第六章 闇より忍び寄る邪悪⑦
「………か、はっ……」
翔子は空気の塊を吐き出すように呼吸をした。
意識ははっきりしているが、体中が痺れて上手く動いてくれない。
それでも翔子が「ううっ」と呻きながら、身じろぎしていると、
「……無理はしない方がいいよ。かなり手加減したとはいえ、《黄金魄》の直撃だ。多分十分ぐらいはろくに動けないはずだ」
鷹宮が翔子を見下ろしてそう告げた。
「……修司、さん」
力なく呟く翔子。
しかし少しだけホッとした。どうやら舌だけは何とか動くようだ。
仰向けに倒れ伏す翔子は、鷹宮を睨みつけて問う。
「……何故、いきなり、獣殻が、拡張して――いえ、もしやそれは……」
わずかな躊躇いの後、
「まさか《霊葬法》を使った、のですか? あの、《魔皇》と同じ……」
翔子の問いに、鷹宮は自嘲の笑みを浮かべた。
――《霊葬法》。それは、自分の契約霊獣に他の霊獣を無理やり共食いさせて霊力を底上げする呪法だ。下手をすれば、契約霊獣を発狂させかねない外道の業である。
そして《魔皇》が使用していると噂されていた禁呪法でもあった。
「ご明察だよ、翔子さん。その通りだ。この力は《魔皇》と同じものだ」
言って、鷹宮は自分の拡張された獣殻に目をやった。
「《魔皇》の噂は結構有名だからね。それに《霊葬法》は素材さえあれば、それほど難しい呪法でもないと聞いたから」
「……修司さん……あなたは何てことを……」
呻くようにそう呟き、翔子が美麗な眉を歪めて睨みつけてくる。
鷹宮は一瞬だけ哀しげに視線を伏せた。愛しい少女の非難の眼差しに心が痛む。
思い返せば《霊葬法》に踏み切ったのは自分だけの考えではなく、ある日、体育館裏で出会った一人の生徒との会話が影響していた。彼は恐らく熟練の鬼狩りの一人だ。生徒とは一線を画していた。立ち姿だけでくぐってきた修羅場の多さが分かるような人物だった。
そのためだろうか、鷹宮はふと彼に訊いてみたくなったのだ。
――強くなるにはどうすればいいのか、と。
そんないきなりの問いかけに彼は心底面倒臭そうな表情を浮かべたが、それでも質問に答えてくれた。経験則からの戦闘のコツ。ここぞという時の判断など。鷹宮は真剣な表情で耳を傾けていた。彼の話はどれもが為になるモノばかりだった。
ただ、その中でも一番印象に残ったのは最後の言葉だった。
彼は皮肉気な笑みを浮かべながら《魔皇》の噂について教えてくれたのである。
『まあ、最後のは冗談だ。真に受けんなよ』
そう言って彼はその場を後にした。この件がなければ鷹宮が《魔皇》に――《霊葬法》に興味を抱くことはなかっただろう。
(いや、違うな)
鷹宮は口元に自嘲の笑みを刻む。
(あれはただの切っ掛けだ。結局、決断したのは僕か。言い訳にすぎないな)
そう断じて、鷹宮は迷いを振り払うかのようにかぶりを振った。
そして翔子に告げる。
「すまない、翔子さん。僕は一つ君にうそをついたんだ」
「……うそ?」
「僕は《霊賭戦》で得た六体の霊獣。そして、街で出会った鬼狩りの霊獣二体をすでに失っているんだ。全部、僕の契約霊獣である《雷牙》の餌にしてしまった」
「―――えっ?」その事実は翔子に軽い衝撃を与えた。それは、約束自体が偽りであったことに憤りを感じたのもあるが、もう一つ予想外の事実があったからだ。
「待って下さい! あなたは霊獣を八体も犠牲にして全身顕現に至ってないのですか!」
八体も犠牲にすれば、単純に考えれば得られる霊力は八倍。
それぞれ霊格に差があったとしても、五倍以上の霊力は得ているはず――。
しかし、鷹宮の獣殻は右腕と左の籠手まで。全身顕現とは言えない。
戸惑いを隠せない翔子に、鷹宮は自分の左手を見つめて答える。
「正直なところ、僕は五体ぐらいあれば全身顕現に至ると思っていたんだ。しかし、現状はこの通りだ。まあ、僕の霊感応不足もあるんだろうけど、どうも《霊葬法》は使用するほど霊力の増加が小さくなるみたいなんだ……」
鷹宮は双眸にわずかな憂いを宿して告げる。
「……こんなこと、僕が言うのも何様だって思うんだけど、恐らく《魔皇》は百体以上の霊獣を犠牲にしている可能性があるよ」
鷹宮の指摘に、翔子は何も答えられなかった。
どうやら《魔皇》の一件は、想像以上に根が深いらしい。
(……《魔皇》。あなたは一体、どうやってそんな数の霊獣を……)
と、思わず意識が《魔皇》の方に移りかけた翔子だったが、不意に下唇をかんで鷹宮を見据え直す。《魔皇》のことは後回しだ。まずは今の危機をどうにかしなければ。
すると、翔子の敵意に満ちた視線に気付いたのか、鷹宮が微かな苦笑を浮かべ、
「翔子さん。確かに霊獣のことで騙したのは悪いと思う。けど、勝負自体は僕の勝ちなんだ。だからね、翔子さん……」
横たわる翔子の黒い髪を一房拾い上げて彼は言う。
「――君はもう僕のものなんだよ」
「わ、私は……ッ!」
翔子は苦悶の表情を浮かべ反論しようとした――その時だった。
「――鷹宮君ッ!」
その声は、何の前触れもなく響いた。
この場にいないはずの人間の声に、鷹宮は息を呑む。
呆然として振り返ると、そこには栗色の髪の少年が立っていた。
「か、神楽、崎……?」
「……やっと追いついたよ。鷹宮君」
少し息を切らした栗色の髪の少年――神楽崎太助はそう告げると、鷹宮とその傍で倒れ伏す翔子の姿を一瞥し、沈痛な表情を浮かべた。
「とても間に合ったとは言えないみたいだけど……もうやめるんだ、鷹宮君。これ以上やると君はもう引き返せなくなる」
「…………」
神楽崎の訴えに鷹宮は沈黙で返す。その顔には葛藤が浮かんでいた。
一方、神楽崎は、真剣な表情で鷹宮の様子を窺っている。
(やれやれ、そう簡単にシナリオ通りにはいかねえもんだな。ここにきて『親友君』の追加かよ。まあ、これであの二人が来るまで時間を稼げりゃあいいが……)
と、裏で暗躍している者がいるなど知る由もなく、鷹宮は苦悩で顔を歪めていた。
鷹宮にとってこの状況は想定外ではあったが、同時に嬉しくもあった。
神楽崎とはすでに絶縁していた。だというのに、まさか、神楽崎がこんな所まで自分を止めに来てくれるとは思いもよらなかった。
「……神楽崎。どうして君がここにいるんだ……?」
感情を押し殺した声で鷹宮が尋ねる。と、神楽崎は躊躇いがちに口を開いた。
「ここ最近、君の様子がおかしいと思ってたんだ。だから……」
「……そうか」
どうやら絶縁していた間も神楽崎は鷹宮を気遣っていてくれていたようだ。
鷹宮は小さく息を吐いた。
(……まったく。君はどこまで人がいいんだよ)
心から思う。本当に、自分にはもったいないほどの友人だった。
しかし、自分はすでに多くの鬼狩りから契約霊獣を強奪した上に、彼らの霊獣を犠牲にして手に入れた禁忌の力で翔子を傷つけてしまっている。
もう立ち止まることなど出来なかった。
鷹宮は無言のまま、神楽崎の方へと近付いていった。
そして彼の元に辿り着くと、刀の柄を強く握りしめて大きく振り上げた。
「ッ! 修司さん! 何をッ!」
背後から翔子の驚愕の声が聞こえてくるが、鷹宮はあえて無視した。
これから行うことは、彼女には関係ないことだからだ。
これは、鷹宮と神楽崎の二人の問題だった。
「……神楽崎。これは君には関係のない件だ。早く立ち去れ」
険しい顔つきで鷹宮がそう告げる。
だが、それに対して神楽崎は一切動じなかった。
「立ち去る気なんてないよ。こんな状況を見て退けるはずがないだろ。ここであっさり退くようなら、ボクはもう君の友達なんかじゃない」
真直ぐな眼差しで鷹宮を見据えてそう宣言する。
普段は温厚な友人の気迫を前にして、鷹宮は少しばかり気圧された。
(……神楽崎、そこまで僕を……)
鷹宮はわずかに逡巡した後、一つの賭けに出ることした。
振りかざした刀の柄に左手も添える。上段の構え――すなわち一刀両断の構えだ。
「これが最後の忠告だ。神楽崎。死にたくなければここから去るんだ」
「…………」
あからさまな脅しの前にも神楽崎は動かない。
彼は何も語らず、鷹宮の瞳だけを静かに見据えていた。
(クカカッ、で、坊ちゃん。今さらどうすんだよ。バッサリやっちまうのか?)
不意に訪れる沈黙。
風に揺らされた木の葉の音だけが聞こえる中……。
「……そうか。分かったよ」
鷹宮はそう呟くと、短い呼気と共に刀を振り下ろした!
直撃すれば大岩さえも両断する斬撃だ。しかし、神楽崎は身じろぎさえせず――。
「――ッ! 神楽崎さんッ!」
翔子の悲鳴が森に木霊する。思わず彼女は瞳を閉じた。
再び訪れる沈黙の時。
一秒二秒と経ち、恐る恐る翔子が両目をこじ開けると……。
そこには、神楽崎の額の前で刀を止めた鷹宮の姿があった。
「……良かった。修司さん、寸止めを……」
翔子は安堵の声を零す。
そんな彼女をよそに、鷹宮と神楽崎の会話は続く。
「……なんで」鷹宮は声を絞り出した。「なんで避けないんだよ。神楽崎……」
「避ける必要がないものを、どうして避けなくちゃいけないのさ?」
堂々とそう語る神楽崎に、鷹宮は大きな溜息をついた。
どうやら賭けは自分の負けらしい。
もし、ここで神楽崎が少しでも身をかわすそぶりを見せるのならば、鷹宮は自分を見限るつもりだった。その先が奈落であっても堕ちていくつもりだった。
だが、神楽崎は一歩も動かなかった。
虚勢でもなく、恐怖で硬直していた訳でもなく。
きっと刃は止まる。こんな自分を最後までそう信じてくれたのだ。
――ならば、自分は彼の信頼に応えなければならない。
「分かったよ。神楽崎。もう、ここまでにしよう」
「……えっ、ホ、ホント? 鷹宮君?」
神楽崎は大きく目を瞠った。
(は、はあ? オイオイ、マジかよ。本気でここでやめちまう気なのか?)
――まさか、こんな展開になろうとは……。
そんな驚愕を尻目に、まるで憑きものが落ちたような面持ちで、鷹宮は未だ横たわる翔子の方へと振り向いた。
「……翔子さん。すまなかった。君を傷つけて。今日僕が言った戯言は全部忘れて欲しい」
「……修司さん……」
「勿論、《霊葬法》に手を出した罰は受けるよ。僕が契約霊獣を奪った八人にも謝罪する。流石にもう霊獣は返せないけど、新たな霊獣は僕が何年かけてでも見つけるよ。それまでは鷹宮家のストックを使わせてもらって彼らに霊獣を貸与しようと思う。許してくれないかもしれないけど……何度でも謝るよ」
「…………」
鷹宮の真摯な姿勢に、翔子は微かな笑みを浮かべた。
彼のしたことは簡単には許されないだろう。特に大切な霊獣を永遠に奪われた八人は間違いなく彼を恨む。他の鬼狩りからの痛烈な非難も避けられない。
鷹宮が針のむしろに立たされるのは容易に想像できた。しかし、それでも鷹宮は自身の非を認め、謝罪し、その上で罰を受けると言っているのだ。
翔子はこの少年の贖罪に協力しようと思った。自分に想いを寄せる人がいる以上、彼の気持ちには応えられないが、きっと彼とは良き友人になれる。そんな気がした。
「……修司さん。その贖罪……私も協力――」
しかし、翔子の申し出は、途中で遮られてしまう。
「――凄い! 凄いよ、鷹宮君ッ!!」
その興奮と歓喜に満ちた大音響の声に。
「……? 神楽崎……?」
鷹宮は、再び目の前の神楽崎に視線を向けた。
栗色の髪の少年は、興奮気味に拳を胸の前で握りしめていた。
「本当に凄いよ……普通ここまで道を踏み外したら戻ってこられない。だけど、君は戻ってきた。葛藤を乗り越えて正しい決断をしたんだッ!」
神楽崎の絶賛に気恥かしさを感じて、鷹宮は視線を逸らした。
だからこそ彼は気付かない。神楽崎の瞳が徐々に赤みを帯びていたことに。
その歯が、まるで牙のような鋭利なものに変貌しつつあることに。
「人を成長させるのは葛藤と決断だ。正直なところ、君は他の三人よりも味が落ちると思っていたんだけど、今は違うよ。かつてない葛藤を乗り越えて、君の魂は間違いなく一つ上のステージにまで成長したんだッ! クカッ、クカカカカカッ―――!!」
「か、神楽崎? 一体どうした――」
「クカカッ! もう限界だ! 精々前菜だと思ってたのが、こうも旨そうに成長されたらな! クカカッ! 悪いな、坊や! もう食欲を抑えきれねえッ――!!」
そして神楽崎は鷹宮に告げた。口の端が耳元|まで大きく裂けた笑顔で《・・・・・・・・・・・》。
「んじゃあ、イタダキますッ!!」




