第6章 弱さを許す夜
逃走から数時間後。
太陽が沈み、雪原には深い青の闇が広がっていた。
風は弱いが、空気は刺すように冷たく、焚き火の光だけが二人を照らしている。
リュカは火に当たりながら肩の包帯を押さえ、静かに息を吐いた。
「……はぁ……今日は本当に……疲れた……」
珍しく弱音ともつかない声が漏れた。
カイルはすぐに気づいたが、焦らず、そっと隣に腰を下ろす。
「大丈夫か? 痛みがひどいのか」
「痛いのは……まあ、いつものこと。
でも今日は……なんか……」
言葉を探すように、リュカは焚き火を見つめる。
「妙に、怖かったのよ……」
その言葉は、雪よりも静かに落ちた。
カイルは驚いたように目を見開き、しかし否定も反論もせず、彼女が言葉を続けるのを待つ。
「私……傭兵だった頃は、怖がる暇なんてなかった。
仲間が死んでも、怪我しても、自分が死にかけても……ただ前に進むしかなかったから」
火の粉がパチ、と跳ねた。
「でも今日……“守らなきゃ”って思っちゃった瞬間に……
足が震えたのよ。
あなたが後ろで息をしてるのを確認するのが……やけに怖かった」
リュカは胸の前で手を握りしめる。
「守れなかったらどうしようって……
また誰かを失ったらどうしようって……
そんなこと考えたの、何年ぶりかしらね」
カイルは静かに息を吸い、炎越しに彼女を見つめた。
「リュカ……それは“弱さ”ではない。
誰かを守りたいと思うのは、強さだ」
「いやよ。
強くなんてなりたくない。
強くなると……失うものが増えるのよ」
その声は、強がりの皮を剥いだ素のリュカだった。
「私はただ静かに生きたかったの。
誰かの命を背負うのなんて、もう……たくさん……」
声が震え、言葉がそこで詰まる。
カイルはそっと手を伸ばし、彼女の震える拳に触れた。
「……君は、ひとりで背負いすぎてきたんだ」
「なに……急に優しくしないでよ……」
「優しくするなと言われても、私は君の涙を見過ごせない。
たとえ君がそれを拒んでも——」
カイルは手を軽く握り、暖かさを伝える。
「——私は君を守りたい」
リュカはビクリと肩を震わせ、顔を逸らす。
「ば……バカ言わないで……!
あんたの方が怪我人でしょ……守るって立場じゃないのに……!」
「それでも言う。
私がここまで生き延びられているのは、君のおかげだ。
だから……これからは私にも、君を支えさせてほしい」
「……そんなの……」
リュカは肩に回された温もりをほどこうとしたが、指が力を失い、その手はただそこに留まった。
「そんなの……ちょっとズルいじゃない……」
「ズルくていい。
私は君に、私の弱さを許してほしい。
だから君の弱さも……私に見せてくれ」
リュカの唇が震え、視線が揺れる。
焚き火の赤い光が、彼女の頬の涙を静かに照らしていた。
「……やめてよ……そんなふうに言われたら……
もう、逃げられなくなるじゃない……」
その呟きは、凍える夜気の中でそっと溶けていった。
そして——
リュカは初めて、誰かの胸に預けるように小さく身を寄せた。
「……少しだけよ。
少しだけ……こうしてても、いい?」
「もちろんだ」
カイルは彼女を優しく抱き寄せ、二人はしばらく凍てつく夜を忘れた。




