桜を見上げて問いかける
一つの大桜が咲いていた。この大桜の下にはかつて人を拐かしては殺す恐ろしい鬼がいた。何人も何人も、老若男女の区別なく、攫っては喰い殺すと伝えられる恐ろしい大鬼だった。
しかしあるとき何処からやってきた一人の巫女がこの大鬼を退治した。
これは巫女が大鬼を退治してからしばらくの時が経ったあとの話。
なぜあなたはあのようなことをしたのでしょう。
今日も巫女は一人、答えの分かりきった問いを空に投げかけては桜の樹を見上げる。ひらひらと舞い降りてくる桜の隙間から緑の葉が覗いていた。
ただこの桜の樹の下で待っていてくれればそれで良かったのに。
人に仇なせばいつかは殺されてしまう。そんなことは分かっていたはずなのに。
彼の首を埋めた桜の根元に目を向け、今日も巫女は一人で涙を流す。
すべては自分のせいだと理解しつつ。
それでも彼女は恨まずにはいられない。
あんなことをしなくても私はきっと戻って来たのに。
人を殺しては桜の根元にその死体を埋めていた凶暴な鬼。かつてはそんな鬼ではなかった。
人から隠れて桜を愛で、静かに暮らす鬼だった。それでも鬼は鬼。
時折姿を見られては、その姿を恐れた人々によって追い回されたりもしていた。
だがそれでも鬼は人を傷つけることなくただただ逃げて回っていただけだった。
そんな鬼だった。
そんな鬼だったはずなのに。
はらはらと流れる涙を止めようともせずに巫女は花弁を舞い散らせる桜を見上げる。いつか見たときと同じように枝の間からは月が見えていた。
鬼を変えたのは一人の女だった。巫女がこの地を訪う百と数十年も前の話だろうか。
生まれついて妖と同じ世界を見ることの出来る女だった。その目のせいで人の世界には馴染めない女だった。疎まれた末に生まれた村にあった魔除けの鈴や薙刀、白衣や袴を盗み出し、盗んだそれらに身を包んで巫女のふりして旅をする、詐欺師のような女だった。
人に疎まれた者同士、鬼の側は大層居心地が良かったのだろう。
だから最期を迎えるあのとき、身の丈を超える願いを口にしてしまったのだろう。
「……安心してください。私は、また会いに来ます」
「きっと、必ず。またこの桜が美しく咲くころに」
慰めだったのだろう。願いだったのだろう。
だがその言葉が鬼を縛った。
鬼はただ待ち続けた。何年も、何年も、何十年も。
その果てに、桜の下に死体を埋めれば美しくなるだなんて妄言を信じて人を殺して。
薄汚い盗人の分際で、身の丈を超える願いを口にしたから、すべてが手遅れになってからまた生まれることになったのだろう。
巫女はかつての自分を恨まずにはいられない。
あんな言葉を吐き散らさなければ、いまでも彼はここにいたはずだ。
巫女は桜の根元に目を向ける。
そこに眠る彼を思う。
今度は私が待つ番だ。何年だろうと、何十年だろうと。いや、たとえこの身が終わっても次の体で。
それが贖罪だと信じて。
そうすればいつかまた会いに来てくれますよね?
巫女は今日も、桜を見上げて問いかける。