プロローグ 誰も知らない戦い
一人の少女が夜を駆ける。
場所はビルが並び立つビジネス街だ。
そこは異国の地。繁華街でもあり、深夜であっても人が途切れることはない。
しかし、不気味なことに今は誰もいない。
人通りもなければ、自動車が通る気配もなかった。街の明かりさえも消えている。まるでゴーストタウンのようだが、今だけはそれも好都合だった。
誰の目も気にする必要もないため、彼女は公道を堂々と疾走していた。
――恐ろしく美しい少女だった。
年の頃は十六歳ほどか。
新雪を彷彿させる、ふわりとした白い髪。ラフにカットされたその短めの髪は右耳にかかる一房のみ少し長く、黒紐をダイヤグラムのようにして纏めている。眉やまつ毛に至るまですべてが白い。異相の少女だった。その上、彼女の瞳の色は紫水晶のように輝く紫色である。
身長は百四十五センチほど。かなりの低身長だが、そのスタイルは抜群であり、彼女はその魅惑的な肢体の上に全身タイプの黒いレギンスを纏っていた。
――いや、身に着けているのはそれだけではない。異質なモノがある。
彼女は左腕に細身の甲冑を装着していたのである。それは指先から肩までを覆う純白の甲冑だった。加えて翼を模した大きな弓も持っている。明らかに武装した姿だ。
そうして只人でないことを証明するように、彼女はさらに加速する。小柄な体で風を切り裂く。バイク相手でも並走できるほどの速さである。
その時。
――ゴゴゴゴゴゴッ!
轟音が鳴り響き、大地が震えた。遠方の上空にて粉塵が舞い上がる。さらに轟音が続く。恐ろしいことに誰かがビル群を薙ぎ倒しているのだ。
(――あそこか)
彼女は粉塵が舞う空を見やると、アスファルトを踏み砕き、大きく曲がった。向かう先はビル群の間だ。ビル群の間は視界を奪うほどの粉塵で覆われていたが、構うことなく壁へと向かって跳躍して強く蹴りつける。並び立つ左右の壁でそれを繰り返し、彼女は凄まじい勢いでビルを駆け上っていった。
そして彼女はビルの屋上も越えて、夜空へと跳びあがった。
空中で周囲を見やる。予想通りビルが倒壊している。
だが、探しているのはそれではない。
(見つけた)
彼女の紫水晶の瞳にそいつが映り込んだ。
ビル群の屋上よりも少し高い空中。そこにそいつはいた。
背中には大きく広げた黒い六翼。全身には真紅の全身甲冑を着た騎士である。
翼を持つことからして人間ではないが、姿も少し違う。両腕は長く、体躯は人の二倍はあった。背はやや猫背。脚は少しひしゃげており、右腕にはメイスを握りしめている。
仮に悪魔に甲冑を着せれば、このような姿なのかもしれない。鎧そのものも鋭利で歪な造形だった。凶なる紅騎士とでも呼ぶべきか。
滞空する六翼の紅騎士の周辺には、無数の光球が浮遊して輝いていた。紅騎士はおもむろにメイスを地上へと向ける。
直後、浮いていた光球が一斉に撃ち出されて地上を爆撃した!
地表と瓦礫が吹き飛び、幾つもの光爆が発生した。
すると、その光爆の中から何かの巨影が勢いよく飛び出していた。粉塵を貫き、青白い光を引いて飛翔する。一方、跳躍していた少女が近くのビルの屋上に着地したのは、ほぼ同時のタイミングだった。
巨影はビルに添うようにグングンと上昇する。そして屋上に至って彼女の前を通過すると、少女が立つビルを大きく旋回してから、さらに上昇した。六翼の紅騎士は黒い翼を羽ばたかせて巨影を追った。
そんな二つの異形を目で追いつつ、
(……ふふ)
少女は微かな笑みを零した。
彼が旋回した際、一瞬だけ視線が重なった。それだけで意図を理解できるほどに彼女たちの絆は揺るがないものだった。なにせ、恐らく世界でたった二人しかいない同胞なのだから。
(承知したぞ。妾がすべきことは)
少女は双眸を細めた。
どこからともなく純白の矢を顕現させて弓に番う。
その視線の先には、遥か上空で飛翔する六翼の紅騎士の姿があった。
(隙を作ろう。存分にやれ。妾の同胞よ。いや――)
凛として弓を構えた。そして、
(妾の愛しき人よ!)
――ゴウッ!
矢を射った。それは対物ライフルの弾丸さえも凌駕するほどの速度で紅騎士のこめかみに直撃した。数百メートル以上も離れた、不規則に飛翔する相手に狙って当てたのである。
空中で大きく仰け反る怪物。が、さらに衝撃が奔る。
動きを止めた刹那に、彼女は五連にわたって矢を撃ち放ったのだ。
連続のヘッドショット。流石にこれは紅騎士にも効いたようだ。
目論見通り、大きな隙となった。
――ズドンッ!
巨影の長く太い尾が六翼の紅騎士の胴体に炸裂する!
紅騎士は為す術なく地上へと吹き飛び、ビル群を次々と破壊しながら、地面に叩きつけられた。地中に埋もれ、地表が割れる。もはや隕石の落下だった。
巨影はさらに畳みかける。彼女が作ってくれた隙を十全に活用するつもりのようだ。
少女は、その様子をビルの屋上から見上げていた。
巨影は、今や影でなくなっていた。
煌々と輝くその姿はまるで星のようだった。
そして、巨大なる炎の槍――いや、炎の柱が地上へと解き放たれた!
標的は、地中に未だ埋もれている六翼の紅騎士だ。
炎柱は容赦なく直撃した。衝撃でビル群の窓は割れ、熱風が地上を駆け抜けた。
少女は、ゆっくりと降下してくる巨影を見やる。
ビルの屋上にいても余波の突風を受けたので、彼女はむすっとした表情を彼に向けた。恐ろしい異形姿の彼ではあるが、少女の視線に気付くと、少し気まずそうだった。今の姿では表情を読むことは出来ないが、それぐらいは簡単に分かった。
(まったくもう)
腰に片手を当てつつ、地上に視線を向けた。
彼が威力を収束して放った渾身の一撃。
六翼の紅騎士といえども、かなりのダメージを受けたはずだ。
彼女がそう思った時、
――ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
不意に、鐘の音が世界に響く。
少女も、上空にいる彼も顔色を変えた。この鐘の音はこれまで何度も聞いた。彼女たちにしか聞こえない鐘の音。奴らの『出現』の合図のはずだった。
少女は表情を険しくして、
「……まさか援軍、いや合流か? 奴ら、そんな真似が出来たというのか?」
『……流石に』
上空にて異形の彼が言う。
『いつまでも僕らに有利な条件で戦わせてはくれないか』
「まあ、これまでさんざん二人がかりで戦ってきたからのう」
古風な口調で彼女が嘆息する。と、
「結局、場所を変えてみてもまるで意味はなかったの。国外ならばと、わざわざ渡米までしたというのにな」
『由良』
滞空する彼が視線を向けて、少女の名を呼んだ。
『六翼の相手は僕だった。もし、この世界の権限が六翼の方にあるのなら、もしかしたら由良だけなら――』
「その先を言ったら怒るぞ。悠樹」
少女は腰に両手を置いて、半眼を向けた。
「妾だけ逃げ延びても意味がない。勝たねばいずれ死ぬだけじゃ。何よりも」
そこで彼女は暗く寂しい眼差しを見せた。
「もう一人ぼっちは御免じゃ。そなたのおらぬ世界などもう考えられぬ」
『……ごめん。由良』
一拍の間を開けて、彼は謝罪した。
『そうだった。一緒に生きよう。二人で生き延びよう。今日も絶対にだ』
「もちろんじゃ」
それに対して、少女はにかっと笑ってこう返すのだった。
「死ぬ時も。生きる時も。妾たちはいつも一緒じゃ。悠樹よ」
かくして。
今宵も戦いが始まる。
誰も知らない彼らの果てしなき戦いが。
夜はまだ明けない。その終わりは未だ見えない。
けれど、それでも彼らは信じている。
きっと。
きっと明日はやってくる、と。
読者の皆さま!
本作を読んでいただき、ありがとうございます!
本作は原点回帰するつもりで過去作を完全リメイクした作品となります。
かなり古い作品だったため、一度取り下げていたのですが、今回を機に設定や構成、文章などを大幅に見直しました。一応、完全新規で第2部まで想定しております。
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