第14章 忘れられた道
夜明けとともに、二人は森を抜けた。
そこに広がっていたのは——
道とも呼べない、岩と雪が折り重なった細い通路だった。
「……ここが、古い交易路」
リュカの声は低い。
かつては荷馬車が通り、商人たちの往来で賑わった道。
だが今は、崩れた岩と凍結した地面に覆われ、人の痕跡はほとんど残っていない。
「……確かに、誰も使っていないな」
「ええ。
理由は単純よ。
“自然が取り戻した”から」
足元の岩は不安定で、踏み外せば即座に滑落する。
岩壁には深い爪痕が刻まれ、獣の縄張りであることを無言で主張していた。
「ここからは、声も足音も最小限に。
獣は人より耳がいい」
「了解した」
二人は言葉を切り、慎重に歩を進める。
■自然の罠
しばらく進んだとき、リュカが片手を上げて合図した。
「止まって」
カイルは即座に動きを止める。
「……氷の膜が張ってる」
岩の隙間に、薄く透明な氷が広がっている。
雪に覆われて見えにくいが、一歩踏み込めば砕け落ちる。
「下は……?」
「深い。
落ちたら……骨じゃ済まない」
リュカは腰を落とし、短剣で氷を軽く叩く。
ピシッ と嫌な音が走った。
「ここは回り道する。
私が先に行くから、足跡をなぞって」
カイルは頷き、リュカの動きを一つひとつ覚えながら進む。
そのとき——
ゴロ……
どこかで小石が転がる音がした。
リュカの背中が強張る。
「……獣、いるわね」
「影狩りでは……ないか?」
「違う。
もっと……生き物としての“重さ”がある」
二人は岩陰に身を寄せ、気配を探る。
■巣に近づいた者
視界の先、岩棚の奥で何かが動いた。
灰色の毛並み。
太い前脚。
低く唸るような呼吸。
「……山狼」
リュカが小さく呟く。
「単独じゃないわ。
たぶん、巣が近い」
カイルは剣の柄に手をかけた。
「戦うべきか?」
「いいえ。
狼は無駄な戦いをしない。
でも……子がいる場合は別」
岩の影から、小さな影が二つ、三つ現れる。
「……しまった」
母狼だ。
巣を守るためなら、人にも躊躇なく牙を向ける。
低い唸り声が空気を震わせる。
リュカは一歩、前に出た。
「カイル、剣を抜かないで」
「だが——」
「信じて」
その声は、命令ではなく“共有”だった。
■狩人の選択
リュカは弓を下ろし、ゆっくりと両手を見せる。
狼の目が、彼女を射抜く。
睨み合い。
一歩でも間違えれば、即座に襲いかかってくる距離。
リュカは静かに地面に腰を下ろした。
カイルの心臓が跳ねる。
(無防備すぎる……!)
だが、リュカの声は穏やかだった。
「……大丈夫。
私は、あんたたちの獲物じゃない」
理解できるはずもない言葉。
それでも——声の調子、姿勢、視線。
狼は“敵意がない”ことを感じ取る。
しばらくの沈黙の後、母狼は一歩、後ろへ下がった。
だが目は離さない。
「……今よ」
リュカが小さく合図する。
二人は、ゆっくり、ゆっくりと後退する。
決して背を向けず、視線も外さず。
距離が十分に開いたところで——
母狼は唸り声を止め、子の方へ戻った。
■通過後
安全圏まで来たところで、リュカは大きく息を吐いた。
「……ふぅ……」
「……正直、生きた心地がしなかった」
「でしょ?
だからここは使われなくなったのよ」
リュカは少しだけ笑った。
「でも……無駄な血は流れなかった」
カイルはその横顔を見つめる。
「君は……剣を使わずに命を守った」
「狩人はね、
殺さずに済むなら、それが一番の“勝ち”なの」
しばらくして、リュカは真剣な表情に戻る。
「ただし——」
「?」
「ここから先は、もっと危険。
崩落地帯と、獣の縄張りが続く」
カイルは剣を握り直した。
「それでも進む。
——二人で決めた道だ」
リュカは一瞬だけ驚き、そして深く頷いた。
「……ええ。
じゃあ、行きましょう」
忘れられた交易路は、静かに二人を飲み込んでいく。
そしてその先で——
自然以上に“執念深い影”が、彼らの選択を待っていた。




