第八章 友達になれたかもしれない君へ④
翔子は十字槍を両手で握りしめたまま、唖然として上空を見つめていた。
「……な、何なのですか? あれは?」
「あれか? あれは悠樹が得た《黄金魄》の一つ――《飛天黒竜》じゃ。その効果は見ての通り完全な『竜』と化して空が飛べるようになる《黄金魄》じゃな」
翔子の瞳が大きく見開かれる。
「《黄金魄》!? あれが!? 竜になる《黄金魄》なんて聞いたこともありませんよ!? それも空を飛ぶなんて……そもそも甲冑ですらないあれは本当に獣殻なのですか!?」
普段の凛々しさもなく、流石に翔子は動揺した。
「う~む、そうじゃのう」
相槌を打ちつつ、由良はポリポリと頬をかいた。
「悠樹の話では生前の《大和》は無類の『竜』好きだったそうじゃからのう。獣殻の姿が竜人や竜になるのもその影響が出ておるのかもしれんの」
そこで由良は翔子を一瞥して。
「それはさておき小娘よ。そなたが御門家で育てられたため、《黄金魄》の効果が複数顕現になったように、獲得した《黄金魄》の効果は生きてきた環境に影響される。そう考えれば悠樹の《黄金魄》の一つが『空を飛ぶ』になったのは当然の帰結じゃ」
「……? それは、どういう意味でしょうか?」
小首を傾げる翔子に、由良は気難しげな表情を浮かべて答える。
「妾たちの『敵』は当然のように空を飛ぶからの。そんな相手と戦う方法は二つだけじゃ。自らも『飛ぶ』か、あるいは相手を『落とす』かじゃ。悠樹の《黄金魄》がそれらに特化するのも仕方あるまい」
「……『敵』というのは先程お聞きした翼を持つ騎士のことでしょうか?」
翔子は眉根を寄せた。
「しかし、それはすでに倒したというお話では?」
そんなことを問われ、今度は由良が小首を傾げた。
何やら会話がかみ合っていない。が、すぐに思い当たる。
「ああ、そう言えば、奴らの不死性についてはまだ話してなかったの。それも後でじゃな。いま優先すべきはこの戦況じゃ」
「……失礼。確かにそうでした」由良の指摘に翔子は首肯する。
「そのお話は後でお伺い致します。それでどういたしましょうか。鳳さん。必要ならば私も武具を弓に編み直しますが……」
翔子はひと通りの武芸に通じている。
最も得意なのは槍だが、弓の扱いに自信がない訳ではない。求められればすぐにでも応じることが出来た。
しかし、由良は首を横に振り、
「いや、本領ではない武具では、あの化け物には大して効かんじゃろう。それよりも策を思いついた。少し耳を貸せ」
言って、彼女は自分の策を翔子に伝える。翔子は少し驚いたように瞠目し、
「……なるほど。確かにそれは妙案です。とても意地が悪いです」
「むっ、意地が悪いとはなんじゃ。騙し合いは兵法の基本ぞ。念を押すが、そなた上手く対応できるのじゃろうな?」
「私の力量を見くびらないで下さい。瞬くほどの時間もあれば充分です」
凛としてそう語る翔子に、由良はニヤリと笑い、
「そうか。ならば妾たちもいよいよ参戦といこうかの」
そう告げて、虚空から生み出した一本の白き矢を弓につがえた。
◆
――ゴウッ、ゴウッ、ゴウッ!
速射を重視した槍状の炎が、立て続けに黒竜のアギトから撃ち出される!
『――チイィ! この着ぐるみ野郎がああァアァ!!』
ザガは一旦地面すれすれにまで下降。いくつかの炎槍をかわした後、黒竜のいる上空へと視線を向けた。そしてギョッとする。
そこには、絶え間なく降り注ぐ炎槍の雨があったのだ。
『くそッ!』
ザガは低空飛行のまま回避する。
降り注ぐ炎槍は絨毯爆撃のように次々と地表に着弾し、大地を大きく揺らした。
そんな中を潜り抜けながら、ザガは黒竜の姿を睨みつける。
『調子乗んな! このガキがッ! とっとと落ちやがれええええエェェ―――!!』
もはや苛立ちも限界だった。
――こうなれば、多少の被弾など知ったことか!
ザガは炎の弾幕を真正面から受け止め突破し、敵めがけて急上昇した。
激情のまま突き進む様は、まさしく悪鬼の姿だ。
対する黒竜は、炎槍ではほとんど効果がないと悟り、戦術を切り替えた。大きく翼を広げると、上昇してくるザガに対し、同等以上の速度で下降する。
そうして大気を穿ち、二色の巨大な砲弾が急接近し――。
『――なにッ!?』
ザガは目を見開いた。直前で黒竜が一度羽ばたき、わずかに軌道を変えたのだ。今さらザガには細かい軌道修正など出来ない。
『ぐおおッ!?』
そして次の瞬間、接近した黒竜の爪にザガの頭部が鷲掴みにされた。
黒竜の『掌握』は怪物の頭蓋さえも軋ませる。
ザガは竜の腕を掴みつつ『がぁあアッ!?』と絶叫を上げた。
さらに黒竜はザガの頭を片手で掴んだまま二回、三回と空中で『大回転』。充分な遠心力をつけると、地表に向けて銀色の怪物を放り投げた!
『――だあああッ! なめんじゃねえよ! トカゲもどきがッ!』
しかし、ザガは地面に叩きつけられる前に炎を噴出して空中で急停止。
すぐさま急上昇する。が、その直後、ザガは目を見張った。
いきなり横っ面を竜の掌底で強打されたのだ。
真横に大きく弾き飛ばされるザガ。完全に動きを先読みされたカウンターだった。
空中では踏ん張りもきかず、ザガはきりもみ状に吹き飛んだ。その間に黒竜は地表近くにまで移動し翼を羽ばたかせている。今は旋回しながら隙を窺っていた。
(ちくしょう! あのクソ野郎!)
ようやく体勢を整え直し、ザガは上空から黒竜を睨みつける。
銀色の怪物と黒い竜王。双方の飛行能力に大きな差はなかった。
にも拘らず、こうも空中戦で遅れを取るのは、実力よりも経験の差だった。
ザガはこれまで空中戦の経験は皆無だった。なにせ自分以外で空を飛ぶ者と出会ったのは今日が初めてなのだ。経験といえば、地を這う敵を空からいたぶることしか知らない。
だが、あの敵は違う。明らかに空中戦を熟知している。
ギシギシ、とザガは牙を軋ませた。
この飛行能力は《四凶》さえ持ち合わせていない力だ。ゆえに、ザガは密かに『天空の王』を自負していた。だというのに、今やそのプライドはズタズタだった。
そんな耐えがたい屈辱に、身を震わせていると……。
(――あン?)
唐突に、眼下の黒竜が旋回をやめ、すうっと後方に下がり始めた。
まるで何かの射線上から逃げ出すかのように……。
凶悪な悪寒を感じたザガは敵から目を離す危険を承知で振り返り、空を見上げた。
するとそこには――。
『うおッ!? 何だこりゃあッ!?』
ザガは目を瞠った。見上げる空に白い龍がいたのだ。
いや、龍ではない。真直ぐザガへと向かって襲来するそれらは、白い矢の群れ。
数百本に及ぶ白い矢の集合体だ。
慌ててザガは回避しようと身体を翻すが――遅かった。
『ヌオオオオオオオオオォォォ―――ッ!?』
絶叫を上げるザガ。銀色の怪物は為す術なく白き龍に呑まれる。
――《天涙慈雨》。由良の《黄金魄》だった。
濁流のような矢陣の勢いに、ザガが大きく表情を歪めたその時、
『ぐおッ!?』不意に片足が掴まれる。
次いで、そのまま引きずられるように横に飛翔した。
『て、てめえ! 四遠!』
足首を持つのは鬼火の鬣を揺らした黒竜――悠樹だ。
悠樹はザガの足首を持った状態で大きく羽ばたき、急上昇する。黒竜の全力の飛翔は音速にも届く。身動きさえ取れない風圧の中、ザガは舌打ちしつつも訝しげに眉根を寄せた。
一体どこに……いや、どこまで行くつもりなのか?
そう思っている間も、黒竜はグングン上昇を続けて――。
『オ、オイ、うそだろ……』
ザガはその光景に目を見開いた。
そこは地上からおよそ五万メートル。空が星屑で彩られた世界。
凍えるほどに静謐な『成層圏』と呼ばれる場所だった。
黒竜はその世界に至ってようやく上昇をやめて、ホバリングする。
そしてその代わりに、太い両腕でザガの巨体の腰を押さえて逆さに担ぎ上げた。
流石にザガもギョッとする。
『お、おい四遠! てめえ、まさか――』
『あのさ、化け物』星屑の世界で悠樹は語る。
『お前、さっき地面なんてクッションみたいものって言ったよな。けど僕は思うんだ』
そこで黒竜は羽ばたくのをやめた。
『「硬さ」が足りないのなら「高さ」で補えばいいじゃないかって』
『――はあッ!? ふざけんなてめえッ! そんなガキみてえな理屈――』
と、ザガは泡を飛ばすが、悠樹はすでに動き出していた。
羽ばたくことをやめた黒竜がザガを担いだまま、自由落下を開始したのだ。
『ぎィッ!? ぐ、ぐおおおおおおおおおおおおおおお―――ッ!?』
ザガは絶叫を上げる。自前の飛行能力で脱出しようにも、大気との凄まじいまでの摩擦熱で今度も身動きが取れない。そんな状況の中、高度はどんどん下がっていく。
五万メートル。三万メートル。一万メートル……。
そしておよそ百メートルの高度で黒竜は翼を広げて急停止。両腕の筋肉を膨れ上がらせると、落下の加速をそのままに、地表へとザガを投げつけた。
かくして成層圏からの『背面落とし』――『星屑落とし』が炸裂する!
『ぐぎゃああああああああああああ―――ッ!?』
ザガは絶叫を上げながら、地面にめり込んでいった。
しかし、直撃した地表にクレーターは生まれない。
ザガと地面の強度差から、大地にはただ貫通するような穴だけが空き、銀色の怪物は地中深くに沈んでいった――。
その様子を上空から確認した悠樹は、
(よし。これで穴から脱出するまで二分ぐらいは稼げるな)
そう判断し、地面に向けて滑空する。
と、その途中で白い髪の少女の姿を見つけ、互いにこくんと頷き合う。相棒である彼らは、いつものようにそれだけで意志の疎通を行った。
『残り一分。妾が時間を稼ぐ。その間にそなたは切り札の準備に入れ』
そんな由良の声が聞こえてきそうだ。
今の大技でも、あの化け物を殺すには至らない。
あの化け物にトドメを刺すためには、悠樹の切り札が必要だった。そのための時間を、由良が稼いでくれるのである。
悠樹は巨体を揺らしてズズンと地上に降りると、黒竜から人の姿に戻り、すぐさま森の中に身を隠した。悠樹の切り札は一度獣殻をほどく必要があるのだ。
しかし、獣殻をほどいた途端、胸の痛みも一気に増す。
嫌な汗が噴き出して足元もふらつくが、今はかまってなどいられない。悠樹は何も持っていない両手を正眼に構える。
すると、黄金の札が現れて悠樹の胸に吸い込まれていった。その直後、銀霊布が顕現し、悠樹の両手を起点にして形を編み始めた。悠樹が所有するもう一つの《黄金魄》である。
顕現に約三分もかかる上に、能力使用は三度が限界。
その上、全身顕現まで使えなくなるため、完全に無防備になってしまう危険な技。一人では全く使えない《黄金魄》だ。
だが、彼には頼りになる相棒がいる。
悠樹は意識を集中させた。
この《黄金魄》の効果は斬撃に分類されるので使用時は振りやすい片手剣を選んでいた。しかし今日はそれに対し、もう一つイメージを加える。
心に描くのは『雷』の力――そう、由良から聞いた彼の力だ。
悠樹は強く唇をかみしめた。
鷹宮修司。あまり話したこともない少年だった。
それどころか、何故かいきなり啖呵を切られたこともある。
ふと、その時の言葉が脳裏をよぎった。
(……『君は僕の敵だ』、か)
もしかしたら、自分は嫌われていたのかもしれない。
けれど、悠樹の方は、あの少年を嫌ってなどいなかった。
太刀筋とはその人物の性格を映すものだ。彼の太刀筋はとても真直ぐだった。
悠樹を『敵』だと断言した時にさえ、鷹宮に陰湿さはなく真直ぐな想いだけがあった。
剣を顕現させながら、悠樹は一瞬だけ瞑目する。
不器用なぐらい愚直な少年。鷹宮修司とはそういう人間だったのだろう。
多分、あの少年は、そんな不器用なところが似ていたのだ。
今はもういない悠樹の親友に。
(だからこそ、僕は彼と友達になれると思ったんだ)
――そう。
機会さえあれば、亡き親友と同じように。
きっと、鷹宮とも友達になれると感じていたのだ。
(うん。機会さえあれば……きっと……)
ギリ、と悠樹は歯を軋ませた。もうその機会が訪れることは二度とない。
ならば、せめてこの《黄金魄》の中に、鷹宮の力を刻みつけよう。
悠樹はさらに深く意識を集中させた――。




