第一話 不吉な春の婚約話
見切り発進気味に
誰かキャラクター名の遊びに気づいてくれると嬉しかったり
「……わたくし、近いうちに断頭台へ送られるのかもしれません」
社交サロンの片隅。春の陽気とは程遠いほど憂鬱な顔で紅茶を見つめるのは、私――シャオジー・ベイガンである。
「はあ……またですか、シャオジー嬢」
軽くため息をついて、向かいの席から笑い声をこぼしたのは、ジージー・ラーガン。私の婚約者、ということになってしまっている男だ。あくまで“仮初の婚約”だと、私は主張したい。
なにせ、この婚約話が持ち上がってからというもの、日々起こることのすべてが、何らかの破滅の前触れに思えてならないのだ。
「お屋敷の門扉がぎぃと鳴ったのです。これは不吉の兆しです。あと三日以内に、親戚が破産するとか、馬車が横転するとか、炎上するとか……」
「それ、前から鳴ってた音じゃなかったかな」
「それを言ったら夢がありませんわ」
彼はくすりと笑ってカップを口に運ぶ。憎らしいほど前向きで、自信に満ちた微笑み。そのくせ、何を言っても怒らない。むしろ“また始まった”くらいの顔で、すべてを受け流してくるのだ。
まったく、なんなのだろう、この男は。
ジェラルジー・ラーガン。上級貴族ラーガン家の長男にして、王都では知らぬ者のいない外交の星。だが子どもの頃から名前が舌を噛みそうだったせいで、周囲の者たちが“ジージー”と呼び始め、今では本人すらそう名乗っている。
──まるで親しみやすさの権化みたいな名前だ。
「そう言えば、また新しい噂が出てましたよ。『ジージー様の婚約者は、予知能力を持つ魔女らしい』って」
「…………」
「当たらずとも遠からず?」
「…………」
返す言葉もない。
だって本当に、嫌な予感はよく当たるのだ。これは血筋、というより、気質。ベイガン家は代々、慎重で堅実なことで知られる中堅貴族であり、夢よりも現実を見るのが家訓だ。
そして私はその中でも突出した、「最悪の事態を常に想定する」性質を受け継いでいる。
……そんな私に、なぜジージー・ラーガンとの婚約話が舞い込んだのか。
それは、今を遡ること一ヶ月前――私の父、シエンシー・ベイガンが、なにやら古くからの友人と再会したことが始まりだった。
相手の名はショーファー・ラーガン。そう、あの“ジージーお兄様”の父君である。
「君のところの娘さん、あの頃はいつもジージーの後ろを歩いてたな。泣き虫で、人見知りで、でも賢かった。あの子なら、ジージーを支えてくれるかもしれないね」
そんな軽口を交わした結果、なぜか『とりあえず婚約させて様子を見よう』という話が成立したのだった。……軽すぎやしませんか。
「でもまあ、悪くないと思いますよ、僕は」
「……何がですの?」
「こうやって、毎週あなたに破滅の可能性を教えてもらえるおかげで、注意深く日々を生きられる。おかげで、今まで馬車が横転したことも、断頭台に送られたこともない。ね?」
ジージーはそう言って、やっぱり笑った。
……こんな男と、これからどう付き合っていけというのだろう。
仮初の婚約は、仮初のままで終わる。きっと、そうに決まっている。でなければ、いよいよ世界が終わるに違いない。
そんな風に、自分に言い聞かせながら。
今日も私は、ジージーお兄様の横でお茶を飲むのだった。