謝罪
それから二ヵ月ほど経った、ある夏の日の正午過ぎ、姉さんから再び電話があって、彼女が退院して家にいることを知った。
「今からさ、会いたいんだ。会えるかな」
私はそのとき、ちょうど仕事終わりで、今すぐにでも姉さんの元に行ける状態にあった。
「もちろんですよ」
「あぁ、良かった」
私たちは武蔵小杉の駅前にあるカフェ「サンディ」で、午後一時半に落ち合うことに決めた。
前とは違い、会う場所がバーでなかったことは、個人的に私は胸を撫で下ろしたところだ。
私は武蔵小杉にある「グラン」に立ち寄ると、チョコレート専門店で退院祝いのビターチョコレートを購入した。
こんな暑いのにチョコレートを選んだ理由は、なんとなく姉さんにはビターチョコレートが合うからだと考えたためだ。
午後一時半。
私はチョコレートの入った袋を手に提げて、武蔵小杉駅前のカフェ「サンディ」を訪れた。
二人掛けの席、そこに姉さんは腰かけていた。
私は感動のあまり、カフェの出入り口のあたりで立ちすくんでいた。
結局、姉さんがこちらを振り向くまで、私は身動きが取れずにいた。
私は姉さんのいる席まで駆け寄った。
「姉さん……! 退院、おめでとうございます」
「えへへ、ありがとね」
姉さんの嬉しそうな笑顔を見て、懐かしさを感じた私は、危うく号泣しそうになった。
姉さんと対面になって席に座った私は、先ほどラッピングしてもらったばかりのビターチョコレートを、姉さんに両手で手渡した。
それが退院祝いのものだと知った姉さんは、大層喜んでくれた。
「嬉しい! ビターチョコレート、あたし好きなんだよね」
「それは何より」
姉さんに合うもので良かった、と私は密かに安堵した。
それから私と姉さんは時間を忘れ、何時間もおしゃべりに興じた。
とにかく、姉さんはよくしゃべった。
姉さんが注文したアイスレモンティーの氷がすべて溶けても、彼女は話すことをやめず、ひたすら私と話に花を咲かせていた。
それで察したのだが、どうも姉さんは長期的な入院の余波のせいか、ハイ状態にあった。
私と姉さんによる会話は夕方を過ぎ、それは夜にまで続いた。
それでとうとう、私は姉さんの状態に不安を抱いた。
意を決して、私は姉さんの話を遮った。
「姉さん、そろそろ解散にしませんか」
「えっ、どうして……?」
まるで私に見放されたかのように、姉さんは悲しそうに目に涙を浮かべた。
たくさんの話をしたことで疲れていた私は、ぎこちない笑みで窓の外を指差した。
「とっくのとうに陽は落ちました、話なら、また明日しましょう」
「……あたしのこと」
「はい?」
「嫌いになったの……? それとも三ヵ月前のあのときから、嫌いになってた……?」
正直、私はうんざりとした。
「姉さん、あなたには私の愛が感じられないんですか? こんなにも、私はあなたを愛しているというのに」
姉さんは慌てふためき、私に何度も何度も謝罪をした。
「ごめんなさい、ごめんなさい……そういうつもりで言ったんじゃないの。
ごめんなさい、あたしだって、きみのことを愛してる。
ごめんなさい、ごめん、だからどうか見捨てないで……!
ごめんね、ごめんね」
沸々と。
私の中で、姉さんを憎む感情が湧いてきた。
……ここのところ、私は精神状態が不安定だった。
では、なぜ私は精神が不安定なのか?
それは……それは。
「全部、姉さんのせいだ」
「……えっ、何、が」
「あれから三ヵ月が経ちました。あれ以来、私の心はボロボロです。
……どうしてくれるんですか、姉さん」
「……ごめん、なさい」
放心したまま、頭を下げる姉さん。
「謝らないでください。謝るのなら、せめて明るかったはずの私の心を癒やしてください」
「……あたし、帰る」
言うが早いか、姉さんは席から立ち上がると、トートバッグとビターチョコレートが入った袋を手に提げ、出入り口のほうへとフラフラと歩き出した。
私はといえば、姉さんがこの店から出て行くのを、黙って待っていた。
と、そのとき、自動ドアから出た姉さんが、不意に立ち止まった。
私の心臓、それが一際強くドクンと鼓動した。
若干の間のあと、姉さんはこちらに振り返った。
喜んでいるような、怒っているような。
悲しんでいるような、怖がっているような。
そんな表情を、彼女はしていた。
「……姉さん」
「ごめんね。ごめん、なさい」
私たちを隔てる自動ドアが、今閉まった。
わずかな間のあと、姉さんはパッと駆け出して、その場をあとにした。
先ほどの姉さんと同じように、私は長いあいだ、放心していた。
放心状態、それはカフェ店員から退店を促されるまで、ずっと続いた。
店から出た私は、やりきれない思いのまま、自宅に帰った。




