電話
姉さんが精神病院の閉鎖病棟に措置入院してから、十日後の午前十時過ぎ。
姉さんからの電話が入った。
わずかのあいだ、私は息を止めてスマートフォンとにらめっこをしていたが、やがて意を決して電話に出た。
「もしもし……」
「あぁ! 良かった……電話に出てくれた」
姉さんは鼻をすすり、何度か大きく呼吸を繰り返した。
私はバツが悪くなり、苦し紛れに笑った。
「電話に出ないわけないですよ。……姉さんからの電話に出ないなんてこと、あるはずがないですから」
「でも……躊躇いはしたよね」
「……入院生活は慣れましたか?」
姉さんは引きつった声で「もうすっかり慣れたよ。今では精神状態も落ち着いたから、主治医の許可でスマートフォンや電話もできるようになったんだ。……今は電話室にいるの」
「それは……なんという進歩」
私は入院前と入院中の姉さんの様子を想像し、胸が痛くなった。
「それとね、今日は保護室から出られたんだ」
「おめでとう。よく耐えましたね」
「それとねそれとね、今日からホールに出られるようになったんだ。……午前十時から正午までだけどね」
「そっか、それは何よりです」
私は姉さんとの電話を早く切りたい思いに駆られ、ついそっけない言葉になってしまう。
それは姉さんも察したのだろう、姉さんは「じゃあ……またね」と不自然に電話を切ろうとした。
まずい、このまま姉さんを独りにしてはならない。
私は「待って!」と叫んだ。
電話越しからも、姉さんが息を呑む気配が分かった。
私はというと、これまでの姉さんの喜怒哀楽が頭の中に思い浮かんだ。
どれも姉さんだ。どの姉さんが欠けても、それは姉さんにはならない。
どんな姉さんだろうと、姉さんは姉さんであって、それは忌避すべきものではない。
それを私は理解していなかった。
「ご飯は……しっかり食べられていますか?」
「う、うん」
「水分補給、ちゃんと摂ることできています?」
「うん」
「風邪などには罹患していませんか?」
「……うん」
「精神崩したり困ったりしたときは、主治医や看護師さんたちにきちんと話すんですよ」
「うん……」
「姉さん」
「うん?」
「姉さんは決して独りなんかじゃありませんから。私もいます、私がいます」
「うん……!」
嗚咽を漏らし、泣き出す姉さん。
私ももらい泣きした。
「だから姉さん……どうか元気になってください。姉さんがいなくて、私はものすごく寂しいんです」
「うん、うん……!」
「面会できるようになったら、私は姉さんに会いに行きますから……希望を持ってください。
あなたは独りじゃない。だって私がそばにいるのだから」
「うん……うん!」
電話が切れた。
姉さんが電話を切ったのか、病院の職員が電話を切ったのか分からないが、とにかく電話は切れた。
私は電話をかけなおす意欲もなく、それから放心したようにスマートフォンの画面を何十分も意味もなく眺めていた。




