桜の下には鬼がいる
『いやだ ぼくをおいていかないで』
「ごめんなさい。ですが、人であるこの身にはどうしようもないことなのです」
『いやだ いやだ』
「……安心してください。私は、また会いに来ます」
『ほんとうに?』
「ええ。きっと、必ず。またこの桜が美しく咲くころに」
大きな桜の大木があった。毎年春になるたびにそれはそれは美しく花を咲かせるのだが、それを楽しむ人は一人としていなかった。
なぜならその桜の樹の下には一匹の大鬼が棲み着いていたのだ。ただ鬼であるというだけで善良であるのならばそれで良い。
だがその鬼は、人を攫っては殺す恐ろしい鬼だった。退治しようにもその身体に刃は通らず、その腕の一振りで人の体は紙切れよりも容易く千切れ飛んだ。
鬼は時折桜の木を離れては人を攫っては殺しを繰り返し、付近に住む人々の恐怖の象徴になっていた。
あるとき一人の巫女が桜の近くにある村へとやってきた。薙刀を背負い長い黒髪を後ろで束ね、シャリンシャリンと涼やかな鈴の音を響かせながら歩くその姿に村人たちは息を飲む。
聞けば数多くの妖を調伏しながら旅をしているのだと言う。
旅の途中で人攫いの鬼の話を聞いたと語る彼女は、犠牲者を思ってのことだろうか、その顔を悲しみに染めながら村人へこう言った。
「かの鬼の暴虐、私が止めましょう」
それを聞いた村人たちは大慌てで彼女を止める。
これまでも数多くの巫女や陰陽師、武士などがかの鬼に挑んだがすべてあっさりと殺されてしまったのだ。中には音に聞こえた剛の者もいたのだが、鬼の前ではただの人と変わらなかった。
しかし巫女はその言葉を聞いても小さく笑みを浮かべるだけで止まることなく薙刀を携え鬼のもとへと向かっていった。
ああ、また鬼の犠牲者が一人。そう村人たちが嘆いた翌日。
巫女は村へと戻ってきた。大鬼の首を抱えて。
「これでもう彼の犠牲者は出ることはありません」
犠牲者を思ってか涙を流しながら巫女は言う。そして村人たちにこう申し出た。
「あの桜の下に墓を作ることを許してくれますか?」
村人たちはその言葉に賛成する。これでいままで鬼の犠牲になった者たちもようやく浮かばれるというものだ。
やがて鬼の犠牲者に対しての慰霊碑が出来ると、巫女は村人たちに、自分がここの墓守をすることを許してほしい、と願い出た。鬼を退治した巫女ならば適任である。
そうして村人たちが桜と慰霊碑の近くに建てた家へと巫女は移り住んだ。
その日の夜、巫女は鬼の首を抱えて桜の下へとやってくる。そしてその首を桜の根元へと埋めた。
「ああ、本当にバカな鬼」
人の死体を埋めると桜がきれいに咲くと聞いたんだ、きれいに咲いたからまた君が来てくれた。
そう言って屈託なく笑う鬼の顔を思い出しながら、巫女は一人で泣き続けていた。