少女の匂いだ。
ザガは勢いよく身体を反転させた。
『クカカッ! 見つけたぜェ、鳳ちゃんよ! クカッ、クカカカッ――!!』
そこには翼のような弓に白銀の矢をつがえ、放とうとしている由良の姿があった。
察するに不意打ちでもするつもりだったのだろう。
ザガは爆ぜるように地を蹴った。見つけてしまえば、もうこちらのものだ。
最短距離で走り抜け、あの女の首をへし折ってくれる!
(逃がしはしねえ! てめえは殺せる内に殺す!)
ザガはさらに加速した、その時だった。
――ヒュン!
涼やかな音が森に響く。由良が白銀の矢を放ったのである。
矢は銀の光状を描いてザガの額へと突き進む。が、ザガに防御する気はなかった。一本程度当たったところで痛くもない。むしろわざと食らい、由良の動揺を誘うつもりだった。
そうして白銀の矢は、ザガの眉間に直撃し――その身体を大きく弾き飛ばした。
『ッ!? ガァァアアアァァ―――ッ!?』
カウンター気味にとてつもない衝撃を受け、ザガは混乱していた。
衝撃の重さに混乱していたのではない。直前に見た光景に混乱していたのだ。
それは眉間に迫る白銀の矢が瞬く間に十字槍に変わる光景だった。この衝撃は矢ではなく、矢の如く撃ち出された十字槍によるものであった。
(あのくそアマァ! 御門の十字槍を矢に偽装して撃ちやがったなッ!)
何度も身体をバウンドさせながら、ザガは状況を理解する。
そして白矢の雪原に身体を擦りつけ、ようやく勢いは止まった。苛立ちつつ眉間に触れてみると、わずかばかり血が滲んでいた。
『~~~~ッッ!』
あまりの怒りに声さえ出せず、ザガは右腕を地面に叩きつけた。
次いで、憎き小娘どもを八つ裂きにすべく立ち上がろうとし、凍りついた。
『……おい。ちょっと待てって……』
大の字に横たわるザガ。今、怪物の紅玉の魔眼に映るのは蒼い空ではない。
二十本に至る白銀の槍。その槍衾の穂先すべてが自分に向けられたまま、宙空に制止している光景だった。何とも既視感のある景観だ。
すると、どこからか凛とした声が響いてくる。
「……あなたは修司さんの『友達』なのでしょう? ならば彼の味わった痛みを、あなたも少しは味わいなさい」
『――はンッ! やなこった!』
ザガは槍衾を無視して強引に立ち上がろうとしたが、今度も一歩遅かった。
「――《百華鏖殺》!」
翔子が、自身の《黄金魄》の名を叫ぶ!
その直後、槍衾が一斉に動き出す。顕現数では由良に劣ろうとも、威力においては遥かに勝る槍撃が、ザガを押し潰さんとばかりに放たれた!
今回は身構えることも出来ず、ザガは無防備な状態で槍の連撃を受けることになった。全身に激痛が走る。流石にこれでは鋼の肉体も気休め程度にしかならない。
(このッ、小娘がああァァアァッ!)
しかも、翔子の《黄金魄》は百連撃では留まらなかった。
息の続く限り技を繰り出すつもりなのだろう。結局、たっぷり二十秒もかけてザガは連撃を食らい続ける事になった。
その上――。
ザガは大きく目を見開いた。
二十本の槍の背後に、またしても千にも至りそうな矢軍。しかも数メートルの範囲に限定して収束された光景を目の当たりにしたのだ。
『グガアアアアアアアアァアアアァアアアアァアアアァアアアアァアアアァアアアアァアアアアアァアアアァアアアアアアアアアァァアアア――ッ!!』
ザガは声の限り叫んだ。そして今度は、まともに矢軍の侵攻を受ける。
凄まじいまでの轟音と共に、濛々と土煙が舞った。
はあ、はあ、はあ、はあ――……。
全力を尽くした少女たちの荒い呼吸音が聞こえてくる。その近くでは数え切れないほどの矢が突き刺さり、剣山のような姿に変わったザガが仰向けに横たわっていた。
すると、
『クカカッ、クカカカカッ』
不意に、矢だらけの怪物が胸板を動かして笑い出す。
『こりゃあひでえな。この俺さまが、この第八階位のザガさまが』
あまりにも。これはあまりにも無様すぎる姿だった。
ザガの牙が、ボキンッと一つ弾け飛ぶ。
溢れ出る苛立ちを、とても抑えることが出来なかった。
『くそがああァあァあああァッ!! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんじゃねえ――ッ!!』
そんな発狂じみた声を上げ、銀色の怪物は跳ね上がるように立ち上がった。
巨大な筋肉がさらに膨れ上がり、全身を身震いさせる。突き刺さっていた無数の矢は弾かれるように四方に吹き飛んだ。全身の血も止まり、深い傷がみるみる修復していく。
ザガはより紅く輝きだした無数の魔眼で、由良と翔子を睨みつけた。
『この小娘どもが! 景気よく刺しまくりやがって! 大人しく待っていられねぇんなら二度と邪魔できねえように先に手足をへし折ってやらあ!』
そう叫ぶなり、ザガの口が大きく裂ける。長い舌が卑しく動いた。
『もう楽に死ねると思うんじゃねえぞ、四遠の野郎をぶっ殺した後に二人ともたっぷり犯し尽くしてから喰ってやるよ。クカカッ、生まれたことを後悔させてやるぜぇ』
それを今から想像してわずかばかり溜飲が下がったのか、ザガはくつくつと笑う。
当然ながら、由良と翔子は不快そうに顔をしかめた。
しかし、そんな少女達の反応も、ザガの調子を上げるだけだった。
『さあ、無駄な抵抗はすんなよ。今から綺麗に手足を折ってやるからよ』
と、意気揚々に銀色の怪物は告げた。そしてズシン、ズシンと歩き始める。その足取りに一切の疲労やダメージはない。が、
「……改めて思うけど、お前って本当にムカつく奴だよな」
『――あン?』
背後から聞こえてきたその声に、ザガは一旦足を止めて舌打ちする。
……ああ、一番ウザい奴が出て来た。折角これから小娘どもの悲鳴を楽しもうとしている時にしゃしゃり出てくるとは、まるで羽虫のように煩わしい野郎だ。
ザガは苛立った表情で振り返り――。
………………………………。
……………………。
(………なん、だと……)
その光景を前にして、背筋を凍りつかせた。
「ここまでムカついた敵は久しぶりだよ」
そう告げる悠樹は一人、無防備なぐらい悠然と佇んでいた。
黒竜でも竜人の姿でもない。どうしてか全身の獣殻は、ほどかれている。
だが、そんな事はザガにとって、もはや些細なことだった。
ザガの無数の魔眼は、ある一点のみに集中していた。
「由良は勿論だけど、御門さんも僕にとって大切な人なんだ。そんな彼女たちに、お前は今何を言ったんだ? 鷹宮君を殺したその口で何をほざいたんだよ」
そんな怒気を宿した悠樹の呟きも、ザガには聞こえていなかった。
ただ、一匹の獣として。
幾度となく危機を潜り抜けた本能が、ザガの全身を硬直させていた。
(う、そだろう……何なんだよ……ありゃあ……)
ザガの視線を釘付けにするのは、悠樹が右手に携える一振りの片手剣だった。
刃渡りは一メートルほど。指に沿った形の柄と、刀身が一つと成った無骨な刃。先端にいくほど剣幅が広くなり、切っ先に至っては斧のようになっている異形の剣だ。
角や縁取りには金色のラインが入っており、それが唯一の装飾だった。そして時折、竜が喉を鳴らすかのような音と共に、黒い刀身から黄金の雷が迸っていた。
そんな異様な斧剣を目の当たりにして、ザガはごくりと喉を鳴らした。
――あの剣は一体何なんだ? 獣殻の武具? それは分かる。
だが、このおぞましいまでの威圧感は何なのか……。
(ダ、ダメだ……あれはダメだ……)
額から溢れ出る球のような汗が、ポツポツと地面に滲み込んだ。
身体の芯から、凶悪無比な畏れが噴き出してくる。
わざわざ確かめるまでもない。
あの斧剣は狂気の産物だ。迂闊に近付くことさえ危うい。
恐らく、触れただけで死に至る武具だ。
三百年に渡る戦闘経験が最大級の警鐘を鳴らしていた。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ……今すぐ逃げなければ、確実に殺される!
『うおおッ、うおおおおおおおおおおおおおお―――ッ!』
ザガは絶叫を上げた。同時に腹部の鮫口から無数の百足が飛び出した。
百足の群れは黒い壁となって悠樹の眼前を覆ったが、それは一瞬だけだった。
すうっと斧剣を前方にかざした直後、竜の咆哮が雄々しく轟く。黒い刃から解き放たれた金色の雷渦は百足の壁を容易く一掃した!
が、そのわずかな隙に、ザガは形振り構わず逃走を図った。木々を盾にして森の中へと身を隠しつつ獣のように駆け抜ける――。
しかし、少年に逃がす気など毛頭なかった。
「《黄金魄》招来……――《封界三絶》」
悠樹は終止符を打つ《黄金魄》の名を呟いた。
すると彼を中心にして一キロ四方の位置に、数百メートルの実体なき不可視の支柱が瞬時にそびえ立った。続けて四本の支柱は共鳴し合い、世界を四角状に封鎖して結界を築く。
その結界内にはザガの姿もある。悠樹は斧剣の切っ先をすばやく地面へと下ろした。そして右腕に力を込めて強く踏み込み、必殺の《一ノ斬撃》を振り上げる!
途端、遠く離れていたザガの右腕が斬り落とされた。
『――がッ!! ば、馬鹿な!?』
ザガの顔が恐怖で歪む。なにせ、自分と敵の間には多くの木々があったというのに、衝撃波はおろか、音さえもなく障害物ごと自分の腕が切断されたのだ。
(な、何があった!? この距離で俺の腕を斬り落としたのか!?)
これが悠樹の《封界三絶》。結界内で刃を振るった時、斬線上にいるモノは距離も障害物も異能さえも関係なく、すべて等しく切断する凶悪な能力だ。
それは、まるで絵画でも切り裂くように『斬撃』を世界に刻む攻撃だった。
ザガの顔から血の気が引く。敵の力の正体は分からないが、一つだけ理解する。
たとえこの距離であっても――。
『くッ、くそおおおおおッ!』
ザガは砲弾のように飛び立った。勢いよく炎を噴き出し、少しでも遠くへと力の限り飛翔するが、それはむしろ狙い易くなっただけの完全な悪手だった。
悠樹は無表情のまま、左手を柄に添えて斧剣を今度は脇に構えた。
そして――。
『――ぐおッ!?』
ザガの両脚に激痛が走る! どうにか苦痛を堪えて自分の下半身を一瞥し、ザガは大きく目を見張る。そこには切断された両脚が地面へと落ちていく光景があった。
これで《二ノ斬撃》だ。
『ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいイイィ――ッ!』
あまりの恐怖からザガは振り返る。もう限界だった。
この敵に対し、無防備な背中を見せ続けることなど出来なかったのだ。
だが、振り返ったザガは、そこで激しく後悔する。
見てしまったのだ。
遥か遠い地表にて、悠然と、斧剣を上段に構える少年の姿を。
(や、やめろ、やめろォ! ふざけんな!)
声なき怒号を叫ぶが、少年の剣は止まらない。黒い刃が弧の軌跡を描いた。
(俺は第八階位なんだぞ! いずれは第十階位に至り、《四凶》さえも超えるはずの妖鬼の王だ! それが、それがなんで人間なんぞに――)
そして最後の《三ノ斬撃》。
時間差もなく襲来した一撃に、ザガはただ呆然と目を見開く。
咄嗟に動くことさえも出来なかった。
かろうじて感じ取れたのは、自分の正中線に沿って何かが通り抜ける感覚だけだ。
『が、あ……』
そうして、怪物の思考は文字通り断ち切られる。
暗転する視界。残った意識は、黒く塗り潰されるように混濁していき――……。
第八階位の妖鬼ザガは、断末魔を上げることもなく、土塊となって散っていった。
◆
時刻は、すでに夕刻を終えようとしていた。
日はほとんど沈み、鳥達は羽ばたくことをやめ、星々は瞬き始める。夜の色に変わりつつあるそんな空を、翔子は感嘆を込めて見つめた。
――第八階位の妖鬼ザガ。本当に恐ろしい化け物だった。
不快感さえ抱くほどの狡猾さに加え、強力な攻撃力。何よりも《黄金魄》の連撃さえもモノともしない途方もない耐久力。まさしく三王位の名に違わぬ怪物だった。
そんな化け物をたった三撃だ。
あの少年はたった三撃の元に両断し、葬り去ったのである。
翔子の喉が、わずかばかり鳴る。
完全に常識から外れた力だ。その凶悪なまでの力に恐怖を感じなくもないが……。
「……いずれにせよ、終わったのですね」
翔子はポツリと呟き、悠樹の元へと近付こうとした。
しかし、一歩踏み出したところで、
「……待て小娘」
と、背後から由良に肩を掴まれてしまった。
「妾に付いて来い。これから奴の宝角を回収に行くぞ」
どこか淡々とした声で白髪の少女が告げる。
翔子は微かに眉をひそめた。
「……? そのような事、別に後でもよいのでは?」
そう尋ねながら振り向いた翔子は、由良の顔を見て思わず息を呑む。
こちらを見つめる由良の表情があまりにも真剣かつ悲哀に満ちたものだったからだ。
戦闘は終わったというのに、何故こんな顔を……?
そこで翔子はハッとする。そして、すぐさま前へと向き直し――。
(……悠樹さん……)
翔子は哀しげに、眉根を寄せた。
白矢の雪原の中で背を向けて佇む悠樹。彼の両肩はわずかに震えていた。
たったそれだけで、今の少年の心情を察するには充分だった。
……ああ、そうだった。
いかに強大な力を持とうとも、彼の本質は……。
翔子は一瞬、悠樹の元へと駆け寄りたい強い衝動にかられる。
が、どうにかグッと抑え込み、長い黒髪を揺らしながら首を振り、
「……そうですね。その程度の些事は私たちで済ませましょう」
言って、翔子は率先して森の方へと歩き出した。
由良は即座に状況を察してくれた少女に、微かな笑みを浮かべた。
「そなたは本当に賢しき娘よな。だが、感謝するぞ」
「お気になさらず。殿方のお気持ちを配慮するのは女として当然です」
「……ふん。では参ろうか」
二人の少女はそうやり取りすると、森の中へと消えていった。
森には沈黙が訪れ、優しげな風だけが、葉を鳴らし涼やかなる音を奏でる。
そして、無残なまでに荒れ果てた広場で――。
「……ううぅ……あぁ……」
零れ落ちる微かな声。悠樹は一人泣いた。
友達になれたかもしれない少年の為に、声を殺して泣いた。




