最終話 『超ネガティブ令嬢シャオジー・ベイガンの結婚』
「……それで? タイトルは本当にそれでいいんですか、ツオチャ先生?」
編集者の問いかけに、ツオチャ・ラーガンは紅茶のカップを傾けながら、くすりと笑った。
「ええ、確信したの。“婚約”じゃ、もう収まりきらないわ」
「ですが、先生。まだご本人たちの関係も、世間的には――」
「関係ないわ。だって、私には見えたもの。あの子が、もう“妄想”に逃げずに、自分の気持ちで立ち向かった瞬間を」
机の上には、真新しい原稿用紙の束。表紙には大きくこう書かれていた。
『超ネガティブ令嬢の結婚』
編集者は思わず息を呑む。
「……もう“結婚”まで書くおつもりで?」
「書くんじゃないわ。彼女たちが“生きた”の。私は、それをちょっと脚色して、書き留めてあげるだけ」
窓の外には、初夏の陽光。庭の薔薇が風に揺れている。
「ツオチャ先生、本当に見ていたんですね。彼女のことを」
「ええ、だから私は証人よ。どこまでもネガティブだったあの令嬢が、現実に踏み出した瞬間の」
そして、筆を執る。
その物語の結末を、“彼女の本当の名前”で――
――それは、ツオチャが原稿の表紙に『結婚』の文字を書きつけた、ちょうどその頃。
シャオジー・ベイガンは、白薔薇の咲き誇る庭園のベンチに座っていた。手には、まだ読みかけの本。けれど、目線はページではなく、その隣にいる男の横顔に向いている。
「……やっぱり、わたくしの“悲劇の先取り”などいずれは飽きられてしまうのでしょうね」
「またそんなことを言う」
呆れたように、けれどどこか優しく、ジージー・ラーガンが笑った。手には紅茶のカップ。もう何度目かわからない、二人きりのティータイムだ。
「僕は君に“飽きる”どころか、毎日驚いてるよ。よくそんな悲観的な未来予想図を次々と……というか、今日は“倦怠期妄想”ですか」
「ええ、次の妄想シナリオは、“倦怠期を悟った男に微笑みながら別れを告げる令嬢”ですの。泣きながらも凛として、ふふ……ふふふ……」
「やめて。君が笑うと本当にありそうに聞こえるから」
ジージーは肩をすくめて笑う。だが、目はまっすぐにシャオジーを見ていた。
「でもさ、それでも僕は……その令嬢に、結婚を申し込むよ」
その一言で、シャオジーの思考が、空白になった。
「……え?」
「なんて顔するの。冗談みたいな毎日だけど、僕にとっては本気のプロポーズだよ、シャオジー」
プロポーズ。
それはロマンティックな言葉で、きっと多くの令嬢が夢に見て、胸に秘める瞬間――。
だが、シャオジー・ベイガンの脳内には、想像しうる限り最悪のパターンが一瞬で並んだ。
(これは罠……いえ、試練……まさか“嘘から始まる悲劇の幕開け”? もしくは、彼が誰かと賭けを……)
「……あの、念のため伺いますけれど」
「うん?」
「これはその……“社会的責任”とか、“悪評回避”の一環としての、形式的プロポーズではなくて……?」
「違うよ。僕の意思で、これからも君といたいと思ったから言ったんだ」
ジージーの声は穏やかで、曇りがなかった。
「ツオチャ姉さんの本の中で、どんな風に僕たちが描かれようと構わない。でもね、現実の僕は……君と、現実のシャオジーと、一緒に未来を歩きたいと思ってる」
シャオジーは言葉を失った。
(なぜ……なぜ、こんなにも穏やかに、まっすぐに、私なんかに……)
彼女の中で、“自分などが幸せになってはいけない”という信念が軋みを上げる。
でも。
(私……本当は、彼といると、嬉しくて、怖くて、でもやっぱり、嬉しくて……)
手が震える。けれど、言葉を紡がなくては。
逃げずに、自分の気持ちを、言葉にしなくては。
「……わたくし、きっとこれからもネガティブですわ。変な妄想もしますし、泣きますし、拗ねますし、きっと面倒な女ですのよ」
「知ってる。君は生粋の“超ネガティブ令嬢”だからね」
「そ、それでも……! それでも、よろしいと仰るのなら……」
シャオジーは、ジージーの差し出された手を、そっと取った。
「……わたくしで、よろしいのですの?」
「もちろん。君が、いいんだ」
ジージーは笑った。
それは、シャオジーが何度も夢で描いた、でも決して届かないと思っていた未来の入り口だった。
――というわけで、新シリーズ『超ネガティブ令嬢の結婚』、ここに完結!
読み終えたあなたには、きっとこう言ってもらえるでしょう。
「なんだかんだで、令嬢は幸せになった」と。
でもね、私は知っているの。
彼女が、いちばん戦ったのは、自分自身だったってことを。
そしてその戦いは、結婚してからも、きっと続くのよ。
それでも、ふたりでなら――。
愛と妄想と紅茶の香りに包まれて。
そんな未来に、乾杯!
本編完結
あと二話ほど番外編を




