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鬼狩り裏譚 叛天のサクリファイス【第2部更新中!】  作者: 雨宮ソウスケ
第1部

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第五章 蠢動③

 ………ふゥ。

 小さな溜息が零れ落ちる。

 そこは、新城学園の四階にある生徒会室。

 役員がまだ生徒会長だけのため、会長席以外は空席のその部屋にて御門翔子は一人物思いに耽っていた。会長用の革張りの椅子に座って黙り込んでいる。


 この一週間。一人になるといつもこんな感じだった。

 少しでも気を抜くと、あの少年――悠樹のことばかり考えてしまっていた。


(……悠樹さん……)


 遠い眼差しを見せて、微かに頬を赤らめる。

 あの日、涙を流すほど落ち込んでいた翔子の前にいきなり現れた少年。

 同じクラスでありながら、これまで一度も会話をしたことがなかったクラスメイト。そして初めての会話の後、友人になってくれた少年だ。


 彼と友人になったこと自体は、一切後悔などしていなかった。

 むしろ、あの醜態を見られたのが彼で良かったとさえ思う。他の人間ならば、もっと厄介なことになっていただろう。その点は本当に幸運だった。


 ただ、その時はまだ、彼のことは『友人』という認識だった。

 偽りなく、そう思っていた。


 けれど、一気に感情が変化したのは翌日のことだった。

 あの事件については、翔子は今も猛省している。練習試合だからといって、迂闊に残心をとくなど祖父が知れば失望されても仕方がない失態だった。

 翔子は小さく息を吐いた。


(……熱い)


 ふと口元に片手を添える。自分でも熱が籠っていることが分かる吐息だった。

 あの地下練技場にて、彼女は悠樹に命を救われた。

 翔子はあの少年に守られた。

 あの時の感覚は一週間経った今でも、はっきりと憶えている。

 間近に聞こえる呼吸音。力強い心臓の鼓動。揺らぐことのない腕の力。

 彼の細身の身体が、鋼の如く鍛え抜かれていることは服越しでも分かった。


(……男の人は)


 翔子の頬が、わずかに紅潮し始める。


(悠樹さんのような優しい人でも、あんなにも力強いのですね)


 そんなことを思う。

 彼は何度も、その逞しい腕で翔子を強く抱きしめてきた。


(…………)


 翔子は長い黒髪を垂らして、深く俯いた。

 わずかに見える耳が赤みを帯びていく。

 ふと、首筋に手を当てると、驚くほどに熱かった。


 流石に理解する。

 これが、きっと恋と呼ばれるものなのだと。

 ただ、


(確かに、愛しい人とめぐり逢いとは思っていましたが……)


 唐突すぎて、少し困惑してしまう。

 ましてや、相手は初めての友人でもあるのだ。

 しかも、さらに想定外のことに、この初めての恋は広く知れ渡ってしまっていた。

 すでに翔子たちの三角関係(・・・・)は周知の事実だった。

 あれだけの数の生徒たちの前で、あのような乙女な態度を見せてしまっては隠すことなど不可能だった。翌日、お礼のつもりで悠樹に昼食を用意した時も散々茶化されてしまった。


 ただ、そのおかげで翔子に対する冷たい空気もかなり緩和し、今では何人かの女生徒は普通に話しかけてくれるようにもなった。

 そのことは純粋に嬉しかった。

 彼女たちはまだ友人とまでは呼べないかもしれないが、心はとても軽くなった。

 それを考えると、これもまた間接的には悠樹のおかげになるのだろうか。


(本当に、悠樹さんは)


 微かに笑みを零す。


(私の友人で、恋する人で、恩人です。だからこそ彼の容疑を(・・・・・)晴らさなければ(・・・・・・・)


 翔子は表情を改める。御門家の次期当主のものにだ。

 彼女は執務机の上に置かれた書類の束に目をやった。

 執務机の上にある書類は全校生徒・三百二十二名のプロフィール。御門家の諜報機関が調べ上げた生徒たちの経歴だった。神槍の守護と並ぶ翔子のもう一つの任務――とある鬼狩りの捜索のための資料である。


 最近とみに聞く、全身に獣殻を纏うという異例の鬼狩り――《魔皇(まおう)》。


 かの者の補縛こそが、翔子のもう一つの任務だった。


(ですが、やはり信じがたいです。全身に獣殻を纏うなど。五百年の年月を経たお爺さまの契約霊獣・《(あか)(ざる)》でさえ、右腕までが限界だというのに)


 翔子は双眸を細めた。これは祖父にもぶつけた疑問だった。


『そうだな。確かに獣殻は片腕分を覆うのが限界だと言われている。だが、翔子よ。目撃者の話だと《魔皇》はその事実を覆しているらしい』


 あの時の祖父の言葉が脳裏に浮かぶ。さらに祖父はこんなことも言っていた。


『……はっきり言おう。《魔皇》には、あの(・・)禁呪法を使っておる疑いがあるのだ』


 その言葉を思い出しただけで、翔子は不快感で眉をしかめてしまう。

 祖父が語った呪法は、鬼狩りの間では最悪の禁じ手とされている呪法だった。使えば問答無用で外道の烙印を押されるような禁呪法である。


『ですが、お爺さま。あの(・・)禁呪法以外にも方法はあるのでは?』


『まあ、確かにそうなのだが……』


 獣殻を全身に覆うことが可能な禁呪法は他にもある。

 例えば、荒ぶる御霊――『神獣(しんじゅう)』との契約だ。

 動物霊から昇華した霊獣ではなく、伝承に記されるような神獣や魔獣と契約できたのならば、獣殻も全身を覆うだろう。しかし、神獣を召喚するだけでも『生贄となる人間』の命が必要になるらしく、仮に降臨したとしても契約にまで至ったという実例もない。リスクと代償があまりに大きすぎる方法であった。


『神獣契約もそうだが、他の禁呪法はリスクが大きすぎる。ゆえに、この噂にはかなり信憑性があるのだ。恐らくは一番現実的な方法としてな』


 祖父はそう告げた。


「……それもすべて捕縛すれば分かることですか」


 回想から現実に戻る翔子。彼女の拳は緊張から自然と固くなっていた。

 果たして《魔皇》がいかなる呪法を用いたのか。それは分からない。

 だが、それがどんなものであったとしても、祖父の推測通り、外道の行いであることに違いはないだろう。


 だからこそ、今回の補縛に乗り出したのだ。

 ――《魔皇》にまつわる、もう一つの噂を当てにして。


『何でも噂では《魔皇》は《七天祭器》を求めているらしい。力に溺れ、更なる力を求めたのか。いずれせよ、これを利用しない手はない』


 闇雲に《魔皇》を探すより効率がいい。淡々とした声で祖父はそう告げた。

 その時は、翔子も妙案だと思ったのだが、


「……お爺さま。もしかすると今回は徒労に終わっているのかもしれません」


 書類の束を一瞥し、翔子は力なくかぶりを振った。 

 ――《魔皇》は生徒の中に紛れ込む。

 そう読んだ御門家の諜報機関は、徹底した調査を行った。

 その結果、ほとんどの生徒の経歴はあらかた調べ上げることが出来た……のだが、その中でたった二人。どうしても経歴を洗い出せなかった者たちがいるのだ。

 翔子は机に置かれた書類の束から、『最重要』と押印された二枚を手に取る。

 その二枚には、彼女のよく知る名前が記されていた。


「……四遠悠樹と、鳳由良……」


 ――そう。この二人の経歴だけは洗い出せなかったのである。

 どうやら彼らは学園に入る前は二人ともはぐれの鬼狩りをしていたそうだが、それ以上のことが分からない。

 悠樹は二年半前、由良は三年半より前の経歴が一切分からなかったのだ。


(……これは一体どういうことなのでしょうか)


 翔子は困惑する。

 どこで生まれたのか、どう育ったのか、親族はいるのか、そのすべてが不明。

 まるでその時いきなり誕生したかのように彼らには過去がない。

 普通はどれだけ過去を隠蔽・捏造しても完全に消すことだけは出来ない。何かしらの生きてきた痕跡が残るものだ。これは極めて異常なことだった。

 だからこそ、御門家の諜報機関はこの二名を要注意人物として――はっきり言えば、この二人のどちらかが《魔皇》ではないかと疑っていた。


(そう……御門家はあの二人を、特に悠樹さんの方を疑っています)


 翔子は悠樹の資料を凝視し、双眸を細めた。無意識の内に拳を握りしめる。

 噂に聞く《魔皇》の風貌は全身が黒く、身長は二メートル級との話だ。

 妖鬼並みの巨体だが、思うに全身顕現というのは相当な重装甲なのだろう。実際には百七十~八十センチほどか。武具はまだ不明なのだが、一説では剣を使うとか。まるで地獄の王のような姿だ。


 そんな《魔皇》と悠樹は一致する点が多い。

 彼も武具には剣を使い、獣殻の色は黒。身長も該当の範囲内だ。


 しかし翔子は、彼が《魔皇》ではないと思っている。初めての友人であること。そして想いを寄せる相手への盲信ではなく、御門家次期当主としての判断で、だ。


 理由を挙げると、まず武具である剣だが、そもそも獣殻の武具は変幻自在なので当てにならない。何よりも《魔皇》が剣を使うこと自体が信憑性のない未確認情報だ。


 次に獣殻の色。獣殻はそれぞれ主体となる色を持っているが、同一色も存在する。特に黒系統はかなり多く、学園内だけでも五十人はいるだろう。

 身長も同じだ。百七十~八十センチ前後の者などいくらでもいる。


「それ以前に、悠樹さんは優しすぎますから」


 そう呟きながら、翔子は悠樹の資料を机に置いた。

 それらの否定要素以上に、翔子に確信を抱かせるのは悠樹の心の在り方だった。


 一週間前のあの日。悠樹は危険な目に遭った翔子を本気で心配していた。

 あの一件だけでも、彼が優しい人間であることは疑うまでもない。

 厳しく言えば、お人好しすぎるとさえ言える少年に、禁呪法のような外道の業が使えるとは思えなかった。


 だが、そうだとすると……。


 翔子はもう一人の候補者の資料に目をやった。

 鳳由良。現在、校内で噂される悠樹・翔子を含めた三角関係の一角を担う少女。

 消去法で考えるのならば、彼女が《魔皇》ということになる。


(とはいえ、流石に彼女を《魔皇》であると考えるのには無理がありますね。体格が違いすぎます。ですが、それを別にしても、彼女は一体何者なのでしょうか……)


 思わず翔子は眉根を寄せる。と、同時に由良の資料も机の上に置く。

 翔子は由良のことをほとんど知らない。

 ただ、一目見た時からどうしても気になることがあるのだ。


「……神宮寺の《雪の髪》ですか……」


 何世代にも渡り鬼狩りを務めてきた家系には、稀に異能や異相を持つ者が生まれることがある。神宮寺家の《雪の髪》はその代表的な異相の一つだ。

 ――紫水晶(アメジスト)の瞳に、雪の如き白い髪を持つ女児。

 神宮寺家には何世代かに一度、そういう娘が生まれるらしい。その異相を持つ者は妖鬼が放つ邪気を感知する異能を有し、歴代すべてが強力な鬼狩りになったという。

 初めて由良と出会った時、翔子はこの娘は間違いなく神宮寺家の者だと思った。

 姓が違うのは神宮寺家の現当主の隠し子だからといったところか。

 彼女の素姓を調べるのはきっと簡単だっただろうとさえ思っていた。


 しかし、結果は経歴不明(アンノウン)

 由良はあの異相でありながら三年半前まで世間に一切の足跡を残していないのだ。


 今の時代ならば、カラーコンタクトや髪を染めて容姿を変えるのは難しくないと思うかもしれないが、異相も異能の一種だ。小細工程度で完全に隠せるものではない。

 由良がどうやって過去を抹消したのか、まるで分からなかった。


「……本当に、彼女といい、悠樹さんといい、一体何者なのでしょうか……」


 翔子は深い溜息をついた。

 どうやら《魔皇》以前に調べなければいけないことが多いようだ。




「……ふう」


 十分後、湯気の立つ湯呑みを手に、翔子は一息ついた。

 玉露の香りと、咥内に広がる苦みのある甘さが、心を落ち着かせてくれる。

 やはり思考に詰まった時は熱い玉露に限る。


「……落ち着きます」


 と、その時、生徒会室のドアがノックされた。

 翔子は少し驚いた。生徒会室への来客など初めてのことだ。


(一体誰でしょうか? あっ、もしかして、悠樹さんでは……)


 現在この部屋に訪れる来客は限られている。悠樹である可能性は高い。

 翔子は手元の資料を素早く引出しにしまった。

 少し緊張する。我知らず髪を整えた後、ドアに向かって告げる。


「――はい。ドアは開いています。どうぞ」


 すると「ああ、失礼する」という悠樹とは似ても似つかない野太い声が返ってきた。

 ガラガラガラッ――とドアが開かれ、翔子はわずかに眉根を寄せた。

 入室してきたのは一人ではなかった。

 ぞろぞろと入って来たのは男女混合の生徒たち。全員で七人もいる。


「……皆さん? どうかされたのですか?」


 瞬く間に人で埋め尽くされた生徒会室で、翔子が困惑の声を上げる。


「ああ、実は話したいことがあってな……」


 そう答えたのは、先頭に立つ精悍な顔つきの男子生徒だ。

 少年と言うよりも二十代後半ぐらいの青年のように見える人物である。胸ポケットの組章から1組の生徒であるのが分かる。どうやら彼が七人のリーダー格のようだ。

 他の生徒たちの方にも目をやると、全員クラスが違うようで、6組や8組など普段なら翔子とあまり接点のない生徒たちもいる。


 ――が、そんな中に見知った生徒もいた。


「え? 赤神さん? あなたもお話が……?」


「――ぐあッ! ああ、やっぱ見つかっちまったかぁ……ちくしょう、記念すべき御門さんとの初トークがこんなんかよォ……情けねえ……マジで泣きそうだ」


 そう言って肩を落とすのは、翔子のクラスメイトである赤神賢二だった。

 すると、彼の横に立つ女生徒が、しかめっ面で少年の腹を肘で突く。


「もう! 何言ってんのよ! そこは香山君に説得されて了承済みでしょう! 情けないのはみんな一緒なんだからね! 覚悟してここに来たんじゃない!」


「いやいや、そういう覚悟とはまた別でな。ううぅ、分っかんねえかなぁ」


 何やら愚痴のようなものを零す赤神に、翔子は首を傾げる。

 一体、彼らはどういった集団なのだろうか。


「……皆さんはどういったご用件で生徒会室に? お話というのは皆さんそれぞれが、ということなのでしょうか?」


 翔子の率直な問いに、六人の生徒の視線が中央に立つリーダー格の生徒に集まった。

 注目を浴びたことに気付き、彼はコホンと喉を鳴らす。


「話とは、俺以外のメンバー共通のことだ。と、その前に一度自己紹介しておくか。俺の名前は香山猛。1組の生徒だ。縁あってこいつらの相談を受けることになった」


 と、香山が名乗るのを皮切りに、赤神を除く生徒たちが続けて自己紹介をする。

 全員が名乗り終えるのを見届けてから、香山は本題に入った。


「それで話――というより依頼に近いんだが、今、こいつら六人は非常にまずい状況に陥っているんだ。このままでは最悪、こいつらは退学になるかもしれない」


「―――え?」


 あまりにも重々しい内容に翔子は唖然とした声を上げた。困惑した眼差しで他の生徒たちの様子を窺うと、全員が苦悩の表情を浮かべていた。香山の言葉に真実味が増してくる。


「……一体、彼らに何があったのですか?」


 神妙な声で問う翔子。後ろに立つ全員が視線を伏せ、香山は深い溜息をついた。


「少々言いづらい話になるんだが、原因は一人の生徒にある」


「……一人の生徒、ですか?」


 香山の台詞に、再び翔子は他の生徒たちの様子を見た。この中にその原因となった生徒がいるのだろうか? しかし、生徒たちはそれぞれ否定の仕種で返してきた。


「その生徒はここにはいない。率直に言うと、俺たちの依頼ってのは御門生徒会長、君にその生徒を説得してもらうか、もしくは力尽くでどうにかしてもらいたいんだ」


 何ともきな臭い話を告げてくる香山に、翔子は面持ちを鋭くする。

 どうやら、ただ事ではなさそうだ。


「……それは物騒なお話ですね。詳細をお聞かせ願えますか」


 噂に名高い《瑠璃光姫》の静謐なる迫力の前に、赤神たちは思わず後ずさる。

 だが、その中で一人だけ。よほど肝がすわっているのか、香山だけは動じず、どこか不敵にも見える笑みを浮かべると、おもむろに会話を切り出した。


「ああ、今から詳しく話すよ。まずはその生徒の名前だが――」


 そして、香山から詳細な事情を聞かされて。


「……え?」


 思わず翔子は目を丸くするのだった。









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