第九話 距離と深読みとネガティブ爆発
——避けられている。
シャオジー・ベイガンはそう確信していた。
たとえば、目が合ったとき。ジージーお兄様は、以前は微笑んでくださったのに、最近はすぐに逸らされる。
たとえば、声をかけたとき。あの一拍の沈黙——言葉を選んでいるのではない。私と話すこと自体を、逡巡しておいでなのだ。
たとえば、たまたま出くわした廊下でも、以前は「お茶でも」と誘ってくださったのに、今ではただ「ごきげんよう」とだけ。秒で立ち去られてしまう。
あまつさえ、この前の集まりでは……!
(——なぜ!? あの場で、私の隣が空いていたというのに!? なぜ反対側の席を!? まさか、視界に入れたくない……? お兄様、そうなのですか……!?)
——これはもう、確定。
ジージーお兄様は、私のことを避けていらっしゃる。
ついに、ついに限界が来てしまったのだ。ネガティブは伝染るという説が、とうとう立証されてしまったのだわ……!
「……あの、お兄様」
「ん? どうした、シャオジー嬢」
いつも通りの微笑み。それが、逆に怖い。
「……最近、距離、ありませんか?」
「距離?」
「物理的な。精神的な。あと、感情的な」
「……それ全部含めると、だいたい“疎遠”って言葉になるね」
「つまり、避けられているような気がするんです!」
「いや、それは誤解で——」
シャオジーはおずおずと口を開き、そこから一気に暴走した。
「やっぱりあのとき、お茶会に行ったのがいけなかったんですね。ごめんなさい。ツオチャ様に唆されて、つい話しすぎてしまったのが……あれがジージーお兄様の逆鱗に触れて、激昂して、失望して、婚約解消まっしぐらで!」
「シャオジー」
「お兄様はもっと理知的で、前向きで、完璧な女性が——」
「シャオジー、落ち着いて」
「でももう遅いんです! あのときの紅茶、きっと“最後の晩餐”のつもりだったんです! 香りがいつもより哀しかったですし!」
「それは姉さんの新作ブレンドだよ……」
「もう全部終わりなんです。婚約も、ラーガン家も、未来も、わたくしの社交界的命運も……!」
ジージーは思わず息をついた。これは“想定の範囲外”というやつだった。
「……シャオジー」
「はい……?」
「君が話してくれたこと、俺は嬉しかったよ」
「……え?」
「俺の“笑顔の裏”を見抜いてたことも、疲れてたときに紅茶をそっと出してくれたことも。……ちゃんと、覚えてる」
シャオジーは、何かが崩れそうになるのを感じた。あのとき、見てしまったと自分を責めた私を、責めていない人がいた——そんな事実が、信じられなかった。
「君の妄想は、まあ……飛びすぎてるけど」
「……はい」
「でも、君の優しさと注意深さは、僕の支えだ」
その一言に、胸がぎゅっと痛む。
「……ツオチャ姉さんがあれこれ仕掛けているみたいだから、なんだか君に申し訳なくて。ちょっと距離を置いてしまったのは、僕のほうだ。ごめん」
謝られるなんて思っていなかった。むしろ、自分の妄想の奔流に付き合ってもらっているだけだと思っていた。
「でも僕は君のこと、嫌いになったりなんてしてない。むしろ——」
言葉が止まる。ジージーは少しだけ視線を外し、再び彼女を見る。
「むしろ、もっとちゃんと知りたいって思ってる」
「……わたくし、そんな、お兄様に知りたいと思ってもらえるような人間じゃ……!」
「シャオジー、もし君が僕に避けられて寂しいと、少しでも思ってくれたなら、僕は嬉しい。僕は君のネガティブなところも、ちゃんと好きなんだ」
「……えっ、え、ええええっ……!?」
「言っちゃったな……」
ジージーは、どこか困ったような笑みを浮かべた。だがその目には、確かな意志が宿っていた。
「お兄様、今の……聞き間違いじゃ……」
「聞き間違いなら、もう一度言おうか?」
「ちょ、ちょっと待ってください、心の準備が……!」
「じゃあ、準備ができたら、また話そう。君が逃げ出さなければ、だけど」
「うぅ……逃げたい……けど……少しだけ、踏みとどまってみます……!」
それは、小さな一歩だったかもしれない。
けれど、確かな一歩だった。
シャオジーはネガティブをちゃんと言葉にできる子