第5章 白い息の向こうへ
氷瀑の裏側でひと息ついたものの、時間はそう多くはなかった。
洞窟の奥から微かに響く足音——雪を踏む沈んだ音が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
リュカは肩の痛みに顔をしかめながら、氷壁に耳を当てる。
「……まだ探してるわね。あの歩幅と音の重さ……三人のうち、一人はここへ向かってる」
「一人だけか?」
「残りは外で待ち伏せかもね。影狩りは連携が上手いのよ。
あんた、まっすぐ出たら囲まれるわ」
カイルは唇を引き結び、リュカの横顔を見た。
「君の肩は……平気なのか?」
「平気じゃないわよ。でも、動くしかないの」
そう言いながらリュカは懐から短剣を抜き、氷壁の裂け目にそっと近づいた。
「ここ、外に繋がってる。少し狭いけど……ここから出るしかない」
「だが、幅が……」
「私が通れるんだから、あんたも通れるわよ。文句言わない」
リュカは片肩を押さえながら身をねじ込み、カイルに目で合図する。
そのとき——
カツ……カツ……
洞窟の奥で、足音が止まった。
リュカの背筋に冷たい汗が流れる。
「来た……!」
その声と同時、洞窟に低く響く声が落ちた。
「……見つけたぞ、騎士長」
影狩りのひとり。
冷徹で、一片の感情も感じられない声。
リュカは振り返らず叫んだ。
「カイル! 先に行け!」
「だが——!」
「いいから行け!!」
影がすべるように接近してくる気配。
リュカは狭い裂け目をカイルに押しやり、自分も身体を潜らせようとした——
が、肩に鋭い痛みが走り、一瞬体が止まる。
「くっ……!」
その一瞬を逃さず、影狩りは短剣を振り下ろした。
ギィンッ!
リュカはぎりぎりで刃を受け止め、そのままカイルを突き飛ばすように裂け目へ押し込んだ。
「行けっ!!」
身体が裂け目に引きずり入れられ、リュカとカイルは氷洞の外側へ転がり出た。
だが追手もすぐに続く。
裂け目を通り抜けられるほど細身の暗殺者が、無言で迫ってきた。
■氷瀑の外での逃走
外気は一気に冷たさを取り戻し、氷の照り返しで視界が白く染まる。
「リュカ! しっかり!」
「平気よ……走れる……!」
リュカは痛む肩を押さえつつ、氷瀑の下から雪斜面へ走り出す。
カイルも転倒しそうになりながら必死についていく。
背後で氷を踏み砕く音。
影狩りがもうすぐそこまで迫っている。
「まずい……狭い道を抜けたら、ヤツの方が速くなる!」
「だから狭い道は使わない!」
リュカは雪斜面の端——
急角度の氷の滑り台のような崖へ走り込んだ。
「まさか……ここを滑るつもりか!?」
「そうよ! 文句は後で聞く!!」
リュカは深呼吸し、カイルの腕を掴んだ。
「しっかり掴まって!!」
「うわっ——!」
二人は一気に崖へ飛び込んだ。
ザァァァァァッ……!!
氷の斜面を高速で滑り落ち、周囲の景色が白い線となって後方へ流れていく。
影狩りも追おうとするが、斜面の角度が急すぎるため足が滑り、ついて来れない。
「よし……撒いたっ!」
リュカの声が氷原に響いた。
しかし次の瞬間、カイルが気づく。
「リュカ……着地先が……!」
「わかってるわよ!!」
斜面の終わりは、深い雪の溜まり——
その先には氷の割れ目が走る危険地帯。
「飛ぶわよカイル!!!」
「は!?」
「せーのっ!!」
ドォンッ!!
二人は雪の層に飛び込み、転がるように着地した。
すぐそばに裂け目が口を開けていたが、ぎりぎり届かずに済んだ。
しばらくして、リュカは雪の上に仰向けに倒れ込み、息を吐いた。
「……はぁ……っ……死ぬかと思った……!」
「私もだ……!」
二人は顔を見合わせ、緊張が解けて同時に笑い出した。
「……あんた、崖滑りがうまくなったじゃない」
「二度とやりたくない!」
雪上での笑いは短いものだったが、確かに二人を繋ぐ何かが深まっていた。
だがリュカはすぐに表情を引き締める。
「……まだ終わってないわよ。
影狩りは絶対に諦めない。
これからは、もっと警戒しないと」
「……あぁ。
だが、君がいれば私は——」
「変なこと言うな。前見て歩きなさい」
強がった声とは裏腹に、リュカの胸には確かな決意が宿っていた。
この男を、必ず王国まで届ける——。
雪原の白い息の向こうへ、二人は再び歩き出した。




