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レッド・シティ  作者: 最上優矢
第一章 私は姉さんを選んだ
2/11

1-1

 武蔵小杉むさし・こすぎも変わった。


 つい先日、オープンしたばかりの武蔵小杉の複合商業施設「グラン」

 昼過ぎ――そこの人工芝とウッドデッキのある屋上庭園で、私は春の姿をした休日の街中を見渡しながら、そのように思った。


 私がこの街の人間だから、そう思うのは至極当然なこと。

 ではあるものの、私は怒濤の武蔵小杉の再開発に対し、急激ともいえる変化に戸惑いを覚えていた。


 子どもの遊び場だった古き良き武蔵小杉は、再開発という名の思い出破壊を受け、いつの間にか近代的な街へと変貌を遂げていた。


 住みやすい街になることは喜ばしいことではあった。

 それは否定しない。

 だが、私たちの武蔵小杉はすっかり壊されてしまったのは事実だ。


 ここは私たちの「小杉」だ。断じて、あなたたちの「ムサコ」などではない。


 私は武蔵小杉に潜む見えない敵をにらみつけ、一方では武蔵小杉に深い愛を注ぐため、唇だけ笑った。

 そんなときだ。

 私の隣でタピオカティーを飲んでいた洒落た服装の女性が不意に笑い出したのは、そんなときだった。


「ふふっ、なんだかきみ、この街を怪獣のように踏み潰したい、っていう顔をしてるね。きみが良ければ、警察に通報してあげるよ。

 ――大丈夫、まだ引き返せるから、どうか早まらないで」


 私をバカにしている笑い声ではあるが、決してそれはいやらしくはなく、むしろとても上品な笑い声に聞こえた。

 というか、この目がぱっちりとした中肉中背の若い女性、ひとつひとつの仕草が洗練されている。


 一つの仕草をするごとに彼女の個性を感じさせ、そんな彼女の仕草には命が宿っているのでは、と思えるほどにそれは美しいものだった。

 まるでそれは芸術……いや、完璧で優秀な人類の誕生、と言ってもオーバーに聞こえはしまい。

 それほどまでに、彼女は洗練された大人の女性だった。


 このときの私は彼女に対し、酷く緊張していた。

 それで私は酷くちんぷんかんぷんで、とんでもなく的を射ていない返しをしてしまった。


「となると、あなたはヒーロー……いや、ヒロインですか? それともまさかとは思いますが、アンチヒロインのほうですかね」


 そしたら、彼女は切れのよい仕草をしながら笑った。


「面白いね、きみ。見たところ、あたしよりも数歳くらい年下……?

 ――あぁ、二十三歳、ビンゴだね。あたしはきみよりも四歳年上の二十七歳で……そうだ、きみの名前は?」


 私は自分の名前をフルネームで述べた。

 私の本名を聞いた彼女は、つまらなさそうに言い捨てた。


「なんの変哲もない名前だね。なんて言うんだろうねー、つまらない人生を送ってそう」


 なんてズバズバと物を言う人なのかと、私は恥辱とともに彼女に対して畏怖さえも抱いた。

 だというのに。


「なら、そんな私のつまらない人生……完璧で優秀なあなたが私のそばにいることで、面白くさせてくださいよ。きっとあなたなら、それくらい可能なはずです」


 とまあ、私は彼女を持ち上げるようなことを言ってしまった。

 言ってすぐに、私はこの言葉が口説き文句の類であることに思い当たって、ハッと口に手を当てた。

 一方の彼女も信じられないといったように目をまん丸くし、手で口元を覆っていた。


 案の定と言っていいだろう、彼女は「驚いた。口説き文句?」とニヤニヤと上目遣いで私を見た。


 ……私は吹っ切れることにした。


「そうですけど、何か文句でも?

 ――そもそもいいですか、そこのタピオカティーが似合うあなた……私はですね、自分に似つかわしくない女性をナンパするとき、今のような歯が浮くような言葉で口説くことにしているんです。どうか放っておいてください」


 突然として声をかけた彼女に、私が無意識にナンパをするまでに興味を持っていたのはその通り。

 それに、そう……日常的に彼女がそばにいることで、何かの歯車が回り出すことを、私は確信していたのだから。


 人生初めてのナンパ。

 それがいかにして失敗するのか、さあ見物だ。


 心の中で、私は自分自身をあざけり笑った。

 けれど、

「放っておかないけど? そこまで言われちゃったら、放っておけるわけないじゃんね。――そうでしょう?」

 と、何やらナンパが成功しそうな予感がし、私は酷く狼狽した。


 女性慣れしていない私の反応を見て楽しんでいるのか、彼女はさもおかしそうに笑った。

 そこで初めて、彼女は自身の名前を口にした。


 なるほど、完璧で優秀な彼女にぴったりな名前だと、私は腑に落ちた。

 しかし私は彼女のことをどう呼んだらいいか、すっかり困り果ててしまった。


 彼女は眉をひそめて「変な人!」と引いたように叫んだ。


 そんなドン引きしたように叫ばなくても。


「それはその……好きに呼んだらいいんじゃないの? 人の名前なんて、自分が呼びたい名前でいいと思うけど」

「そもそもそれが思いつかないから、こうして恥を忍んで聞いているんです」


 途端に恥ずかしくなった私は、顔をうつむいた。


 彼女は「んー、そっか」と声を上げてから数十秒間、しばし沈黙した。


「だったら、姉さんでいいよん。――どう? それなら呼びやすいでしょう」


 ……姉さん。

 私と姉さんの出会いは、こうした刺激的なものだった。

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