序章 ―寒波の谷に落ちた影―
本作は、剣と魔法の世界を舞台にした冒険譚ですが、
英雄譚や成り上がりの物語ではありません。
人を守ることから逃げて生きてきた狩人と、
役目に縛られて生きてきた騎士が、
冬の荒野を共に越える中で、
「どう生きるか」を選び直す物語です。
派手な展開よりも、
会話や心情の積み重ねを大切にしています。
静かな物語がお好きな方に、
少しでも届けば幸いです。
冬は好きだ。
静寂が深まり、世界そのものが呼吸を潜める季節。
かつて戦場の喧騒に身を置いていた頃には決して得られなかった、凍った空気だけが持つ安らぎがそこにはあった。
リュカは雪を踏みしめながら獲物を吊るした袋を担ぎ直す。
風は強いが、今日の吹雪は弱い方だ。キャンプへ戻り、焚き火を起こして肉を捌き、ゆっくり温かい湯でも沸かす。そんな平穏な夜になるはずだった。
――そのときだ。
空の上から、何かが落ちてきた。
最初は雪崩の起点かと思った。だが、音が違う。
沈むような低い衝撃音と、人間の喉から絞り出されるかすかな唸り声。
リュカの身体は反射的に動いていた。
雪原を蹴り、谷の縁へ足を運び、吹きだまりの窪地を覗き込む。
そこには――男が倒れていた。
重厚な鎧に包まれた男は、腕も脚も不自然な角度に折れ、息は白く細い。
生きているのが不思議なくらいの重症だった。
「……なんでこんな場所に、騎士が」
答える者は当然いない。
しかし、ここに放置すれば一刻ももたないのは明白だった。
リュカは歯を噛みしめる。
(私は戦場を嫌ってここに来たんだ。それなのに……)
それでも、見捨てるという選択肢だけは心に浮かばない。
溜息をつき、女は男を肩に担ぎ上げた。
驚くほど重かったが、不思議とその重さが彼女の決意を固めていく。
「……仕方ない。死なせるわけにはいかない」
吹雪の中、リュカは孤独なキャンプへ向けて歩き出す。
この救助が、数ヶ月に及ぶ旅と、思いがけない運命の始まりとなることを、まだ知らぬまま――。




