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桜の中できみを見る

 先祖の罪で鬼に変じて以来泣いてばかりだった僕に、君は声をかけてくれたね。あれは言葉では表せないくらいに嬉しかった。

 それからの日々はとてもとても楽しかった。


 大きな桜の大樹の下で一匹の鬼が回想している。人よりも大きな自分の体。それよりも遥かに大きな桜の樹に身を預け、楽しかった日々を振り返る。

 鬼であるというだけで人の住む場所から追われ、鬼であるという理由で刀を、槍を、弓を向けられた。

 追われ追われてようやく人のいない場所でひっそりと咲く桜の樹に辿り着き、そこからずっと泣いていた。そこに彼女はやってきた。魔除けの鈴を鳴らし、長い黒髪を後ろに束ね、薙刀を背にした勇ましい姿だった。

 はじめは退治するために来たのだと言っていた。だが、気が変わったと。人に追われながらも人に手をかけることなくここまで逃げた鬼を見て、退治する気など失せてしまったと。

「あなたよりも私の方がはるかに人に迷惑をかけていますしね」

 そう言ってどこか寂し気に笑う彼女の顔は、鬼にはとても美しく見えた。

 しかし、楽しかった思い出は次第に悲しい最後に向かっていく。暖かな思い出だけに浸っていようとしても、手では川の水が流れるのを止められないように自分の意志ではどうしようもなく彼女の最期も思い出してしまう。


「ごめんなさい。ですが、人であるこの身にはどうしようもないことなのです」

 すっかり弱りきった体で、絞り出すように弱々しく君は言った。そして、また昔のようにいやだいやだと泣くしか出来ない僕を安心させるように君は笑ってこう言った。

「……安心してください。私は、また会いに来ます」

「きっと、必ず。またこの桜が美しく咲くころに」


 それはきっと鬼を慰めるための嘘だったに違いない。

 だが鬼はそれを信じて待ち続けた。何年も、何十年も。彼女と暮らした日々を回想し、それだけを支えにして。

 いつものように回想から覚めた鬼はふと思い立った。ひょっとしたら、まだ桜の美しさが足りていないのかもしれない。

 もっと美しくなれば、そのときは。

 鬼は桜の樹を見上げる。美しく咲き誇る桜はなにも語らないが、舞い落ちる花弁がその通りだと肯定しているようにも見えた。


 鬼は桜のそばを離れた。果たしてそれは何年ぶりのことだったろうか。

 人里に降りた鬼に、かつてのように刀が、槍が、弓が向けられる。しかし鬼はそれらの障害など意にも介さず、桜を美しくさせる方法を調べ、そして、こんな話を聞いた。

「桜の下には死体がある。桜があんなにも見事な花を咲かせるのは、その死体から栄養を吸っているからだ」


 ああ、そうなのかと僕は妙に納得した。

 だったら、もっと栄養を与えれば、きっともっともっと美しく咲くはずだ。

 そのためには。


 人里に人攫いの鬼の噂が流れ始めるまでにそう時間はかからなかった。

 鬼は人を攫っては殺し桜の下に埋めた。何人も何人も。老若男女の区別なく。

 その甲斐あってなのか、だんだんと桜は美しくなっていくように思えた。

 そして鬼が生きてきた中で一番見事に桜が咲いた年のある月夜。

 人は恐れて近寄らない桜の樹に向かってシャラン、シャラン、と鈴の音が近付いてくるのが聞こえた。

 その音を耳にした鬼は思わず桜の樹に任せていた身を引き起こして立ち上がる。

 そこには、長い黒髪を後ろに束ね、薙刀を手にした勇ましい姿の巫女が一人立っていた。


 ああ、ああ。本当にまた会いに来てくれた。

 滲む視界に、確かに巫女は立っていた。

 悲しげに顔を歪める巫女を見ながら、鬼の心は満たされていた。

 綺麗に咲いたから、またきみは来てくれた。


 薙刀が振るわれ、鬼の首が落ちる。

 雪のように降りしきる桜の中、巫女の姿を見ながら鬼は静かに息を引き取る。

「バカな(ひと)。こんなことしなくても私は……」

 彼女にそんな顔をさせてしまったことだけが、ただ一つの心残りだった。


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