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鬼狩り裏譚 叛天のサクリファイス【第2部更新中!】  作者: 雨宮ソウスケ
第1部

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第五章 蠢動④

 誰にでも、忘れられない出会いというものがある。

 例えば、都築悠樹にとっては、あの『魔女』との出会いがそうだった。

 ――あの日、魔女は言った。


『そうだな……。よし。今日からお前は「四遠」と名乗るがいい』


 悠樹は眉をしかめて尋ねた。それは一体どういう意味だ?

 すると、魔女はくつくつと笑い、


『お前は今宵より決して負けられない運命を背負った。奴らは半年も経てば蘇るからな。今後お前は半年に一度さっきの翼を持つ騎士と戦うことになるのさ』


 一拍置いて、さらに語る。


『負ければ死。逃走も不可能だ。だからこそ、せめて「死」を「遠」ざけるという願いを込めて――「四遠」なのさ』


 意味深な魔女の言葉に、悠樹の困惑は増すばかりだった。

 そんな少年に対し、美しい雪の髪を持つ魔女は、手を差し伸べて問う。


『さて四遠悠樹よ。どうする? 私の手を取るのも取らないのもお前次第だぞ?』


 悠樹は呆然としながらも、恐る恐るその手に触れた。

 氷のように冷たいのではないかと思った彼女の掌は、意外にも温かく――。

 忘れもしない。それが、彼女との出会いだった。

 そうして月日が流れて……。




 暖かい春の陽気に、新緑の匂いを届ける涼やかな風。

 近くの森からは鳥達のさえずりも聞こえてくる。眠気を誘いそうな昼休み。

 校内において一番空に近い屋上の昇降口用建物の上で悠樹は誰ともなしに呟いた。


「……まあ、何て言うか、綺麗さっぱり面影がなくなっちゃったんだよなあ」


 続けて手に持つサンドイッチを頬張り、味わいながら咀嚼する。

 ――うん。美味い。流石は由良のお手製。シャキシャキしたレタスの食感と、新鮮なトマトの酸味と甘みが絶妙なバランスで仕上げられた一品だ。


「ん? 悠樹? 何か言ったかの?」


 向かい側に座る由良が首を傾げる。

 かつて魔女のようだと思った少女は、今は満面の笑みを浮かべている。彼女は口を動かし、サンドイッチを一つ食べ終えたところだった。

 二人は今、コンクリートの屋根に腰を降ろして仲良く昼食をとっていた。


「はは、ちょっと懐かしくなってね。あっ、そうだ!」


 悠樹は少し意地の悪い表情を浮かべて、


「『よし。お前に名前をくれてやろう』」


「…………は?」


 いきなり脈絡ない台詞を吐く悠樹に、由良が眉根を寄せる。


「『ふん。今までの名前になど、もはや意味はない。あの世界に取り込まれた時点でお前の過去は消え失せている。昨日までのお前はもういないのさ』」


 キリッとした顔つきで、悠樹はさらに語る。

 と、そこでようやく心当たりに至ったのか、由良の顔が一気に青ざめた。

 悠樹はふふっと笑い、ますます軽快な口調で続ける。


「『ふむ。私は今『鳳』と名乗っている。『絶対に死にたくない』という願いを込めて不死の鳳凰からあやかった名前――」


「――やめんかっ!? なんでそなた、妾の黒歴史時代の台詞を一言一句憶えておるのじゃ!?」


 思わず絶叫する由良。今度はみるみる顔が赤くなる。うなじまで真っ赤だ。

 そして由良は涙目になって悠樹に詰め寄ってくる。


「ア、アホ――ッ!? あ、あの頃の妾は、その、思い詰めてたというか、ま、まあ、色々と激しくこじらせておったから……」


 と、ガラでもない言い訳をし始める由良。ここまで取り乱す彼女は珍しかった。

 流石に、これはちょっとからかい過ぎたのかもしれない。


「あははっ、ごめんごめん。ちょっと昔のことを思い出したからさ。ほら、由良だってたまには思い出すでしょう? 例えば神宮寺の頃とか――」


 そこまで言って、悠樹は自分の失言にハッと気付く。

 ――しまった。神宮寺のことは禁句だった。

 気まずげな思いで由良の顔を窺うと、予想通り先程までの狼狽は消えており、彼女はどこか神妙な瞳をしていた。わずかに顔色も悪い。


「……ごめん。嫌なこと思い出させた?」


 眉根を寄せて心配げに問う悠樹に、由良はふるふると首を振って、


「いや、気にするな。しかし、神宮寺か……」


 由良は小さく吐息をもらす。悠樹はもう一度、謝罪した。


「……ごめん。由良」


「謝らんでよい。神宮寺のことなど、もはや妾とってはどうでもいいからの」


 パタパタと手を振りながら、ふっ切ったような笑みを見せる由良。


「けど、あそこって由良の実家なんでしょ?」


 そう尋ねる悠樹に、


「まあ、今さら実家とか言われてものう」


 思わず由良は苦笑を零した。




 ――神宮寺家の《真白姫(ましろひめ)》――




 かつて由良は――神宮寺(・・・)由良は、そう呼ばれていた。

 およそ百二十年ぶりに生まれた、待望の《雪の髪》の女児。神宮寺家は徹底した英才教育を由良に施した。それこそ昔ながらの教養から最新技術の知識に至るまでだ。


 勿論教養だけではなく、由良には鬼狩りとしても最強になるように、神宮寺家秘蔵の契約霊獣――大鷲の霊獣・《白夜(びゃくや)》が与えられ、厳しい訓練が課された。

 まさに、あらゆる方面で完璧を目指して由良は育てられたのである。

 しかし――。


(……あの屋敷は、妾にとって牢獄のようじゃった……)


 学校にさえ行かせてもらえず、屋敷の中で修行ばかりする日々は、由良に強いストレスを与えた。だから彼女は十六の時、使用人や教師の隙をみて、初めて神宮寺の屋敷から抜け出したのだ。

 それは、彼女にとってほんの少しだけ羽を伸ばす程度の脱走劇だった。


 だが、この時をもって由良の人生は激変する。

 ――否、正確に言えば、世界の方が激変したのだ。


 荘厳な鐘の音と共に迷い込んだその場所は無人の街。

 それは空っぽの箱のような世界だった。


 当然、由良は混乱した。人はどこに行ったのか? 自分の身に何が起きたのか?

 しかし、その答えを出す前に事態は動き出す。


 突如、空から一人の騎士が降り立ったからだ。

 突撃槍を持つ銀色の全身鎧を着た騎士。背中には双翼を生やし、尾翼を合わせると三つの翼を持った美しくも禍々しい騎士だ。


 由良は瞬時に察した。

 こいつは(・・・・)妖鬼(・・)ではない(・・・・)、と。


 完全にパニックに陥っていた由良だったが、状況はあまりにも容赦なかった。

 三翼の銀騎士がいきなり襲い掛かってきたのだ。

 由良は訳も分からないまま応戦した。

 銀騎士は恐ろしく強く、妖鬼で例えるならば第七階位(クオーツ)にさえ匹敵するほどの怪物だった。とても単独で勝てる相手ではない。

 しかし、それでも由良は必死に戦い抜き、遂には銀騎士を打ち倒したのだ。


 ――途端、無人の世界は砕け散った。


 耳をつく騒音。気付けば由良は街中に戻っていた。周囲の人間は血を流して立ち尽くす白い髪の少女に驚いていたようだ。

 周りがざわざわと騒ぎ出し、人混みの中から警察官たちの姿が見えた時、由良は走り出した。周囲の人間の制止を振り切って、ただひたすら神宮寺の屋敷を目指した。


 ――これは罰なのだろうか? 勝手に屋敷を抜け出した罰なのだろうか?


 傷口を押さえ、涙をボロボロと流しながら由良は走った。

 だが、屋敷に着いた時、彼女は更なるショックを受けることになる。

 神宮寺家の誰もが彼女のことを一切憶えていなかったのだ。使用人も、教師も、分家の人間も、父も、母も、その全員が由良の存在を忘却していたのである。


『……《雪の髪》だと? 本物なのか?』『騙り目的の偽物ではないのか?』『当主のご落胤ではないか? 外にも(めかけ)はいよう』


 そんな困惑した声が、由良の耳に届く。

 怖くなった彼女は自分の部屋に逃げ込もうとして――愕然とした。


 何もない(・・・・)


 彼女の部屋だったはずのその場所は、綺麗に掃除こそされていたが、内装が何もない空部屋になっていたのだ。由良は呆然と膝をついた。


 そして再び由良の耳に喧騒が聞こえてくる。話の内容からすると、とりあえず由良を捕えることになったらしい。彼女よりずっと背の高い男たちの手が伸びてくる。

 その光景に、由良は言葉にならないほどの恐怖を覚えた。一瞬で頭の中が空白になり、我を忘れた彼女は、自分が生まれ育った実家から必死になって逃げ出した。




「……あの手は本当に怖かった……。まるで亡者の手のようで……」


 由良は消えいりそうな声で呟いた。あれは今思い出しても震えがくる。


「……由良? どうかした?」


 由良の表情が不意に強張ったことに気付き、悠樹が心配そうに尋ねてくる。

 由良は優しい少年に笑みを浮かべ、


「……ん。何でもない。心配するな、悠樹」




 ――そして翌日の朝。

 幾ばくかの冷静さを取り戻した由良は、まず現状を整理した。

 どうやら自分は存在を忘れられている……と言うより、最初からいなかった状態にされているらしい。間違いなく原因はあの三翼の銀騎士だろう。

 この現状を打開するためには、あの銀騎士について調べなければならない。 

 しかし、それには一体どれだけの時間が掛かるのか分からない。神宮寺家に頼るという手もあるが、親しかった者たちの猜疑心で満ちた冷たい瞳は、彼女の心に途轍もない恐怖を植え付けていた。正直、あの門戸は二度とくぐりたくない。


 ならば、まずは自力で衣食住を手に入れなければならなかった。

 そう決断してからの由良の行動は迅速だった。

 まず神宮寺家の緊急時用の裏口座から大金を下ろし、知識と技術を頼りに戸籍を偽装。すぐさま拠点としての住居も得た。


 選んだ職は、言うまでもなく鬼狩り――はぐれの鬼狩りだ。

 そうして生活基盤を整えてから、いよいよ由良はあの怪物について調べ始めた。

 だが、調査は難航した。なにしろ初めて見る怪物だ。由良は仕事の合間に古文書などを読み漁り、時には禁書と呼ばれるものにまで手を出した。


 そして彼女は古文書に残された事実と、幾度かの実験からある推測に辿り着き、現状を打破するには《七天祭器》を手に入れるしかないと結論付けたのだ。


 かくして、由良は何度倒しても半年後には蘇る三翼の銀騎士と死闘を繰り返しながら、《七天祭器》を探し求める日々に明け暮れたのである。


 たった一人で。誰も信じず。

 ――そう。あの日、同じく隔離世界に囚われた少年と出会うまで。



「……由良? 本当に大丈夫? 顔色悪いよ」


「……妾は大丈夫じゃ」



 最初は同情と気まぐれから導いてやるつもりだった。

 適当に情報と生きる術を教えてやったら、とっとと放り出す予定だった。

 少なくとも、出会った当時はそう思っていた。



「……悠樹。心配してくれてありがとう」


「い、いや、気にしないで。元々は僕の悪ふざけが原因だし」



 しかし、唐突に訪れた少年との共同生活は、とても心が安らいだ。

 一ヶ月、二ヶ月と過ごす内に、由良は少しずつ少年に心を開いていった。


 そしてある日のこと。

 それは何てことのない平凡な日だった。

 ただ、悠樹が夕食の一品に不細工な肉じゃがを作ったこと以外は。


『……悠樹。何だこの物体は?』


 食卓に座る由良が訝しげな眼差しで悠樹に問う。


『いや、肉じゃがだけど?』


『……肉じゃがだと? 随分と不細工に仕上げたものだな……どれ』


 由良は、いかにも固そうなじゃがいもを一つ箸で摘むと口の中に入れた。

 そして咀嚼する。中身はかなり生焼けで、咥内からごりごりと音がする。が、


(――――――えっ)



『どう? 初めて作ったんだけど………鳳さん?』


 悠樹が首を傾げた。何故か由良が硬直している。

 ……うわあ、これは失敗してしまったか。 

 悠樹は自分より背の低い由良の顔を不安げに覗き込み――絶句した。

 由良は泣いていた。その白い頬に、涙の筋を作っていた。


『お、鳳さん!? 泣き出すレベル!? そんなレベルで不味かったの!?』


 そう叫ぶ悠樹に、由良は何も答えられなかった。

 ――違う。そうではない。確かに不味い一品ではあった。実に酷い出来栄えだ。ここまで不味いものをどうやって作れるのか逆に聞きたくなるぐらいだ。


 本当に不味い。

 だが、それ以上にこの料理はとても懐かしかった(・・・・・・)のである。


 悠樹の作った不細工で生焼けの肉じゃがの味は、かつて一度だけ由良の母親が気まぐれに作ってくれたものに酷似していた。

 思わず懐かしさを感じるほどに似ていたのだ。


『ふぐっ……ヒック……』


 唐突に湧き上がった郷愁の念に、由良の涙は止まらなかった。


『ううぅ、うわああァァ、うわあああああああああああああああああああァァ!』


 そして由良は泣き出した。

 まるで童女のように。いつもの冷静さなどどこにもなく。

 呆然とする悠樹の前で由良は大泣きした。


『お、鳳さん……?』


 恐る恐る悠樹が近付くと、由良は椅子を勢いよく倒して立ち上がった。

 そして明らかに怯えた様子で後ずさる。と、近くにあったソファーにぶつかった。彼女はソファーの上にあったクッションを拾うと近付いてくる悠樹に投げつける。


『ふぐっ、く、来るなぁ……わ、わら、妾は一人でも平気なのじゃ……ヒック、いっぱい勉強したし、いっぱい修業もした! ヒック、じ、神宮寺を継ぐために……』


 一度叫んでしまうと、由良の感情は完全に堰を切ってしまった。

 いかに優秀な教育を受けようと、彼女は基本的に名家の箱入り娘だ。そんな少女が一年以上も誰にも頼らず生きてきたのである。心に抱えたストレスは尋常ではない。


 すべての想いを吐き出すように、由良は嗚咽を上げ続けた。


『み、皆が望むからずっと頑張ってきたのに。誰も妾のことを知らないって……なんでェ、なんで妾だけがこんな目に……ずっと一人ぼっちで……もうイヤじゃ! もうこんな世界にいとうないッ! いっそ死んでしまいたい!』


 そう叫んで由良は、自分で倒した椅子を掴み取ろうとしたが、


『――ま、待った! 鳳さん!』


 そんな物を投げつけられては堪らない。彼女の手は悠樹の腕に止められる。


『その、鳳さん。とにかく少し落ち着いて』


 そう告げて悠樹は彼女の片腕を握ったまま、さらに近付こうとした。

 すると、由良の表情が激しく強張った。


『――ち、近付くなあッ!!』


 そして唇から飛び出したのは、全力の拒絶の声だった。

 誰も信じない。誰も傍に近付けさせない。

 まさに彼女の悲痛な想いを乗せた言葉だった。


 彼女の叫び声を聞いた瞬間、悠樹は一瞬だけ呆然とした。

 だが、それこそが切っ掛けだった。

 その言葉が悠樹を駆り立て、後日(ごじつ)、本人さえも驚くような行動を起こさせたのだ。


『――由良ッ!』


『……え?』


 突然、悠樹は彼女の偽名でなく、本名であると聞いている名前を叫んだ。

 そして少年は由良の肩をグッと掴むと、力強く抱き寄せたのである。

 それに対し、ギョッとしたのは由良だった。


『そ、そなた! 何をするッ!』


 未だ頬に涙を零しつつも身体を捩じらせて、由良は激しく抵抗する。

 彼女の表情は極めて険しい。

 それも当然だ。相手はまだ少年とはいえ『男』なのだ。

 いきなりこんな真似をされては、嫌悪感と危機感を抱かない方がおかしい。

 しかし、少年の力は揺るぎないほど強かった。穏やかな性格と細身の身体つきからは考えられないぐらいの力強さに、由良は愕然とする。

 結局、彼女は肩を震わせる程度しかできなくなり、しばらくして動きを止めた。

 別に悠樹のことを受け入れた訳ではない。

 ただこの時の彼女は、本当に、本当に疲れ切っていた。


 だから、何もかも全部。

 たとえ、ここで男の欲望の餌食になったところで構わない、と諦めたのだ。


 そしてしばし続く沈黙。壁時計の針の音だけが部屋に響いた。

 由良は抱きしめられたまま、悠樹の肩越しに虚ろな眼差しで天井を見上げていた。

 すると、その時だった。


『……由良。よく聞いて欲しい』


 沈黙を破り、悠樹がポツポツと語り始めたのである。

 それからようやく由良を離すと、彼女の肩に両手を置いて告げる。


『……もう、大丈夫だからさ』


『……? 何が大丈夫、なのじゃ?』


 由良は怪訝な表情を浮かべて、悠樹の顔を見据えた。

 一体、彼は何の話をしているのか。

 わずかに眉根を寄せると、悠樹は唐突に宣言した。


『この世界のどこかにある《七天祭器》は僕が見つける。だから由良は安心して』


『……………は?』


 少年の突然すぎる宣言に、由良はただ唖然とする。

 何故ここで《七天祭器》の名が出てくるのか?


『……悠樹? そなた、何を?』


 と、困惑の声を上げると、悠樹はすっと双眸を細めた。


『それがあればいいんでしょう? 大丈夫だよ』


 続けて悠樹は大きく息を吐き出して、はっきりと宣言する。


『僕が絶対に見つけるからさ』


 根拠や自信がある訳ではない。それは完全な強がりだった。

 そのため、少しばかり表情が強張っていたが、それでも悠樹はそう告げた。

 由良は瞳を瞬かせるだけで何も言えず、悠樹はそんな彼女にぎこちなく微笑んだ。


 ――この時、彼ら二人が過ごした期間はおよそ二ヶ月程度だった。

 当然だが、この時点の悠樹は由良のことをすべて理解している訳ではなかった。


 相棒と呼ぶにはまだ遠く、精々同じ境遇に陥った他人にすぎない。

 ましてや、今日まで彼女がどれほど苦しんだかなど知る由もなかった。


 どうして由良がいきなり泣きだしたのか、その理由さえも曖昧なのが実状だった。

 しかし、彼女の拒絶の言葉を聞いた時、悠樹は一つだけはっきりと確信した。


 ――今ここで由良から遠ざかってはいけない。

 今ここで言われるがままに離れてしまえば、彼女はきっと潰れてしまう(・・・・・・)


 心を病んで一人孤独に死に至る。その結末が簡単に想像できた。

 もしここで彼女の手を離してしまえば、孤独に殺されそうになっている少女を見殺しにすることになる。

 そう感じ取ったからこそ、悠樹は思い切った行動を起こしたのである。


 再び部屋に沈黙が訪れる。

 そして由良はかなり困惑した顔で、目の前の少年に尋ねてみた。


『……悠樹が、妾を助けてくれるというのか?』


 悠樹は少しだけ躊躇った。

 この二ヶ月間。幾度かの実戦や訓練に付き合って由良の実力はよく知っていた。

 未熟な自分とは違い、彼女は紛れもなく一流以上の鬼狩りだった。


 果たして、自分よりも強い彼女を支えられることが出来るのだろうか……。

 そんな情けない考えも頭に浮かぶが、弱気など今は無視した。


 悠樹は静かに頷き、


『うん。これからは僕が君を助ける』


 と、力強い眼差しで由良を見つめて答えた。それから少しだけ破顔して、


『頼りないかもしれないけど、僕が由良を支えて――守るよ』


 少年はそう約束した。由良の心臓がトクンと小さく跳ねた。そして一瞬だけ喜びにも似た表情を見せるが、すぐに少女は顔をくしゃくしゃと歪めた。


『……けど、妾は一人ぼっちで……』


 今までの絶望から弱気になる由良だったが、その先を悠樹は言わせない。


『違う。今は僕がいるよ。だから一緒にガンバろ』


 そう告げて、少年はさらに一歩踏み出す。

 そこで少しばかり逡巡するも、もう一度、強く由良を抱きしめた。


 これからもずっと彼女の傍にいる意志を示すように。

 強く、優しく抱きしめた。


 そこに至って、再び由良の紫水晶(アメジスト)の瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。


『……ううぅ、うわああァァ、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァああああああああァァん!』


 そして悠樹の背中に両手を回し、由良は大声を上げて泣き始める。

 悠樹はいかにも不慣れな手つきで、彼女の白い髪を黙って撫で続けた。

 結局その日、由良が泣き疲れて眠るまで、悠樹は彼女の傍にいたのだった。



(……まったく。とんでもない醜態じゃ。翌日、恥ずかしすぎて悠樹の顔をまともに見れんかったし。口調まで変えて築いてきたイメージは砕け散ったし)



 由良は白い頬を赤らめて嘆息した。

 あの日の後、由良は初めて悠樹に自分の素姓を語った。

 自分がかつて神宮寺家の跡継ぎであったこと。悠樹はポツポツと語る由良の話を静かに聞いてから、今度は自身の素姓を話し出した。

 石神家の分家――都築家の長男であること。

 親友・石神大和のこと。もう一人の幼馴染・大和の妹である沙夜のことなど。

 そうして二人は、初めて互いの状況を理解したのだ。


 それから二人は本当の意味での協力者――相棒となった。

 共に妖鬼に挑み、共に翼の騎士たちと戦った。


 悠樹の敵である六翼の紅騎士と、由良の敵である三翼の銀騎士は、どうやら別経路から現れるようなのだが、二人ともそれぞれの隔離された無人の世界――異相空間に侵入することが出来たのは幸いだった。

 二人は互いの異相空間に乱入して、共に強大な敵に挑み続けたのである。


 あの日、同情で助けてやった少年は、今や由良にとって大切な存在となった。

 自分のすべてを委ねてもいい。

 そう思うほどに、この少年は愛しい人となったのだ。

 そうして時は過ぎ去っていき――……。










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