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第9章 凍りつく気配

翌朝。

風は穏やかで、空は薄灰色の雲がゆっくりと流れていた。

リュカとカイルは休憩地を後にし、川沿いの林へ足を踏み入れる。


「今日の目的地は、この林を抜けた先にある岩場よ。

風を避けられるし、隠れ場所も多いから」


「了解した。昨日より体は軽い。歩ける」


「調子に乗らないで。……でも、いい傾向ね」


会話は穏やかで、しばらくは雪を踏む音だけが響いていた。


しかし——

ある地点を過ぎた瞬間、リュカの表情が変わった。


「……止まって」


カイルも緊張して立ち止まる。


「どうした?」


「……鳥の声がしない」


静寂。

風も吹いているのに、梢は揺れず、雪の上には小動物の足跡すらない。


「この林、昨日も通ったのか?」


「いいえ。でも、普通は何かしら生き物の気配がある。

鳥、兎、狐……何もいないなんておかしい」


「影狩りの仕業か?」


「……分からない。でも、何かが“近くにいる”」


リュカは腰の弓に手をかけ、慎重に周囲を見る。

木々は静まり返り、霜が薄く枝にこびりついている。


「足跡を確認するわ。ついてきて」


二人は雪面を調べ、進む方向を確かめるように歩いていく。


そして——

リュカがある一点で足を止めた。


「……これ」


そこには、雪にわずかに残った “踏み跡” があった。

深く沈み、形は大きく、歩幅は一定。

だが、普通の旅人のものではない。


「カイル、この踏み跡……あなたの靴と似てる」


カイルは目を細め、跡を見比べる。


「だが、サイズが僅かに違う」


「そう。“騎士用の防寒靴”よ。あなたと同じ種類。

でもこの踏み跡は……あなたより少し重くて、歩幅が長い」


「つまり……」


「騎士クラスの男がここを通ったってこと」


カイルの背筋に冷たいものが走る。


「……影狩りの中に、騎士経験者がいるのか?」


「分からない。でも、この踏み跡の深さ……」


リュカは雪面に指を当て、固さを確かめる。


「——つい最近 のものよ。

数時間……もっても半日以内。

つまり今もこの近くにいる」


その言葉は、雪原より冷たく響いた。


■不意の“音”


沈黙を破ったのは、遠くの雪を踏む微かな音だった。


サク……サク……


まるで誰かが慎重に歩いているような、規則的な足音。


カイルは声を潜めて言う。


「来ている……!」


「まだ方向がはっきりしない。

でもあの歩き方……普通じゃない」


リュカは低く身を屈め、木陰へとカイルを引き寄せる。


「隠れるわよ。息を殺して」


カイルは頷き、リュカの指示通り雪の窪みに身を沈める。

背後の木々が、微かに揺れた。


そして——


ひゅ……う……


冷たい風に乗って、どこかから“笛のような音”が響いてきた。


カイルの顔が凍りつく。


「……この音……」


「知ってるの?」


「はい。影狩りの中でも、追跡特化の者が使う“合図”だ。

獲物との距離を測り、仲間に知らせるための……」


「やっぱり来てるのね」


リュカの声は平静を装っていたが、指先はわずかに震えていた。


■足跡の“違和感”


そのとき——

リュカは足跡のもう一つの特徴に気付いた。


「この跡……普通に歩いてないわ。

ほら、つま先が少しだけ上を向いてる」


「それは……?」


「走る準備をしてる人の歩き方よ。

つまり……“私たちを見つける気でいる”」


カイルは唾を飲み込む。


「見つけたら、間違いなく殺しに来る……」


「ええ。でも……ね」


リュカは雪を払って立ち上がった。


その表情は、恐怖よりも強い意志に満ちていた。


「こっちも簡単には捕まらないわよ。

狩人をなめないでほしいわね」


その目に宿る光は、戦場を渡り歩いた者のものだった。


「反撃はしない。ただし、逃げ切るための道は作る。

カイル、私のすぐ後ろを歩いて」


「もちろんだ」


再び風が吹き、笛の音が遠くで消える。


だがその静けさは、“安心の静寂”ではなく——

捕食者が忍び寄る直前の静寂 だった。


そしてリュカは知っていた。


影狩りのリーダーが動くとき、“逃げ道はひとつも残らない”。


その事実が、雪林の冷気よりも冷たく彼女の胸を刺した。

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