第8章 束の間の温もり、迫る影
■小さな休息
逃走から翌日。
リュカとカイルは雪林を抜け、比較的風を避けられる丘の裏側に小さな休憩地を見つけた。
雪を掘って作った小さな窪地に、リュカは手際よく枝を組み、焚き火を起こす。
「今日は……ここで休憩にしましょう。
この先は開けた氷原が続くから、夜に動くのは危険よ」
「助かる。少し身体が重い」
「無理もないわよ。昨日あれだけ走ったんだから」
リュカはスープを煮立たせ、カイルは薪をくべながら手伝う。
そこには、以前のようなぎこちなさはなかった。
炎の前で、二人の距離は自然と近くなる。
「……君は、本当に頼もしいな」
「は? 急に何?」
「昨日からずっと思っていた。
恐怖しても、痛みに耐えても、君は前に進む。
私には……それが眩しい」
「やめてよ。眩しいなんて言われたの初めてなんだけど」
「事実だ」
素直すぎる言い方に、リュカは思わず顔をそむける。
「……ほんと、真っ直ぐすぎて困るわね。
なんでもすぐ言葉にするんだから」
「言わなければ伝わらないだろう」
「そうだけど……そうだけどね……」
リュカは唇を噛んだまま、スープをかき混ぜ、ぽつりと呟いた。
「……昨日の夜のこと、忘れていいわよ?」
「忘れない」
「なっ、忘れなさいよ! 恥ずかしいんだから!」
「嫌だ」
カイルはまっすぐに言った。
「君が弱さを見せてくれたのは……私にとって、とても大切なことだ」
「……ずるいわね」
リュカは照れを隠すようにフードを深くかぶり、
だが、頬はほんのり赤く染まっていた。
■旅の穏やかな場面
食事を終えると、二人は足元の地図を広げてルートの相談を始めた。
「明日はこの川沿いを進むけど、凍っているとはいえ油断は禁物よ。
氷が薄いところを踏むと、あっという間に落ちるから」
「君が先を歩いてくれれば安心だが」
「それはいいけど……あなたも少しずつ覚えなさいよ?
この先、私が怪我する可能性だってあるんだから」
「……その可能性は考えたくないな」
「考えなさい。旅ってそういうものでしょ」
カイルは静かに頷く。
「わかった。リュカの技術を学ぶ。
帰るまでに、君の足を引っ張らぬようにしたい」
「うん。……それでいい」
リュカは微笑んだ。
それは、氷原の寒さの中でも温かさを灯すような笑みだった。
■しかし、それを遠くから見つめる影
——同じ頃。
リュカたちの足跡をたどり、白い斜面に黒い影がひとつ近づいていた。
クロウ・ザハル。
彼は雪を踏みながら、何の迷いもなく一直線に進む。
「……炎の匂い」
小さな丘を登った先、微かに漂う焚き火の香りを捕らえる。
その奥には、足跡が二つ並んで伸びていた。
「距離は……おそらく半刻ほどか」
クロウは膝をつき、雪面を指でなぞる。
「足跡の深さが……少し違うな。
女の方が荷を多く持っている。
そして、騎士長の歩幅が安定している……回復しているということか」
分析は正確で、冷徹だった。
「……厄介な女だ。
騎士長の歩調に合わせて進み、痕跡を一定にしている」
クロウの口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「だが——
君の努力も、ここで終わりだ」
風が雪面を撫で、影が一瞬揺れた。
「逃げてもいい。
だが逃げ道は、もう全て私が塞いだ」
クロウは静かに立ち上がった。
「次に追いついた時……
騎士長、お前の命は確実に落とす」
氷原の果てを見つめる瞳は、獲物を捉えた獣そのものだった。
■場面は再び二人へ
一方その頃、焚き火のそば。
リュカは背中を伸ばし、大きくあくびをする。
「そろそろ寝るわよ。明日も長距離歩くんだから」
「任せてくれ。君の歩幅についていけるよう努力する」
「そうして。……でも、無理はしないでね」
風が弱く吹き、焚き火の火が揺れる。
その暖かさの裏で、
彼らの知らぬところで“影”は確実に距離を縮めていた。




