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おさかな短編集

王様の踊り子

作者: おおらり

 

 生まれた時に記憶がないというのは、珍しいことだ。だから、ぼくは旅に出なければならなかった。国境を越えて。



 埃っぽく寒い砂漠の街を歩くと、太鼓を鳴らす音楽隊のように噂話がぼくのあとをついてくる。


「毒々しい! 忌々しい!」

「なんて色の髪だ!」

「それにあの服! なんておかしな色なのでしょう!」


 服も髪も瞳も黒い色をしたぼくのことが、街の人々には奇怪に映るらしい。背後に石のように投げつけられる罵り声はいつものことで、ぼくの耳にはどこか懐かしい音楽のようにも感じられた。


 北の、山あいの国に生まれたぼくには、この国の寒さもあたたかく感じられる。砂埃のなか歩き続けた先、ヤシの木の茂るオアシスに、ぼくはこの国の先生を見つけた。


「よく来たね、アル」

 先生は、ぼくの髪を撫でる。


 背の高い先生の後ろにちょこんと隠れる少女と目があう。シアは、先生の養女だった。初めて会った時から、シアの瞳はぼくにとってとても懐かしかった。


 歳が近いということもあって、ひと月ほど経つ頃にはぼくとシアの仲は良かったように思う。ふたりで、先生の仕事の手伝いや家のことを助け合って、よく働いた。




「ねえ、キオクがないってどんな感じなの?」


 ある日、家の外に洗濯物を一緒に吊るし終わったあと、シアがぼくに聞いた。


「そうだなあ……キオクがないと、黒い髪で生まれてくるから……どこへ行っても、なにをしても、言葉の石を投げられるけれど。

 ぼくはイヤじゃないんだ。よくわからなくて……」


 異国の澄んだ空を眺めながら、ぽつり、ぽつりと話した。


「ぼくは、ぼくじゃなくて。たくさん、あちこちにいるから」


 街に売られている食べ物、雑貨、ガラクタ、食器、通りの風に揺れる木々、ぼくたちの干した洗濯物――それらがすべて、自分でもあるようで。


「体を持ったぼくは、その中の一人にすぎない。そんな感じかな?」


 出会ったときから変わらない、親しみのこもった瞳で、シアはぼくのことを見つめる。


「シア、きみのことも、ぼくみたいに思えるときがある。きみは、懐かしい目をしているから……」


 シアは首をかしげて、笑いかける。


「わたし、あなたになりたいわ」


「ぼくに?」

 ぼくは困惑した。

「そうしたら、旅に出なければならないよ」


「あのね」

 シアは手で口のまわりに囲いを作って、ぼくの耳に近づける。


「わたしの国には、くじびきがあるのよ」


「くじびき?」


「王様の踊り子を決めるの」



「国の年頃の女性はみんな、一年に一度、くじを引かなければならないの。赤いくじを引いてしまったら、それから一年間、王宮でずっと踊り続けなくちゃいけないの」


「そしてそのまま、踊り子の魂は、」


 シアは空を見上げる。


「星の空に」



「つらく、ないのかな」

 ぼくの感想に、シアはにっこりと笑いかけた。


「大丈夫よ、だって、自然なことだもの。草や木や、どうぶつと同じ。踊り子も、人間も同じ。辛くないわ、ただ……」


「ただ?」


「私だったら、体に魂を残したまま、踊っていたいなんて、思わないけれど」


 シアは立ち上がって、くるくる、と踊る真似をしてみせた。


「あーあ。キオクなんて、持って、生まれてこなければよかった」


 シアは俯きがちにステップを踏んでから、ぼくを振り返る。


「私は、とびきり怠惰な踊り子になりたいな」

「まだ、ひくと決まったわけじゃないよ、シア」


 シアは首を横に振る。


「いいえ、必ず引くわ」


 シアは、ぼくに近づく。


「王宮に召しかかえられるとき、私はキオクを鳥にして、空へ解き放つの」


「だからアル、私のことを、連れて行ってね。

 必ず、必ず、連れて行ってね」


 シアの差し出した手をぼくが握ると、シアはようやく、さみしそうな顔をした。




 次の年の春に、シアは赤いくじをひいた。


 シアが王宮へのぼったのは、ぼくの旅立ちの前の晩だった。王宮は立ち入り禁止だったが、儀式を見るために多くの人が押し寄せていた。だからぼくは、街の古びた集合住宅の上からしか、それを見ることがかなわなかった。


 選ばれた5人の娘たちは、王宮の前の広場に裸になって寝かせられていた。神聖な光景だった。宵闇の薄明りのなか、ひとりずつ名前を呼ばれて、王宮へ向かう階段をのぼっていく。シアも名前を呼ばれて、階段へと足をかける。


 そのとき、王宮の生者の列を離れて。

 一羽の白い小鳥が、ぼくのところまで飛んできた。小鳥は服の隙間から、ぼくの胸に入り込んでバサバサともがいた。小鳥はぼくの一部に、ぼくになろうとしてもがいているようだった。けれどもなれずに、羽を痛めてしまった。ぼくが手を服のなかにいれ、小鳥を取り出したときには、もう、その羽は折れ曲がっていた。


 ぼくは両手で、その小鳥を包み込んだ。

 小鳥を守らなければならないと思った。

 小鳥の魂を。


 けれど、ぼくが次に手を開いたとき、ぼくの両手はからっぽだった。夢を見たのだろうか。

 呆然と、街や王宮に視線を戻すと、祭りの夜のように、葬儀の夜のように、たくさんの橙色の灯りが揺れていた。どこか遠くにある、星空のなかの国のように。



 翌朝、飛行場に向かうまでの朝の市場で、「アル! アル!」という鳴き声を聞いた。

 羽の折れた白い小鳥の売られているのを見たぼくは、すぐにその小鳥を買った。

 小鳥は、ぼくに買われるとそれきり鳴かなくなった。


 店の者は、この鳥はヒナの頃からの売れ残りで、何年もここで売っていたのだという。でもぼくには羽の折れた小鳥が、シアのように感じられてならなかった。


 ぼくは信じた。折れた羽の意味を。


「約束は守るよ、シア」



 ぼくは、シアと名付けた小鳥を、ぼくの生まれ持った記憶のように大切にした。


 旅する国の増えるごとに、人と鳥の記憶は同じになっていくようだった。


 たまに思いかえされる、シアのあたたかな手、やわらかい金色の髪、やさしい笑い、なつかしい眼差し。それらはどこにいってしまったのだろうと、ぼくは時折考える。シアの白い頭や、折れてしまった羽を撫でながら。いまとは質感の違う、失われたそれらのことを。


 からっぽの踊り子は、たぶん今も、あの王宮で踊っている。





お読みいただき、ありがとうございました。

このお話の初出は2015年のコミティアのフリーペーパーです。

このお話には漫画版もあるので、もし、漫画もお好きでしたら読み比べてみてください。

https://sp.manga.nicovideo.jp/watch/mg499694

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