情愛を君に
⚠この作品では死体の描写を細かくしています。
気分を悪くしたとしても、自己責任でご覧ください。
この作品の意味が分からない方もいると思います。
その場合、無理に理解はしなくても大丈夫ですよ。
そして「これは一種の狂気だ」と考えてください。
「ねぇ、お母さん」子供が料理をしている親に声をかけた。
親は包丁をまな板に置いて、微笑みながら子供を優しく撫でた。
「どうしたの、アンジュ?」母親の笑みは慈愛に満ちたものであった。
子供は母からの愛情を擽ったそうに感じた後、母親にこう問いただした。
「お父さんは何時帰ってくるのかな。もう何年も帰ってきてないよね?」
母親の表情は凍りついた。脳裏には血だらけになった夫の面影が見えた。
それは五年前の冬の日であった。貧民街から出て暫く経った街にて。
夫は仕事を何個も掛け持ちし、母親と子供を養っていた。
「今日はクリスマスだろう、何かアンジュに買ってあげよう」
「良いわね。あの子なら猫の縫いぐるみが良いと思うわ!!」
そんな微笑みながら穏やかな会話をしていた時に、悲劇が訪れる。
「そこの男の人、避けてッ!!」或る女が夫に叫んだ。
だが、時既に遅し。夫の目の前にはもう車が居た。「え……?」
夫は信号無視をした車に、勢いよく吹き飛ばされた。母親はそれを見ていた。
「きゃあぁああぁ!!」先程声をかけた女が、悲鳴を上げて腰を抜かした。
「貴方、死なないでッ!!」女の声が路上に響くが、夫は冷静だった。
「エマ…アンジュを、頼んだよ」男は泣きながらも、妻の手を力強く握り。
次第に瞳から光が消えていった。夫の死体は雪に埋もれ、冷たくなった。
『あれは、アンジュがまだ五歳の頃よね。今この子は十歳。
もうそんな経ってしまったのね。はぁ、貴方に会いたいわ…』
子供はその時、独りで貧民街の子供達と遊んでいたので巻き込まれなかったが。
「お母さん、どしたの?」子供の無邪気な声で、母親は我に返った。
子供の手には猫の縫いぐるみが握られている。それは夫の死後に買い与えた物。
猫の縫いぐるみを母親はじっと見た。何かに引き込まれるような感覚がした。
「戻ってくるよね。お父さんは、絶対戻ってくるよね?」子供が追い打ちをした。
母親はまな板から包丁を取り、子供の腹に思いっきり刺した。子供は困惑した。
這うように、母親から逃げる。が、母親は鬼の形相で子供を仕留めようとしてくる。
「止めて、お母さん!!…分からないの?
アンジュをだよ、お母さん!!…何でよ、止めてよ!!」
貧民街全体に響き渡る女児の悲鳴。隣人達はその声に興味を示さない。
自分が巻き込まれるのは嫌だから、何も聞こえていない振りをして過ごす。
その声は或る男児の耳にも聞こえ、男児は二人の元へ行こうとした。が。
「止めておけ」父親に腕を摑まれ、阻止された。男児は困惑した。
「どうしてだ、親父。知り合いの子なんだよ…その手を離せ」
だが父親は離さない。寧ろ力をどんどんと増していった。
「お前があっちに行ったら、死んじまうかもしれねぇ。
それはお断りだ。死時は今じゃねぇ、黙って見ていろ」
そう言い、父親は手を離した。手の痕が男児の腕に残った。
「アンジュ…」男児が子供の名前を呼ぶ。その声は誰にも届かない。
子供は喉がガラガラに枯れても泣いていた。声を大にして、泣いていた。
「御免なさい、お母さん。もう言わない、もう言わないからぁ!!
お父さんの話なんか、もう二度としないからぁ…お願い、許してよぉ!!」
子供が泣き止まないと知ると、子供の親は瓶を子供の頭に振り下ろした。
「貴方のせいなのよ、何で貴方のお父さん…あの人の話をするの?!」
「止めてよ、もう言わないから、良い子で居るから…お願」
子供は殴られて直ぐに静かになった。だが、親は何度も何度も子供を暴行した。
「よくも、よくも!!…子供の貴方には分からないでしょ?!
交通事故で死んだあの人の代わりに、貴方を一人で育てて!!
誰にも言えない…私の苦しみなんて、貴方には分からないでしょ?!」
「お、母さん…御免ね。本当に。本当に、御免ね。
ねぇ、どうか…どうか。し、…でね。約、束だよ」
赤い血の池を生み出して、そこに横たわる形で子供は目を閉じ永眠した。
親は子供の死体の髪を引っ張って、外へ出た。見るも悲惨な死体であった。
頭は瓶の破片が刺さり、腹の中央には大きな差し傷が複数存在していた。
体を覆う服はビリビリに破けており、そこからは子供の臓器が観察できてしまう。
爪は剥がれ落ちかけており、指の薄く細い皮膚が爪をギリギリ繋ぎ止めている。
身体は小枝かと錯覚しそうな程に痩せ細っていた。栄養が足りていないのだろう。
子供は親が瓶でとどめを刺さなくても、何れ死んでいたと考えられる。
栄養失調か失血死か、何れにしても子供がそうなるべきではない。
子供というのは、遊具で遊び駆け回るのが普通だ。
駆け回ったら折れそうな足を持っていると、目を逸らしたくなる。
そんな我が子の顔を見て、親ははっと我に返ったようだ。
「あ、れ?…アンジュ、目を覚まして?
もしかして、私の声が聞こえないのかしら?
巫山戯てないで、ほら声を聞かせてよ…ねぇ」
子供の息の根を確認しても、とうに死んでいる。
死体には蝿が群がっており、親は手を使って払いのけた。
そして子供の体を揺らして、目を開けるように懇願する。
しかし、子供は脱力して動かない。心臓も止まっている。
「私は何てことをしたの…お願い、目を覚まして。
普段と変わらない、貴方の笑顔を…私に見せてよ…」
どうやら、この親は精神ともに限界を迎えていたようだ。
先程と違い、子供を大事そうに抱えている。そして自分に言い聞かせる。
「こんなことをして、私は生きていて良いの?
…否、駄目よ。私なんか、生きる意味なんてない。
あの人が居ない今、私の光はこの子だけだったのに…」
道には子供の血がポツポツと雨のように滴り落ちていく。
子供の親は虚ろな目から、小さな後悔を宿したとみられる雫を落としていた。
そして女は泣き喚いた。声が枯れるまで、貧民街の隅々で聞こえる声で。
隣人達はそれを見ているのみ。何もせずに一人と死体を見つめる。
この親は、育児の方法が分からなかったのだろう。
子供がどうやったら静かになるか分からなくて、思わず手を出してしまった。
それが犯行動機であろう。親が一人で育児をするとなると、大抵こうなる。
親が急に歩き始めた。段々と速さは増して、最終的には全速力で走っていた。
目の前には水が汚染された大きな川が広がっている。
親は川へ飛び込んだ。子供の死体を抱きかかえ、大粒の涙を溢して。
「御免ね…アンジュ。貴方が生まれ変わってもずっと愛しているわ」
歪な愛と冷たくなって虫が集る我が子を抱え、子供の親は水へと沈んだ。
隣人達はそれをただ遠目で見ているのみ。誰も止めようとはしなかった。
女が子供を抱えようとも、何れ自分のことしか考えなくなるのを知っているから。
数分後。子供の死体が水面へと浮かんだ。隣人達は子供の死体を水から出した。
そして、小さな十字架を小枝と蔓で作り子供の死体を地下に埋めた。
その土の上に十字架を立てる。名前が表記されていない墓がまた一つ増えた。
子供の埋葬を終えて少し経つと、子供の親の死体がプカプカと浮き上がってきた。
目を開ききり、口も大きく上げた水死体。隣人達は、目と口を閉じさせた。
すると少しは見るに耐えない姿から一変する。それでも死体は死体。
見るのは普通慣れないものだが、隣人達は死体も見慣れているのようであった。
子供の墓と隣に親の墓は立てられた。献花は沢山置かれてあった。
花自体、貧民街では食用として食べられることもあるのだが。
しかし、隣人達は二人のことを思い、献花として自分達の食料を捧げた。
蒲公英やイチリンソウが多く見られた。白詰草の草冠もあった。
それを作ったのは貧民街に住んでいた、子供の友人の男児であった。
その男児が何故草冠を作ったのか。それは、本人のみしか知らない。
ただ悲しみに暮れ、貧民街から去ったということは貧民街の共通認識である。
その後、少年が戻ってくることはなかった。何処にいってしまったのだろうか。
道端に生えている植物だとしても、貧民街では献花代わりになるのだろう。
だが、献花が置かれるのは一瞬で終わる。貧民街は死と隣合わせなのだから。
この墓も周りにある名前のない墓も、何れは忘れ去られ、朽ちていくだろう。
薄汚れた十字架にかけられた茶色の白詰草の草冠は、今でも残っている。
草冠は今日も十字架にかけられたまま、風と共に揺れているだろう。
まるで風化していく去り人を惜しむように、何時までも、何時までも。
何気にちゃんとした後書きを書くのは初めてです。
今までは偉人の言葉を借りていたものですので。
自分の言葉で書くのは、少し難しいものですね。
さて皆様、今作は如何でしたでしょうか。
「少女が最後言おうとした言葉は?」
…等、気になったことがある方は感想欄にて。