第465話 フェルメールの青夜空
シャルロッテがイレーネに到着した翌日、遅れてドロテアも帝国の土を踏みしめた。
彼女はグロッサー770で帝国宮殿へと送迎され、そこで俺は彼女と初めて顔を合わせた。
その彼女は、以前ザイエルンで会った嫡男のループレヒトを想起させる、利発な雰囲気をまとっていた。
「お初お目にかかります陛下。私はドロテア・イン・ザイエルン。以後お見知り置きを」
「俺はルフレイ。ルフレイ・フォン・チェスター=エスターライヒだ。君のことはある程度シャルロッテから聞かせてもらったよ」
薄桃色の髪のシャルロッテとは対象的に、ドロテアの髪の毛は吸い込まれるような深い青であった。
フェルメールの絵画を思い起こさせるその髪は、天然のパーマなのか波のようにうねっていた。
……こうも立て続けに美女、と言うしかない女性にあっていては俺の目が肥えてしまうな。
俺はドロテアの金色の目を見つめると、彼女もこちらを見つめ返してきた。
その瞳は例えるのであれば青の夜空の中の星であろうか、そう感じさせるほどに奥底に輝きを宿していた。
すべてを見通す真実の眼、とはこのようなものをいうのかもしれない。
「陛下のことは叔父からよく聞いております。その節におきましては祖国を救援していただきありがとうございました。全国民を代表してお礼申し上げます」
「何、貴国が困っている以上見過ごすわけにもいかないのでね。それに礼であれば軍を率いたヒンデンブルクやルーデンドルフに言ってくれ」
「ヒンデンブルク元帥閣下にルーデンドルフ元帥閣下。お二方にもしお会いできるのであれば、ぜひお礼申し上げたいものです。お二方は今の公国において、父公爵よりも人気のある人物となっておられますし」
ヒンデンブルクにルーデンドルフ、タンネンベルクでもそうだが何かと英雄扱いされがちだな。
まあマッケンゼンもローゼンブルクでは銅像の建立が始まっているというし、彼もあまり変わらないかもしれないが。
だが、過度にイレーネの人気が上がると、現地の統治機構の人気が相対的に下がって悪い流れになる気がしなくもないが。
「ドロテア。君も合流したことだし、今日は帝国を知ってもらうためにいろいろな場所を巡ろうと思うんだが、どうだ?」
「それは良いですね。公国とはまた違った景色、技術、人……それを身近に感じられるのは光栄です」
「そうか。ならばすぐに出立の準備をしよう。あ、あと帝国は冬で冷えるから、きちんと防寒具は持っていくように。なければ誰かから貸してもらうと良い」
南半球のザイエルンやローゼンブルクは今は夏なので、急な気温変化で体調を崩すかもしれない。
そのため、あらかじめ防寒具はしっかりと準備しておくようにと俺はシャルロッテにも伝えてあった。
各々が必要とする準備をした後、俺たちは視察のためにルクスタントへと飛び立った。
◇
B-36を改造した旅客機でイレーネを飛び立った後、俺たちルクスタントへと降り立った。
ルクスタントはイレーネよりも緯度が少し高いので、気持ち本島よりも冷えているように感じた。
だが各々毛皮などで作られた厚いコートを羽織っているので、寒さには耐えることができる。
「飛行機はコアレシアで見たことがありますが、あんなに大きいものは見たことがありませんわ。あれを飛ばすことのできるイレーネの技術とは一体……」
「シャルロッテ、そんなことはイレーネ島の町並みを見ても一目瞭然でしょう。イレーネはザイエルンやローゼンブルクはもちろんのこと、コアレシアをも遥かに凌駕した超大国なのよ」
俺の後ろをついてくるシャルロッテとドロテアは、飛行機に大いに驚いたようだ。
そんな彼女らに、同伴しているグレースやベアトリーチェはいくつか補足の説明をしたりしていた。
最初は起こっていた彼女らであったが、今はすっかりシャルロッテらと仲良くなってしまったな。
そんな俺たちは、周囲を近衛連隊に囲まれつつルクスタントの街へと繰り出した。
この街……ルクスタントの首都は、今はルイの改名前の名前を取って『カールスブルク』と名乗っている。
その名にまったく恥じず、カールスブルクはルイの統治の下中央集権の象徴として大いに発展していた。
沿道の建物の窓からは国民が顔を出し、寒いであろうに帽子を振って俺たちを迎え入れた。
シャルロッテとドロテアは少し戸惑っているようだが、グレースとベアトリーチェはもう慣れたように手を振り返していた。
俺も被っていた軍帽を脱ぎ、それを振ることで彼らの歓迎に応えた。
「陛下。あの大きな木はなぜ道の真ん中に飾られているのですか? なにか意味があるのでしょうか?」
俺たちが歓声に応えつつ町中を練り歩いていると、ドロテアが一つの木を指さして言った。
彼女の指さしたものの正体はクリスマスツリーであるが……その意味は彼女には分からないだろう。
なにせ、俺が持ち込んだ文化が勝手に浸透して出来た、新たな祭りなのだから。
「あれはまあ、一年を無事に過ごせた祝のようなものだな。この時期には彼らはこうやってクリスマスマーケットを開き、扉にリースを飾り付け、全員で大きなクリスマスツリーを立てるのさ」
「そんなお祭りが……何だかすごく人の温もりが感じられて、とても心地よいですわ」
シャルロッテが心地よいと感じるのは、きっと街を照らす電球のせいもあるだろう。
魔石油での火力発電で電力が賄われるようになった今、都市部ではこうして電気が通っていた。
その電気が生み出す光は、人工のものであるはずなのに、雪に反射して人々の、度重なる戦争で荒んだ心を優しく包みこんでいた。
「なんだか帝国は、国民の信頼、為政者たる皇帝陛下の慈悲、そして女神様による普遍の愛が一体となって形作られているように感じますわ。そのどれが欠けても帝国は存在し得ず、その全てが存在しているゆえに帝国は繁栄を謳歌している。まさに『神聖なるイレーネの帝国』を名乗るに相応しい国家だと思いますわ。ドロテアもそう思いませんこと?」
「シャルロッテ、私も貴方に同感よ。この国の制度を学んで祖国に活かそうかとも思ったけれども、残念ながら不可能そうね。ザイエルンにもローゼンブルクにも、そしてコアレシアにも、帝国を帝国たらしめるための要素が欠けている。特に国民からの信頼が、ね」
シャルロッテもドロテアも、随分と深いことを考えながら、カールスブルクの街を観察しているようだ。
彼女たちもコアレシアという敵がいる以上、為政者の家系の人間として思うところがあるのだろうな。
シャルロッテやドロテアがそんな事を考えないといけないほど、現実とはこの降りしける雪のように軽くはない、しかし雪のように儚く脆いものなのだと痛感した。
◇おまけ:クリスマス
神聖イレーネ帝国におけるクリスマスは、『第187話:サンタより、愛を込めて』の段階で初めて導入されました。
あの頃はアメリカ軍人のもとでクリスマスが主導されたためアメリカ様式でしたが、今はドイツ軍人の影響が大きくドイツ式のクリスマスマーケット(ヴァイナハツマルクト)が催されたり、シュトーレンが作成されたりしています。
その過程でイズン教の祭日として組み込まれましたが、実際にはクリスマスから宗教的な点は大きく払拭され、本文中にあるように一年を乗り越えたことの祝祭のような意味合いが強くなっています。
日取りも12月の15日〜31日と、通常のクリスマスよりも長いです。
そんな(まだハロウィンにもなっていないのに)イレーネのクリスマスの紹介でした。
またいつか、イズン教の教義についてもおまけで書きたいと思います。




