わたしの友人は断じて魔物ではないぞ、多分
コシル国の王都の東に位置する男子全寮制の王立スーレイ学院は、王族も就学することで有名な名門校である。侯爵家以上の家格の推薦状と莫大な授業料が要るので自ずと将来国を担う錚々たる顔ぶれが同じ学舎に集うことになる。
そんな王城と同レベルの壮麗な建築物のスーレイ学院の裏手に、広大な敷地面積だけは立派なスーレイ学園がある。
こちらは試験さえ合格すれば貴族平民、男女の区別なく無償で通うことができる。
貴族で言うと公侯伯爵の爵位を継ぐ子どもはたいてい学院に通い、子爵の子どもは経済的に余裕があれば学院に、高位貴族であっても次男三男や男爵は学園に通わせるというのが一般的である。
由緒正しい血統を我ら賢い下々が仕え守るってやつかね。
面倒臭いレポート提出の次の日に試験っておかしいだろ、とランドルフは学園の図書館で一人ごちる。
今年度の山場である面倒臭いと有名なレポートは、持ち前の顔の広さを駆使してなんとなくうまくまとめることができた。過去問がなければ恐ろしく広い範囲に泣く羽目になる数々の試験といい、人間関係をうまく作れるかどうかも見られているんじゃないかと勘繰ってしまう。
ランドルフはフロンスト子爵家の第二子である。7つ年上の兄がすでに地方の領地経営をまかされているので気楽な身分だ。少し猫毛気味のピンクブロンドのふわふわの髪の毛に、湖面のように輝く大きめの翡翠色の瞳、長いまつ毛にスッとした鼻梁の整った顔立ちで印象としては年齢より幼くかわいらしい雰囲気。
黙っていれば美少年。
黙っていれば。
家督を継ぐのが兄と決まっていたため、ランドルフは領地の特産品の売り込みや経営に期待されてきた。そのため幼い頃より貴族より平民である商人たちとの関わりを多くもってきた。流行りのものは幅広くインプットし、会話の引き出しも多い。
そのため、黙っていれば貴族然とした美少年だが、多少言葉は乱暴になるところもあるものの人懐っこくいつも人に囲まれている。
ちなみに2つ下の妹もランドルフによく似た超絶美少女でその美しさはそこここで噂になっているほどである。待望の女の子ということもあって、いかにも貴族な子女として育てられている。外見と中身の相違はないはずだ…多分。
一瞬館内の空気がざわっと震えた。
偉い教授でも来たのか?と顔を上げるとしかめ面で凶悪な雰囲気のルーカス・バハートが誰かを探しているようにゆっくりと館内を見回している。
おいおい、次の獲物は誰にするかって雰囲気だな。なんだってあんなに目つきがわるいんだ?
ランドルフは苦笑しながら軽く右手を挙げる。ルーカスが目をすがめてカツカツと姿勢よく近づいてきた。
ルーカス・バハートはランドルフと同じ学年で子爵の息子である。入学以来剣術大会で優勝争いしているかなりの実力者だ。がっしりとした体格で190cm近い身長を誇る。170cmのランドルフの頭ひとつ上といったところか。
昨年の剣術大会当日、家に忘れた剣を届けにきたバハート家の侍従が控室に入れずオロオロしていたのを見かけ、代わりに届けたのがきっかけでなにかと話しかけられるようになった。
いや、誰かに話しかけないといけない場面になると必ずオレのところに来ているな。もしかしてあいつ、学園でオレとしかしゃべってないのでは?ふとおそろしい事実に思い至ってしまった。
普段は同級生はおろか上級生にも怖がられいて…今もルーカスが通る道は自然と人が道をゆずり、不自然に開かれている。
「ランドルフ、勉強中にすまない」
大きな体を屈め、ルーカスがランドルフの耳元に近づく。
と、誰ともなしにまたあの単語が聞こえてきた。
「やっぱ二ゴーチだわ」
その言葉が耳に入ったのだろう、ルーカスが一瞬痛みをこらえるような苦しげな表情を見せた。
ニゴーチとは黒い鱗で覆われたクマのような伝説上の魔物である。最近流行りの勇者が魔王を倒す系の物語の終盤に魔王の右腕としてよく登場する。
漆黒の短髪にキリッとした黒い眉に黒い瞳のルーカスをニゴーチと言っているのだろうか。確かにルーカスのイメージカラーは黒だが…
◇◇◇◇
会話がしたそうなので、荷物をまとめて図書館のテラス席に移動する。
「で?どうした?レポートのことか?」
レポートに使いそうな資料を胸に抱えて固まっているルーカスに声をかける。
「おい?間に合わない感じとか?え、やべぇぞ、今日の16時提出じゃねぇか。見せてみろよ」
ノロノロとレポートを広げ始めたが、決して美しくない文字がこれでもかと書きなぐられ、一見非常に見づらい。
「す、すげぇな!これ!」
ランドルフは思わず立ち上がって興奮気味に手にしたレポートに見入る。
4種類の課題がランダムに出されると聞いて、歴代の先輩方のレポートをかなりの数かき集めて分析してきたが、そのどれにも当てはまらない切り口で考察されていて、見える部分を斜め読みしただけでもワクワクするレポートになっている…が
「ちょ、ちょっとまて、なんでいきなり結論から書いてるんだよ!」
「ん?課題の答えを書くんじゃないのか?」
「おいおい試験の解答用紙じゃないんだから、まずは導入で、えっと、ここまでが結論か?あ?なんだこりゃ、読めねえんだけど」
ランドルフ監修のもと黙々と、時間ギリギリまで書式を整え最低限読める文字に書き直し、あとは提出するだけという時にやっとルーカスがおずおずと口を開いた。
「ランドルフ…」
「あぁ、お礼なんて今言ってる場合じゃないだろ、ほら、あと5分だぞ!急げ」
そんな感極まった声でお礼を言うなんてかわいいところもあるじゃないか、と少しニヤけながらレポートの束を揃える。
「お礼を言いたいわけじゃない」
真顔のルーカスに妙にキッパリ言い切られた。
「あぁぁ?なんだお前、余計なお世話だってか?失礼にも程があるだろ!」
バッと顔を上げると、眉を顰め非常に悲しそうな表情のルーカスが静かに言った。
「これは提出できない」
そうか、とランドルフは思いつく。
「…オレは書式を整えただけで手は加えてないぞ」
「…でも」
「自分一人で仕上げてないから不正になるって心配してるのか?いやいや、それ言ったら他のやつ誰一人提出できないぞ、自信持てよ!」
そうだ、真面目すぎるほど真面目な奴なのだ。これは自分にストイックでいつも一人で取り組んできた弊害か?
うんうん、と心の中で頷いていると
「いや、こうしてまとめたら、調べたいことが出てきた」
予想もしないセリフを言い出しやがった。
「は?」
「ここ、この8枚目の根拠が甘い、調べ直したい」
ふむ、とレポートを読み返し始めるルーカス。
「と、とりあえず出せよ!!わーあと2分!!」
「でも」
「そこが甘くても筋は通っているしもういいじゃねぇか!できあがってるんだし」
「でも…これじゃ納得できない」
口をとがらせて黙り込むルーカス。きっとこいつ小さい頃からこんなだったんだろう。瞬間バハート子爵夫妻の子育ての大変さに思いを馳せる。
「でももくそもねぇ!ほら、あ!わかった、調べ直したいって言いにいこ!立て!走れ!行くぞ!」
このままだったら、この努力がまったく報われないことになってしまう。そんなのありえないだろ。
自分より大柄な筋肉だるまの腕を抱え込むようにしてランドルフは久々に全力疾走するはめになったのだ。
時間なので、と渋る助手をランドルフが説き伏せ、なんとか教授に書き上げたところまでを見てもらうことができた。更に提出期限をのばす交渉をランドルフが必死で行い、二人で教授の部屋から出ると廊下で立ち話をしていた女生徒たちがクスクス笑いながらこちらを見ている。
「ほら、ニゴーチよ」
「わたしショックなんだけど」
斜め上を見上げなくたって隣の気配がキュッと強張るのを感じる。
いつものようににこやかな表情を取り繕えてないなと自覚しながらランドルフは女生徒たちに近づいた。
「あのさぁ、なんだよ、それ」
女生徒たちは「やば」と言いながら散り散りに走り去っていった。
「オレはそんなに恐ろしいのだろうか」
傾いた陽が長い影を作る学園の廊下に低い声が溶けていった。
◇◇◇◇
「えっと、ではそのお兄さまのご友人も次のお茶会にお見えになるのですね」
小一時間かけて今のルーカスの状況をなるべく誰も傷つかないように言葉を選んで妹に説明したところ、聡明な妹はすぐに全てを理解したようだった。
「優しい方なのに、見た目がニゴーチで学園の方々に怖がられていることを悩んでいらっしゃるので、わたくしが普通に接することで人間としての自信回復をさせようというわけですのね」
「や、ま、そうなんだが、なんでそうきれいにまとめるのかね。身もふたもないっていうか。傷つけないように遠回しにした意味とは」
ひどく気落ちし、あれから学園を休みがちになってしまったルーカスをなんとかしようとあれこれ考え、信頼できる妹に助力を頼むことにしたのだ。
妹はルーカスが唯一話せるランドルフによく似ているし、なにより賢いので適役だと思われたのだが。
妹のリーチェはランドルフと同じピンクブロンドの髪を持つがランドルフのフワフワな毛質とちがってストンと面で光るストレートである。顔立ちはよく似ているが瞳の色だけがアメジストでそのせいかランドルフより落ち着いた雰囲気をまとっている。
外見はほぼ同じなのに雰囲気はだいぶ違うのは、中身が全く違うことに起因しているかもしれないが。
「ご友人のピンチをどうにかしてあげたいだなんて」
「友人?え?」
「お兄さまは学園生活は無駄なことをなさらずに過ごされてると思ってましたわ」
2つも年下のくせに慈愛の眼差しを向けられランドルフはたじろぐ。
確かに効率主義なところがあるランドルフはなるべく無駄を省いて手を抜けるところは手を抜いて単位を取得し、将来つながりそうな人間を選んで関係を構築してきた。
そう考えるとルーカスは将来全く交わらない、ランドルフの人生に関係のない人間であると言える。
口元にやわらかい笑みを残しリーチェは続ける。
「学園というのは面白いところなのですね」
リーチェはふむ、と白く長い指を唇に当て何やら思案しニッコリと笑った。
「ふふふ、ではエリス・リットンを誘ってみますわ」
「あぁ、リットン嬢か、なるほど」
「えぇ、エリスなら面白がりはすれ怖がることはないでしょう」
「おもし、ろ?」
ふふふっと天使のような笑顔を見せるリーチェにランドルフはうっかり見惚れてしまった。
ま、あいつもこのかわいい妹と普通に話せたら学園のやつらなんでどうでもよくなるだろ。多分。
◇◇◇◇
事前に家から正式に招待状を送ったというのに、時間を過ぎても現れないルーカスを屋敷まで迎えに行き、バハート家の人々総出で馬車に押し込んでやっとフロンスト家の敷地内まで連れてきた。
グイグイと筋肉だるまの腕を抱え込み、つっぱらかって止まる度に従者に背中を押してもらい、汗だくで引きずること30分。ようやくリーチェとエリスが待つ庭の四阿が見えてきた。
病院に行きたがらない大型犬かなにかか?
「ランドルフ、やっぱ無理だ」
「ここまで来てなにをいう」
「妹さんをこ、怖がらせてしまうだろう?お、オレは…」
「絶対にこわがらねぇから、っていうかほんとあいつらがおかしいだけで、お前は普通の人間だ!」
ギッとつっぱらかるルーカスを歯を食いしばりながら引っ張っていると、急に力を緩められ、ランドルフはひっくり返ってしまった。
「てんめぇ!」
芝生を頭にひっつけながら見上げると、耳まで真っ赤に染めたルーカスが猫背で腕をだらんとさせて突っ立っている。
ルーカスの目線を辿るとリーチェとリットン嬢が美しいカーテシーをし、ニッコリと微笑みながら自己紹介をしている。
いや、そりゃうちの妹は天使のように美しいけどさぁ
ランドルフはケッという顔で立ち上がり着衣を整える。
「まぁ、人が恋に落ちる瞬間を初めて見てしまいましたわ」
いつの間にかランドルフの隣に寄っていたリットン嬢が扇の中でささやく。
「おひさしぶりです。ランドルフさま。ランドルフさまとニコイチだと思いましたのに、リーチェの美しさは罪ですね、ふふふ」
「待て待て、なんだ、そのニコイチというのは」
ニコイチ…ニコーチ…ニゴーチ?
リットン嬢の発音を聞いてあの学園で聞いてきたニゴーチとピッタリ重なった。
ぽーっと反応がないルーカスにさすがに困ったのか、リーチェがタタタと寄ってきた。
「ほら、だから申しましたでしょ?お兄さまは違うって。そもそもお兄さまはそちらではなくてよ?」
どうしよう、若者の言葉が全くわからん。オレがどちらだって?
「だって二ゴールのような野生みあふれる方とランドルフさまだなんて!」
んん?
その後巷で流行っているニコイチの意味を教えてもらったランドルフは、ルーカスの初恋を全面的に全力で応援し、リーチェとの婚約を成立させたのだった。
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誤字のご指摘ありがとうございます!