第7章 影を統べる者
夜が明け、氷原の彼方に淡い光が差し込む。
その中心に、黒ずくめの男がひとり、雪上に静かに立っていた。
名を——
《クロウ・ザハル》。
影狩りの中でも“最も危険”と恐れられる人物。
王国と隣国の水面下の争いにおいて、彼の存在は一種の伝説だった。
彼の足元には、崩れた氷瀑。
部下の一人が雪上に跪き、低い声で報告する。
「申し訳ありません、隊長……。
騎士長カイルと、その同行者を逃しました」
「……見ればわかる」
クロウの声は、冷気より冷たく、感情の影がない。
「足跡は二つ。途中で滑落……いや、自ら滑落したか。
勇敢か、無謀か……判断が難しいな」
雪を指先ですくい、わずかに目を細める。
「この滑り方……道理で追いつけなかったわけだ」
「罠かと思いましたが、自然の地形を利用しただけのようで……」
「地の利を得られる者は強い。
戦いはいつも、土地を知る者が勝つ」
部下たちは顔を伏せる。
クロウはしばらく沈黙し、風に揺れるコートを押さえながらゆっくり立ち上がった。
「——騎士長カイルは生かしておけない。
彼が王城へ戻れば、“計画”は確実に崩れる」
部下のひとりが口を開いた。
「ですが、隊長。なぜそこまで彼を——」
クロウの赤い瞳が部下を射抜いた。
「王が極秘に進めている“継承計画”。
その全容を知っているのは、王と、あの騎士長だけだ」
「継承計画……?」
「王国を混乱から救う鍵を握る後継者が存在した。
“王族の血を濃く継ぐ者”がな……」
クロウの瞳に一瞬だけ感情が宿る。
「だが、その存在は……ある者にとって邪魔なのだよ」
部下たちはざわめいた。
「我々の依頼主……つまり隣国の高官は、王国に内乱が起きることを望んでいる。
後継者が失われれば、王国は内部から割れる。
——それが奴らの思惑だ」
「そのために……騎士長を……?」
「彼は王の信頼を一心に受ける男。
そして後継者を守る任務を“唯一”任された者だ」
クロウは氷の柱に手を当て、低く呟いた。
「……だからこそ、彼が生きて帰ってはならない」
沈黙が落ちる。
クロウはゆっくりと部下たちを見渡した。
「敵は強い。狩人の女も熟練している。
だが——我ら《影狩り》は影より静かに獲物を狩る。
彼らがどれほど逃げても……必ず見つけ出す」
その声には揺るぎのない確信があった。
「隊長……具体的にはどう動きますか?」
クロウは雪上に落ちた小枝を拾い、何気なく折った。
「まず、彼らが向かうであろう“山間の通路”を押さえる。
狩人が選ぶ道は、氷原ではなく森林地帯が中心……
逃げ道はそう多くない」
「捜索隊を二組に分けますか?」
「いや、分散はしない。
この地では、情報の断片すら命取りになる」
クロウの瞳が細くなる。
「——私が先行する。
お前たちは痕跡を追え。
騎士長カイルを見つけ次第、知らせろ」
部下が息を呑んだ。
「隊長自ら……?」
「当然だ。あれほどの動きを見せる狩人……
私の手で直接確かめたい」
凍てつく風が吹き抜け、クロウの黒い襟を揺らす。
「獲物は逃げ続ける。
だが、逃げ場のない雪原で影から逃れられる者はいない」
その瞳には、ぞっとするほどの静かな殺意が宿っていた。
「ゆくぞ。
——狩りを始める」
影狩りたちは音もなく雪上に散り、
やがて白い世界に完全に溶けて消えた。




