第11章 白霧の狭間で
リュカとカイルは雪林を抜けかけていた。
前方には薄い霧が漂い、光と影が揺れる《霧の窪地》が広がる。
「ここを抜ければ開けた場所に出られる……!
クロウは足を速めるはず……だから——」
リュカが振り返りかけたその瞬間。
サク……サク……サク……
一定のリズム、一定の歩幅。
徐々に迫ってくる獣のような気配。
リュカはカイルの腕を掴んだ。
「しゃがんで。絶対に動かないで」
二人は倒木の陰に身を潜め、息を殺した。
霧の向こうに——影が現れる。
細く、無駄のない歩み。
黒衣が風に揺れ、鋭い視線が前方を射抜く。
クロウ・ザハル。
噂に聞く影狩りの頂点ではなく、“死神”そのものが立っているようだった。
カイルは息を呑み、リュカは心臓の鼓動を抑えようと必死に呼吸を整える。
(……あの歩き方……ただの暗殺者じゃない)
足跡を踏まず、風の流れに逆らわず、音を残さない。
そのすべてが、“追跡される側の技術”を理解した者の動きだった。
クロウは霧の中で立ち止まり、周囲を見回す。
視線は獲物を探す獣のそれ。
だが獣よりも、遥かに理性的で冷たい。
遠くから見ているだけなのに、ぞくりと背中が震える。
「……リュカ……あれは……」
「喋らないで……!」
クロウの視線が、ふいに左右へ滑る。
そして——ほんの数秒、倒木の陰へ向く。
リュカの心臓が跳ねた。
(……見えてる……?)
そう錯覚するほど、鋭く、冷たい視線だった。
カイルも震えを抑えきれず、小さく拳を握る。
しかしクロウは次の瞬間、ふっと視線を外し、別方向へ歩き出した。
「……?」
リュカは息を止めたまま、わずかに身を乗り出す。
クロウは雪に触れることなく、まるで影のように森の奥へ進んでいく。
だがその背中は——まるで“知っている”かのように余裕があった。
(……わざと見逃した?
違う……あの男……この霧の中じゃ正確な位置は掴めない。でも——)
リュカは寒気に似た緊張を覚える。
(“狩りは長く楽しむもの”って顔してる……!)
クロウの歩幅、方向、速度。
すべてが「追い詰めるための計算」だった。
■クロウの気配が消えた後
完全に気配が消えるまで、リュカは数十秒待った。
そして深く息を吐く。
「……生きてる……私たち……」
カイルは額に汗を浮かべたまま、震えた声を出す。
「……あれが……影狩りの頂点……」
「気を抜いたら一瞬でやられる。
でも……今はまだ戦う気はないみたいね。
“追い詰める工程を楽しむタイプ”よ、ああいうのは」
カイルは唇を引き結ぶ。
「ゲームのように……?」
「そう。
逃げる獲物がどこまで耐えるか……観察しながら狩るタイプ」
リュカは立ち上がり、雪を払う。
「嫌な癖してるわね……」
「……でも、なぜ視界に入ったはずなのに気づかれなかった?」
リュカは苦い表情を浮かべた。
「気づかれなかったんじゃなくて……」
少し間を置いて言う。
「“気づいたうえで、殺す必要がないと判断された”のよ。
まだね」
カイルの背筋が震える。
「どういう意味だ……?」
「あなたの歩幅、足跡、疲労度……全部分析してる。
きっと、“まだ追える状態じゃない”と思ったんでしょうね」
「つまり……」
「“もっと追い詰めてから殺す”って意思表示よ。
あの男……遊んでる」
静かな森の中で、リュカの言葉が雪のように冷たく落ちる。
「……カイル。
次にあいつと会ったとき……たぶん逃げ切れる保証はない」
「……それでも、進むしかないのだな」
「ええ。
でも——」
リュカは振り返り、カイルの胸を軽く拳で叩いた。
「次は、絶対に私から離れないこと。
あいつは、あなたを狙ってる」
「わかった」
カイルは真剣な眼差しで頷いた。
視線が交わる。
その間に、ほんの少し勇気が流れた気がした。




