06 クビ
──王宮のとある一室。
第二師団副団長のピエール・バルトは後ろで手を組み壁際に立っていた。
真面目な顔をしているが心の中は大泣きである。
口の中も水なしでビスケットを大量に食べた後のようにカラカラだ。
もう今直ぐにでもこの場から逃げたかった。
しかしそういう訳にもいかない、状況が状況だ。
目の前の修羅場に対して今の彼が出来る事など何もないので、どうか丸く収まるようにと大して信仰してもいない神に都合よく祈っている。
この場で問題になっているのは異世界より召喚されてきた聖女……ではなく、聖女ではない方の処遇についてである。
「……オルトベルガー団長、異世界から来た者についての処遇は既に決まっているのですよ」
「私は納得しておりません」
静かな執務室中央に立っている男の平坦な声は、嫌に大きく聞こえた。
取り付く島もない。
キッパリと間を開ける事なく補佐官の発言は切り捨てられる。
どうしたものかと補佐官は頭を抱えた。
『ルキアス・オルトベルガー』──ピエールの上司であり、第二師団の団長である彼は眼鏡を指で押さえ淡々と口を開いた。
「人事に関しては各団長に全ての権限がある筈です」
レンズの奥の視線は鋭く冷え切っている。
「う、うむ、しかしだな……」
「たった一人の異世界人の為に、騎士団の規定を覆すおつもりですか」
補佐官はあまりの圧に押し黙った。
執務机に肘をついて顔の前で手を組む。
重い沈黙が部屋全体に伸し掛かっていた。
まさかピエールも、現在進行形で詰められている補佐官も、ここまでの事になるとは思っていなかったのだ。
ルキアス・オルトベルガーという男がどういう人物かは理解しているつもりだった。
真面目で融通の効かない部分は確かにあるが、それでも最年少・天才という肩書きに慢心する事なく日々粛々と与えられた任務を着実に遂行する様は、まさに団長に相応しく国王からの信頼も厚い。
いくらこの氷山のような男でも、立場が上の補佐官からの指示であれば、大なり小なり不満があっても飲み込むだろう。
そう思っていた、しかし実際はその逆だった。
相手が国王の補佐官だろうが、他の団長だろうが、或いは国王だろうが関係ない。
損得勘定に立場、場の空気なんて物も関係ない。
城壁よりも強固で氷柱よりも鋭く何より潔癖な男、それがルキアス・オルトベルガー団長だ。
異世界人を自身が遠征でいない間に、許可なく、末席だろうが名ばかりだろうが第二師団に配属させた。
大変遺憾である。
なのでこうしてしっかり揉めている。
そしてしっかり補佐官は詰められている。
一応、組織上は上司なのに。
「オルトベルガー団長の言うことは勿論理解できる、しかし……」
「……」
「その、だな……」
「……」
補佐官は絶対零度の視線を浴びながら、どうするか逡巡した。
ピエールもこの冷戦状態を息を止めて見守る。
しかし、暫くしても自身に向けられた視線が一切の揺らぎを見せない事に観念した補佐官は、ため息をついた後でようやく口を開いた。
「……トウコ殿の処遇はヘルマン氏たっての希望でもあるのだ」
「…………」
今度はルキアスの方が黙り込んだ。
ピエールの背に何か冷たいものが走ったが、それはピエールが気のせいかと思う程に一瞬のことだった。
その違和感の正体についてピエールが思考を潜らせるより先にルキアスが動く。
「──そうですか」
あれだけ執拗に食い下がっていたにも関わらず、あっさりと身を引いたのだ。
この反応は意外だったが、補佐官とピエールはホッと隠れて息をついた。
納得したのだろうか。少しだけ呼吸が楽になる。
そのままルキアスは補佐官へ一礼すると、足早に部屋を出て行った。
ピエールはハッとして同じように頭を下げた後、慌ててルキアスの後を追う。
一定の距離を空けピエールは黙って足を動かす。
二人分の足音だけが廊下に響いた。
「ピエール副団長」
「っはい」
急に名前を呼ばれ、頭の後ろで組んでいた手を慌てて外し返事をする。
「付いてこい」
「えっ……はぁ、了解です」
なんだそれだけか。身構えて損した。
そう思ったピエールだったがなんとなく気になったので「因みに、何方へ?」と前を歩く背に問いを投げ掛ければ、直ぐに返事が返ってくる。
「異世界人の元へ向かう」
「……了解でーす」
あ、これ納得してないやつだわー。
トウコ頑張れ〜俺は応援してる。でも援軍は期待すんなよ〜。
■
今の私の状況を一言で表すと『蛇に睨まれた蛙』である。
その尋ね人の第一印象は氷柱を背負った針鼠だ。
少し癖のある白銀色の髪、陶器のような白い肌に薄緑色を更に薄めたような特徴的な瞳の色。
黒い縁の眼鏡の効果もあって知的な印象を受ける。
そして大変美しい顔立ちをしているが、それが返ってこちらを見下ろす視線の凄みを増していた。
イケメンの怖い顔の迫力は尋常じゃない。
そしてどうしてそんなに厳しい顔でこちらを見下ろしているのか謎だ。
てっきりピエールが来たのかと思ったのだ。
中庭でお茶の準備をしていると足音が聞こえた。
なので確認もせずお皿と同サイズのチョコチップクッキー(ネタで作ってみた)を持って嬉々として振り返ればそこにいたのは全然知らない人だった。
ピエールはその後ろで半笑いで固まっている。
どうしよう、物凄い気まずい。
「は、じめまして、コンニチワ」
「あぁ、初めまして」
あ、意外とちゃんと挨拶は返してくれるんだ。
相変わらず顔怖いままだけど。
「僕は第二師団団長のルキアス・オルトベルガーだ」
「ルッ!?」
思わず握りつぶしそうになったクッキーを慌てて皿に置いた。
あの最年少で天才で堅物真面目な団長!?
噂の堅物団長がここを尋ねる理由って何!?
「……あ、ヘルマンさんに御用ですね?」
「いや、異世界人である君に用がある」
逃げ出せませんでした。
嫌な予感がする中、ルキアス団長は淡々と告げた。
「君を、第二師団団長の権限で退団させる」
「……はい?」
退団って……それつまりクビって事では?
「ちょっと団長!」
呆然とする私を庇うようにピエールが割り込んできた。
いつもの飄々とした様子とは違う。
その様子を見てようやく「あ、これ本気でマズイ状況なんだな」とじわじわ嫌な焦りが自分の中で広がって行くのを感じた。
「流石にそれはっ! 補佐官にも言われたじゃないですか!」
ピエールはどうどうと暴れる動物を宥めるような動作で、口元に引き攣った笑みを浮かべ、事態を軟化させようと試みるが無意味だった。
「関係ない」
えー、いや無いことはないんじゃない?
私はその辺の力関係とかよくわからないけど……補佐官の人も結構な立場の人だろうし、丸無視していい事ではないだろう。
私が黙ったまま冷や汗を流していれば彼の目が此方に向けられた。
「第二師団には実力、実績、何より志の無い者の居場所はない」
ピエールが苦い顔をして此方の様子を伺ってくる。
必死に庇ってくれているピエールには悪いが、正直この人の言っている事は間違ってはいないと思う。
実力・実績・志のない人間が自分の団員になっていれば怒りもするだろう。
何より私は異世界人で、これで何か特別な力でもあれば違っただろうが、生憎と魔法も使えないので戦力にはならない。
ここに来て私は改めて思い知らされた。
私は本来この世界に必要のない人間だ。
この国の人にまともな人がいて、責任を感じて置いてくれているが、もしそんな良い人達がいなければ最悪その辺に放り出されていてもおかしくは無い。
「そしてこの場所は第二師団の管轄だ。今後、君が出入りすることを禁止する」
それはつまり……もうここには居られないどころか、二度と来ることさえ出来ないということだ。
日常だと思っていた光景に罅が入ったのだ、そして間もなく砕け散る。
その言葉にドクリと心臓が一際大きく跳ねる。
イケメン前にしてこんな嫌な心拍の乱れ方することあるのか。
私は反射的に声を上げる。もう殆ど悲鳴に近い。
「! 待っ──」
「──まぁ待つのじゃ、ルキアス団長」
よく通る声に、その場の全員の視線が一点へ向けられる。
私とピエールの後ろに、いつの間にかキッチンでお茶の準備をしていた筈のヘルマンさんが木の杖を手に立っていた。
私の様子に目を丸くした後、優しく微笑むとこちらに歩いてきて、私の背中を支えるように手を添える。
決して力強くはないが暖かい掌は不思議と私の心を落ち着かせてくれた。
そのままヘルマンさんはルキアス団長を見上げる。
「彼女を引き取ると言ったのはワシじゃよ」
「えっそうなんですか……?」
思わずポロッとそう口に出せばヘルマンさんはお茶目に片目を閉じて見せた。
考えてみれば、私は補佐官の人に倉庫屋敷で住むことになったという『結果論』は聞いたがその『過程』は聞いていない。
「……ヘルマン殿」
あれ、心なしかルキアス団長の声から刺々しさが薄れた気がする。
これが年の功ってやつなのか。
普段は顔を合わせる度に飴とかくれるタイプの好々爺なのに、実はヘルマンさんてすごい人なのでは?
そんな助っ人の登場により何とかなるかも、なんて楽観視していた私だったが事態はそう都合よくはいかないものだ。
「団員の人事について団長に権限がある事は当然理解しておる」
「……その場合、ヘルマン殿であっても責任は免れません」
「!? ま、待って待って! 待ってください!」
思わず大きな声を出して二人の間に入ってしまった。
ピエールが小さい声で「バカよせっ!」と言ったのが聞こえた。
分かるよ、私今ものすごく馬鹿なことをしている。
分不相応に間に割り込んでしまったが仕方がないじゃないか。
やっちゃった事はもう取り消せないし、何よりヘルマンさんという大恩人が責任を追求されそうになっているのに黙っていられないと思ってしまったんだから。
「あのっ実績……と実力って言いましたよね」
脈絡なくそんなことを口走れば一瞬何のことかわからなかったのか、団長は黙ったが直ぐに合点がいったのか静かに頷く。
「それがどうした」
「じゃあ、私に機会をいただけませんかっ!?」
「機会?」
緊張して声が変に上擦ったが、もう形振り構っていられない。
私に今できる事はこれだけだ。
恐怖で泣きそうだが何とか踏ん張って、背筋を伸ばし真っ直ぐに団長を見上げる。
本気だという誠意を私はここで示さなければならないのだ。
「私が役に立たないかどうか、やってみないとわからないですよね?」
「……」
体感で数時間。
実際は一分にも満たないであろう沈黙の後、ルキアス団長は薄く口を開いた。
「一週間後『青月の森』へ行き、魔物を討伐してこい」
「それは、つまり」
「……その任務の結果で、君の処遇を再考する」
ガッツポーズしそうになるのを何とか堪えて、私は「ありがとうございます!」と既に背中を向けていた彼にきっちり九十度頭を下げた。
何とか、執行猶予を勝ち取ることができたのである。
読んでいただきありがとうございました。