第10章 狩人の道
森の奥から響く足音は、確実にこちらへ向かっていた。
笛のような音は止み、代わりに雪を踏む規則的な圧が迫る。
リュカは後ろのカイルに短く告げる。
「ここからは……走るより、“騙す”わよ」
「騙す?」
「ええ。追跡者の足を止めるには、戦う必要はない。
狩人はね……“獲物を仕留める前に焦らせる”ものなのよ」
その言葉に、カイルは唾を飲んだ。
「私についてきて。音を立てずに」
リュカは雪を蹴らず、滑るように走り出す。
狩人特有の足運びで、足跡を最小限に抑える。
■仕掛ける罠①:足跡の分散
まずリュカは、わざと雪の深い場所で足を止める。
「ここ、私だけ別方向へ進むわ。
あなたには……こっちに足跡をつけてもらう」
「偽装か?」
「そう。影狩りは跡を追うプロ。
本物っぽい跡を残せば、しばらく時間を稼げる」
リュカは素早く枝を折り、雪の上に騎士の足跡に似た形をつけていく。
カイルの靴底のパターンも確認して、偽装を完璧にする。
「すごいな……本物と区別がつかない」
「でしょ。でも、まだ不十分」
リュカは少し離れた場所へ回ると、雪に自分の足跡“だけ”を軽く残し、林の奥へ向かって歩き始めた。
「追跡者は、軽い足跡の方を警戒する。
だからこそあなたの重めの偽足跡が“本命”に見えるはずよ」
「なるほど……相手に選択を押し付けるわけか」
「そういうこと」
■仕掛ける罠②:雪木の罠
しばらく進むと、リュカは倒れかけの木の前で立ち止まる。
雪に埋もれた根元を確認し、笑みを浮かべる。
「これは使える」
「どうやって?」
リュカは少し雪を掘り、木の根元に仕掛けを作り始めた。
倒木に縄の代わりの蔦を巻き、引っ張れば木が雪と共に崩れ落ちるように調整する。
「これは“重さの罠”。
追跡者がこの辺りで足を止めると……木がまともに落ちるわ」
「怪我を負わせるためか?」
「いいえ。動きを止めるだけよ。
影狩りはスピードが命だから、ここで一度立ち止まったら大きなロスよ」
手際の良さは、戦場ではなく“狩り”の経験から来るものだった。
■仕掛ける罠③:雪煙の道
さらに進むと、急な斜面の手前でリュカは足を止めた。
「ここ、雪が不安定ね……いいわ」
リュカは木の枝で雪を軽く崩し、斜面にわざと“薄い雪膜”を作る。
「ここを通ると、影狩りは雪を踏み抜いて派手な雪煙を上げる。
その煙を見れば、私たちは位置を確認できる」
「つまり……逆に追跡するのか?」
「逃げるには、敵の位置を知るのが一番よ。
走りながら背中は見られないでしょ?」
カイルは静かに頷く。
「……本当に君は頼もしい」
「そう思うなら……ちゃんとついてきて。
あなたを置いていく気はないんだから」
■罠を張り終えた後の緊張
すべての罠を仕掛け終えたあと、リュカは木陰に身を潜め、カイルを隣に手を引いた。
「……あとは待つだけよ」
風が止み、森は不気味な静寂に包まれた。
遠くで、雪を踏む音が近づいてくる。
サク……サク……
カイルが息を飲む。
「来たか……!」
「まだよ。息を殺して」
足音は最初の偽足跡の方向へ向かっていく。
しばらくして——
バサッ!!!
倒木の罠が見事に決まった音だ。
続いて、怒ったような低い声。
「……隊長、木が……!」
「かかった……!」
リュカの目に光が宿る。
しかし、その直後。
サク……サク……
もう一つの足音。
先ほどの音よりも重く、静かで、規則的な歩み。
リュカの背筋が凍った。
「この足音……」
「どうした?」
「偽足跡に騙されてない……
まっすぐこっちを向いてる……!」
カイルの目が見開かれる。
「……クロウか……!」
リュカは即座に判断した。
「走るわよ!!」
二人は再び雪林へと駆け出した。
背後から聞こえる足音はただ一つ。
静かで、獣のように息を乱さない。
そしてリュカは悟った。
——この追跡者は、罠など最初から読んでいる。
“あの男”は、狩られる側の技術を熟知している。
それが何より、恐ろしかった。




