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36 二度目のようこそ

「なんで!?」


 反射的にそう叫んで数歩後ろに下がった。

 怪しげな科学者みたいな風貌の男が取り出した注射器なんて、絶対にろくな物ではない。

 イオネル所長は私の反応が面白いのか、悪い笑みを浮かべたままにじり寄ってくる。

 そのままジリジリと後退していればそう広くない室内、背中と頭が壁にぶつかった。後ろを見るがどうにもならない、出入り口は一つだけだし私には何の抵抗手段もない。

 まさに絶体絶命な状況だ。

 それを理解してか、にじり寄ってくる白衣の死神はククッと喉を鳴らす。  


「あの、因みにその中身って何ですか?」

「あ? あー……そうだな、栄養剤だ」


 今ちょっと考えたぞこの人! 絶対嘘じゃん!

 何とか時間を稼ごうと私は恐る恐る注射器を指差し尋ねるが、返ってきたのは適当な返事だった。


「遠慮するな我輩の奢りだとも」

「アッ、全然要らないですね!?」


 奢りって言われてこんなに嬉しくないことってあるんだ。

 抵抗虚しく、というか碌に抵抗も出来ずに壁際に追いやられ、ついにイオネル所長は私の手首を掴みあげる。


「うわうわうわっ!」

「ええい大人しくしろ、吾輩の手を煩わせるな」

「ひいいいい!」


 貧弱女性が成人男性の力に叶うはずもなくサッと手首をガーゼで拭われ、その部分が空気に触れたことで冷たさを感じた。

 それにより私の血の気も引いていく。

 全くどうしてこうなった、ついさっきまで城内にいたのに気付けばマッドサイエンティストに誘拐されて謎の薬品を投与されようとしている。

 それでも何とか抵抗し身を捩って、イオネル所長に体当たりでもしてやろうかと思ったのだが急に体が動かなくなった。

 よく見ると謎の鎖で体を縛られている。

 しかも空間から飛び出しているのを見るにただの鎖ではなく魔法の拘束だ……いやまぁ普通の鎖でもどうしようもないんだけど。

 部屋の僅かな光で針の先端がキラリと光る。

 病院も注射も苦手だが、この歳になって流石に注射が嫌だと泣き喚くような真似はしない。

 しない……けれど命の危機となれば別である。

 

 そうして針が私の肌に触れてヒヤリと嫌な冷たさが全身を駆け巡り、気付けば私はその名前を呼んでいた。

 もう殆ど無意識だった。

 多分だがここに来るまでの間に『団長に助けを求めよう』と考えていたからかもしれない。



「だん、団長っ……助けてルキアス団長ーーっ!?」


 

 叫んだ声は爆風で掻き消された。

 反射的に目を閉じる。


「何だ何だ王子様の登場か? 悲鳴を聞いてからの登場とは随分と悠長なものだな」


 轟々と唸る風の中、聞き取れた言葉の意味を理解しかねていれば、ふと手首が軽くなった。

 思わず目を開け視線を下に向けるといつの間にか手枷はバラバラに砕けている。

 そして顔を上げた先に、痛いほど白いローブが風で大きく靡いていた。


「ル……キアス団長」

「すまない、遅くなった」


 こちらを振り返る事なくそう告げた彼の視線は外に向けられていた。

 風が収まった事でローブで遮られていた視界が開けたが、目の前の光景に思わず出掛かっていた感謝の言葉が喉の真ん中あたりでつっかえた。

 まず窓がない。

 窓、というか壁ごと無くなっていた。

 ごっそり綺麗に、切り取られたみたくなっている。

 いきなり開放的な空間へリフォームされたその外、ルキアス団長の視線の先にはいつの間にか件の所長が立っている。

 

「だ、団長ぉ」


 へなへなとその場に座り込み思わず縋るようにローブの裾を握った。

 団長は振り向きはしないものの、振り払うこともなかった。

 安心感からか、私は思わず団長の後ろにいるのをいい事に感情を吐き出してしまった。


「何ですかあの絵に描いたようなマッドサイエンティスト!」

「失礼な小娘だ、親しき中にも礼儀は必要だろうに」

「全く親しくないんですけど!」

「頭に『天才』をつけ忘れるな」

「マッドは否定しないんですね!?」

 

 そこ一番否定するべきだろ! というか否定してくれよ!


「巫山戯るのも大概にしてもらおうかイオネル団長」


 つまらない口論に割って入ったその冷ややかな声には妙な安心感を感じた。

 敵にすると怖いが味方にすると心強い、とはこういうことか。


「若き天才殿、我輩のことは団長ではなく所長と呼んでくれたまえ」

「彼女は僕の部下だ。貴方が好きにしていい実験動物じゃない」

「実験動物とはおかしなことを言うなルキアス団長。吾輩も含め人間だって立派な動物だよ」

「そういう事を言っている訳ではない」

「分かっているさ冗談が通じないな、ピエール副団長を見習いたまえよ」


 いや、あれは見習わなくていいと思う。

 口には出さず心の中で、私は静かにそのアドバイスを否定しておいた。

 イオネル所長は手にしていた注射器をペンでも回すようにくるりと弄ぶ。

 それを見て先程までの自分の状況を思い出し手首を見る。

 しかし何も刺された跡はない。


「ハッ、これは挨拶代わりの栄養剤だ」


 イオネル所長は小馬鹿にするように鼻を鳴らし、注射器をそのまま白衣のポケットに突っ込んだ。

 

「それで? ルキアス団長はこの後どうするおつもりかな」

「彼女を連れて帰る」

「それはできないな」

「何?」

 

 ルキアス団長の返答を予め予測していたかのように切って捨てたイオネル所長は、そのままこちらに歩いてきたかと思えば今度は白衣の内ポケットから巻かれた紙を一枚取り出して見せた。

 私も起き上がり横からそっと書面の内容を確認する。


「これは第二師団以外の各団長からいただいた許可証だ」

「許可証?」

 

 その言葉に首を傾げてルキアス団長を見上げるが変わらず無表情だ。

 ただ、何となくだが不機嫌そうに見える。


「決まり事に煩いルキアス・オルトベルガー団長ならご存知だろうが、各団員の人事については団長に一任されている……ただし、有事の際には他団長及び大臣の許可があれば人員の一時的な移動が許可されている」


 えぇっと……つまり、有事の際に限り直属の上司の許可なしで人材の移動が可能ということか。

 

「え、じゃあ……」

 

 顔を上げた先、再び悪そうに。

 だがどこか悪戯が成功した無邪気さのある顔が私を見下ろしていた。


「ようこそトウコ殿」

「え、まさか」

「君は暫くの間、第四師団の団員だ」

「嘘でしょ……」


 突然の人事異動に困惑を隠せない。

 一応期限付きではあるが、私は第二師団から第四師団へ所属変更になったらしい。

 


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