第三章 蒼と銀の《霊賭戦》②
――新城学園校舎の南階段。
時刻は昼休み。悠樹は一人、屋上へと向かっていた。
目的は昼寝のためだ。明け方近くに見た夢のせいで完全に寝不足だった。
「ふわあァ……ああ、首が痛い……」
やけに痛む首筋を右手でさする。今日の目覚めは本当に最悪だった。
寝ぼけて頭から床に落ちるなんて一体何のコントなのか。
階段を上りながら自嘲じみた笑みを零し、今度は首をコキンと鳴らす。
が、一階から二階へと階段を上り続ける間に、悠樹の表情は真剣なモノになった。
(……けど、久しぶりにあの日の夢を見たな)
この学園に入学してそろそろ二週間。最初はぎこちなかったクラスメイトたちともうちとけ始め、賑やかすぎるぐらいの寮生活にも慣れ始めた頃合いだ。
そんな意外なほど快適な学園生活を、正直、悠樹は楽しいと感じていた。
はっきり言ってしまえば、かなり気が抜けていたのかもしれない。
だから、あの日の夢を見たのだろうか。
突如、未知の怪物に襲われ、親友を失ったあの日を――。
(……けど、由良と初めて出会ったのも、あの日だった)
あの日。すべてを失った自分に手を差し伸べてくれた白い髪の少女。あの時、彼女と交わした会話は今でもはっきりと憶えている。
もしもあの時、由良に出会っていなければ、自分は野たれ死んでいたに違いない。
そう考えると、運命とはどう転ぶのか本当に分からないものだ。
と、そうこうしている内に階段を上りきり、屋上のドアの前に辿り着く。
実はここは結構な穴場なのだ。どうも屋上は閉鎖されていると、ほとんどの生徒が思い込んでいるらしく、いつもひと気がない。絶好の昼寝ポイントだった。
「ふわあァ……」と、欠伸をし、悠樹はドアを開けた。
すると。
「…………ん?」
目をぱちくりとさせる。一人だけだが、珍しく屋上に人がいたのだ。
(あれって……御門さん?)
視線の先。フェンスの傍。
そこにいたのは悠樹のクラスメイト――御門翔子だった。彼女は悠樹に背中を向けて佇んでいた。もしかして景色でも眺めているのだろうか。
新城学園の屋上からの景観は中々のものだ。学校周辺を覆った雄大な森林に、それを際立たせる青天と白い入道雲。遠くには小さな街並みも見える。フェンス越しなのはいささか残念だが、風景画として残しておきたいような景色だ。
長く艶やかな黒髪に、涼やかささえ感じる清楚な雰囲気を持つ、まさに大和撫子のイメージを体現したような彼女の琴線に触れる風景なのかもしれない。
そんなことを思いながら、悠樹が少女の後ろ姿を見つめていると、
――ガシャン、と。
いきなり彼女が強くフェンスに額を当てた。
(……え?)
悠樹は眉根を寄せた。
(御門さん? まさか立ち眩み?)
想定外の事態に少し動揺しつつも、彼女の方へと近づくが、
「……もう二週間も経ったのですね」
彼女の独白の前に足を止めた。
(……御門さん?)
困惑する悠樹が背後にいることにも気付かず、翔子の独白は続く。
「……この二週間、誰とも話をしていません」
それは、かなり深刻そうな声色だった。
「まさかここまで影響が出るなんて、これではまだあの頃の方がマシです」
言って、より強くフェンスに額を押し付けた。
「……怖い、です」
少女は、ポツリと呟く。
「四六時中、ずっと突き刺さる嫌悪と敵意の視線は……。無視はもっと怖い。私は幽霊ではないんです。ここにいるんです」
「………………」
悠樹が言葉もなく立ち尽くしていると、彼女の肩が小刻みに震え出した。
「……明日、2クラス合同の実技の時間が来ます。絶対に無理です。事前にスリーマンセルを組んでおくなんて無茶すぎます。私にはツーマンセルだって……。私は、私はずっと一人で、だから今回も……」
そこで、彼女は力尽きるようにフェンスに寄りかかって両膝をついた。
そして強く、強く唇を噛みしめると、
「……もう嫌です……だれか、だれか助けて……」
ただ、そう呟いて。
静かに嗚咽を上げ始めた。
(……御門、さん)
悠樹は、ただただ彼女の小さな背中を見つめていた。
それは初めて見る彼女の姿。十五歳の少女のありのままの姿だった。
(……そういうことだったのか)
この様子を見れば一目瞭然だった。
彼女は今、本気で嗚咽を上げている。明らかに憔悴しきっていた。
きっとこの二週間、辛いのを懸命に我慢してきたのだろう。教室で見せていた泰然とした態度はすべて表層だけの演技だったということだ。
(……神槍の守護者であること。それに彼女自身の未来も……)
彼女の背負っているモノは、とても大きくて重い。
だからこそ入学式の日。思わず虚勢を張ってしまったのだろう。
そんな風に考えると同情心も湧いてくる。
だが、本来この少女は神槍を奪取する上での最大のライバルだった。最も警戒すべき人物であり、隙あらば蹴落とすべき相手だった。
ここは、彼女をより追い込めるチャンスと受け取るべきだった。
そうすれば、三年後の神槍争奪戦が断然有利になるのは確実だった。
(……だけど……)
悠樹は唇を噛んで、拳を強く固めた。
そんなことを平然と実行できるほど、悠樹の心は強くなかった。
結局のところ、あんな大層な異名に反して、自分は骨の髄まで甘いのだ。
泣いている少女を、さらに追い込むことは出来ない。
そして何も見なかったことにして、ここから立ち去ることさえも出来なかった。
(……なんて緩い覚悟だ)
自分でもうんざりしてくる欠点だ。けれど、やはり放置だけは出来なかった。
悠樹は、震える翔子の背中に声をかける覚悟を決めた。
「……あの、御門さん」
「――――ッ!?」
ビクンッと肩を震わせて、翔子は悠樹の方へと振り向いた。
愕然とした少女の表情。彼女の顔を見て、悠樹は少し息を呑んだ。
整った細い眉に桜色の唇。理想形を求めた人形もかくやといった鼻梁。白い頬を微かに上気させて、瑠璃色の瞳から涙を零す彼女は見惚れるぐらい美しかった。
こうして面と向かって構えると、彼女は想像を絶するほどに綺麗な少女だった。
呼吸さえも忘れる悠樹に対し、翔子はごしごしと必死に涙の跡をこすった。
彼女の顔色は少し青ざめている。
まさか、後ろに人がいるとは考えてもいなかったのだろう。
「……な、何故、ここに人が……」
困惑の声を上げながら、両手でひとしきり涙を拭い終えると、彼女は膝の汚れを払い、毅然とした態度ですっと立ち上がった。そして、
「………確か、私と同じクラスの生徒ですね。いつからいたのですか?」
翔子は冷淡にも見える眼差しで、悠樹にそう尋ねた。
彼女の白い頬には未だ涙の跡こそ残っていたが、悠樹を見据える表情はすでに普段通りのものであり、実に泰然としていた。この立て直しの早さは本当に見事なものだった。これまで誰にも演技を悟られなかっただけのことはある。
「あ、ご、ごめん……」
それに対し、悠樹の方は「結構前からいたよ」と、気まずげな様子で答えた。
翔子は自分のあり得ない失態に、内心で渋面を浮かべた。
(……何て迂闊な)
よりにもよって、同じクラスの人間に醜態を見られるとは……。
数秒間だけ屋上に静寂が訪れる。と、
「……分かりました」
不本意ながらも、翔子は本題を切り出すことにした。
「それであなたの要求はなんでしょうか? 今の醜態を見なかったことにする代償に、可能な範囲であれば、あなたの要求に応えましょう」
と、感情が全くこもっていない機械のような声で告げる。
弱みを握られてしまったと考えた翔子は、とりあえず要求を叶えて見返りに口止めすることにしたのだ。善手でないが、ここはやむなしと割り切っていた。
ただし、もし眼前の同級生が過剰な要求をするのならば、強引な排除もいとわないとだけ決めていたが。
――が、そんな彼女の考えは悠樹も察していた。
一瞬だけ困ったような顔をした後、少年は小さく嘆息し、
「そうだね。なら一つ提案するよ」
「………提案、ですか?」
翔子が眉根を寄せる。やはり無理難題を押し付けてくるのか。
警戒する翔子をよそに、悠樹は苦笑を浮かべて言葉を続けた。
「うん。提案だ。御門さん。明日の合同実技だけど、僕さ、一人は1組の子と約束しているんだけど、もう一人はまだ決めてないんだ」
「……? それが何か?」
脈絡のない切り出しに、翔子は訝しげに眉根を寄せる。と、
「それが提案だよ。ねえ、御門さん。僕と一緒にチームを組まないかい?」
「…………え」
翔子は思わず悠樹の顔を凝視した。
それは彼女にとって想定外の提案であった。
まさか、嫌われ者の自分をチームメイトに誘ってくるなんて……。
「……チームですか……」
少し困惑するが、翔子としても願ってもないことである。
ただ、この少年の目的が分からない。
「……ありがたい申し出ですね」翔子は少年の瞳を見据えて言葉を続ける。
「ですが、何が目的なのです? 要求の代わりに私に恩でも売るつもりですか? それとも私の無様さを見て同情でもしてくれたのですか?」
と、少し探るような口調で尋ねる。ここで気を緩める訳にはいかなかった。
なにせ、すでにこの学園内は自分にとって敵だらけの場所なのだ。
油断させてから寝首をかく。
眼前の少年がそう企んでいる可能性は大いにあり得る。
翔子は表情の方は一切変えずに、心の中では警戒度を上げていた。
しかし、それに対する悠樹の返答は、
「……そうだね。はっきり言うと同情だと思う」
と、素直な気持ちを吐露することだった。
続けて、悠樹は何とも言えない微妙な表情を浮かべてから、ボリボリと後頭部をかくと、独白のように小さな声で言葉を続けた。
「その、君を見て凄く辛そうだと思ったから」
「…………え」
翔子は少年の言葉に呆気に取られた。が、数瞬後には微かに苦笑を浮かべていた。
ああ、なるほど。要するにこの少年は――。
ここに来て、翔子は悠樹の性格を大体ではあるが察することが出来た。
「……あなたは随分と人が良いみたいですね」
「え、いや、その、どうなのかな?」
と、一瞬気まずげな表情をする悠樹だったが、
「けどさ、御門さん」
不意に真剣な眼差しを向けて、翔子へと告げる。
「これって多分普通のことだよ。誰かが辛くて泣いていたら心配するし、同情だってするよ。声を掛けるには少し勇気が必要だったけど、僕には見過ごせなかった」
彼の表情は、とても真面目なものだった。
翔子は少し驚き、目を瞬かせた。
「……あなたは」
「僕は君を助けたいと思ったんだ」悠樹は言う。
「泣いてる君を放っておけなかった。けど、これは僕の傲慢な考えだ。ただの我儘だよ。だから提案が嫌なら別に断ってもいい。今日のことは誰にも言わないから」
「………」
翔子は無言で悠樹の顔を見つめていた。
そうして、
「本当に」少し躊躇いつつ、翔子は悠樹に問う。
「本当に、その提案でよろしいのですか? 迂闊に私に関わってしまうと、あなたまでクラスや学園中を敵に回しますよ」
きっとこの少年はかなりのお人好しだ。そう感じたからこそ忠告する。
すると、悠樹は少しだけ頬を引きつらせると、「ま、まあ、僕としてはクラスメイトの反応よりも由良の方が……」と誰にも聞こえない小声で呟いた。
「どうかされましたか?」
翔子が髪を揺らして小首を傾げる。と、悠樹はすぐにかぶりを振って。
「いや大丈夫。その、心配してくれてありがとう。けど僕の方は大丈夫だよ」
そして、悠樹は優しい笑みを見せて翔子に尋ねた。
「御門さん。どうかな? 僕の申し出を受けてくれるかな?」
長い沈黙が降りる。
翔子はかなり逡巡するが、ややあって「分かりました」と頷いた。
悠樹はにこっと笑った。
「うん。それじゃあ一緒にガンバろ。あ、その前に一言」
「……? 何ですか?」
怪訝そうに眉根を寄せる翔子に対し、悠樹は真剣な面持ちで告げる。
「今後はあまり無理をしないこと。一人で抱え込んでも本当に辛いだけだよ。助けて欲しいのなら、ちゃんと言葉にして届けないとダメだよ」
「……………」
気遣いまでしてくれる少年に、翔子は少し困惑した表情を浮かべた。
余計なお世話とまでは思わないが、心配のしすぎぐらいには感じる。だが、酷く落ち込んでいたのもまた事実だ。翔子は小さく息を吐くと「心に留めておきます」と答えた。
「うん。じゃあ、今後は、ちゃんと僕とかにも相談してね」
にっこりと悠樹は笑う。
彼の笑顔を前にして、翔子も流石に少し気恥ずかしくなってきた。
それに加え、さりげなく今後も自分が相談に乗ると言ってくれた少年の気遣いが素直に嬉しくもある。
ともあれ、育ちのいい彼女は呼吸を整えて気持ちを立て直し、
「色々と至らずご迷惑をお掛けするかも知れませんが、よろしくお願い致します」
「うん。僕の方こそ迷惑をかけちゃうかもしれないけど、よろしくね。御門さん」
二人は互いに友好的な挨拶を交わした。
こうして四遠悠樹は、御門翔子の念願である初めての友人になったのだ。




