第464話 それはセイロンの香りとともに
鎮守府本庁舎に入った俺たちは、そのまま応接間へと向かった。
鎮守府内はストーブが焚かれているので、非常に快適であった。
床に敷いたラグが軍靴の音をかき消し、心地の良い踏み心地を提供した。
応接間を警護する武装親衛隊員は、俺たちの到着に合わせて扉を開いた。
俺は彼に敬礼で応え、応接間の中へと入った。
脱いだ軍服のオーバーコートをグレースは受け取り、部屋のハンガーに掛けた。
俺は応接間のソファーに座り、その左右にグレースとベアトリーチェが座った。
その反対側にはシャルロッテが座り、彼女が護衛として一緒につれてきていた兵士2人が後ろに立った。
兵士は2人とも女性であるが、とても頼れそうな良い顔つきをしていた。
「さて、改めてようこそ、神聖イレーネ帝国へ」
「ええ。本日はどうぞよろしくお願いいたしますわ」
軽く挨拶を交わした後、ちょうど部屋に紅茶が運ばれてきた。
俺はティーポットからカップに紅茶を注いだ後、一口口に含んで飲み込んだ。
先程まで外にいて冷えて体を、紅茶は優しく内側から温めてくれた。
「あ、ダメです大公女殿下。まずは私どもが毒見を……」
「そう? 陛下がお飲みになられているのだから大丈夫だと思うけれど……」
「それでも何もないとは限りません」
「……陛下、別に私たちは陛下を疑っているわけではありません。お気持ちを害されてしまうと申し訳ありませんが……」
別にこの程度のことでどうも思うことはないので、俺は紅茶の毒見を許可した。
許可を受けた兵士が一口含んだが……無論何の問題もなかった。
そもそも、友好国の外交使節のようなものであるシャルロッテを暗殺する意味がまったくないのだがな。
「……これは、随分と飲みやすく上品な紅茶ですわね。祖国でもこのような上等な代物は飲んだことがありません」
「それはセイロン島のもの……いや、少し有名な産地のものだ。気に入ったのであればいくらか土産として用意させよう」
「ありがとうございます。きっと父と母も喜ぶと思いますわ」
この紅茶は帝国内で栽培されたものではなく、俺が召喚したものだ。
産地はセイロン島だと言ったが、もちろんセイロン島は存在しないので言い直した。
チャーチルがオススメしてくれた品種だったが、シャルロッテの言う通り非常に飲みやすい、いい味であった。
「では、本題に移ろうか。シャルロッテ、君がどうして帝国に連れてこられているかは知っているか?」
「ええ。陛下との婚姻を結ぶためだと父からは聞いていますわ」
「……嫌じゃないのか? こうして初めてあった男と結婚しろと言われるのは」
「いえ、そうは思いませんわ。そもそも貴族の女性というのは、政略結婚の道具として家に尽くすもの。それが女性として生まれてきた意味であり、義務ですわ。そのお相手が陛下という、神聖にして高貴な御方であるというのは、非常に喜ばしいことですわ」
シャルロッテはそう言い、迷いなど微塵も感じさせずニッコリと笑った。
これが貴族の当たり前だということは知っているが、幼少期から教え込まれるとこうなってしまうのか。
グレースやベアトリーチェはその枠外で俺と結婚したから、やはり不思議な気分だ。
「きっと、ドロテアもそう思っていますわよ。陛下が気負いなさる必要はないですわ」
「ドロテア……?」
「あら、ご存じないですの? ドロテアはザイエルンの公女にして、陛下に嫁ぐもう一人の候補ですわ。私とドロテアは姉妹のように接してきたので、こうして再び一つになれるのは嬉しいですわ」
ザイエルンから派遣されるもう一人の嫁候補、確かにそうリストに書いてあった。
彼女もきっと、シャルロッテと同じく自分の結婚を義務のようなものだと思っているのだろう。
もしその気持ちのまま結婚するというのであったら、彼女たちは報われないな。
「ところで、シャルロッテは俺に惚れているわけでもないだろう? 家のことはおいておいて、本音ではどう思っているんだ?」
俺は試しにそう聞いてみたが、シャルロッテは不思議そうな顔をして首を傾げた。
だがしばらく考えてみると、そのままの単語の意味としてようやく受け取れたらしい。
「本音、ですか。不思議なことを聞く御方ですわね。そうですわね……本音でも兵亜kと結婚できることは嬉しく思っていますわ。おじじ様の話を聞いたときから貴方への興味が湧いて仕方がなかったのですから」
「……因みに聞くが、マッケンゼンは俺のことを何と言っていたんだ?」
「おじじ様は陛下を『誠実にして献身的。民を愛し民に愛され、女神様より際限なき恩寵を与えられた統治者の鏡にして皇帝の中の皇帝。私が命をかけるべきもの』であるとおっしゃっていましたわ」
何を要らんことを吹き込んでいるんだ、と俺は思いながらちらりとマッケンゼンを見た。
彼は目線を逸らす……かと思われたが逆に自慢するような目で俺のことを見てきた。
流石は質をくぐり抜けてきた将軍というべきか、彼の態度は至って堂々としたものであった。
「うーん。シャルロッテ、君が俺に抱いている想像は現実とはかけ離れているかもしれない。迂闊に信じることなく、見極めるべきだと思うぞ」
「ふふ、きっと大丈夫ですわよ。陛下はそこのお二方とご成婚なされているのでしょう? それほど愛されてい陛下は、間違いなくいい人ですわ。……コアレシアのと違って」
「なにか言ったか?」
「いいえ、気の所為だと思いますわよ」
何か強烈な悪口が聞こえてきた気もするが、気にしないでおこう。
にしても、マッケンゼンがいらないことを吹き込んだせいでシャルロッテは随分と洗脳されてしまっている。
この誤解を解くためにも、しばらくは彼女に俺というものが何たるかを見極める期間を設けようと思う。
「シャルロッテ、君がイレーネに滞在できる時間はまだ十分にあるはずだ。その間に俺という人間を観察してみて、最後に結論を出しても遅くないんじゃないか?」
「陛下がそれを望まれるというのでしたら、そう致しましょう。私としては、ドロテアともども陛下に身を捧げさせて欲しいのですがね」
「いいか、家のことは気にする必要はない。シャルロッテとの婚姻が対コアレシアの同盟のためであれば、結婚などせずとも解消することはないさ。だから、君の心に素直になって判断するんだ。良いか?」
「……そうさせていただきますわ」
こうして、暫くの間シャルロッテと、後に到着するドロテアは、俺とともに時間を過ごして俺という人間を見極めることになった。
マッケンゼンの洗脳がこれで解ければ良いのだが、どうなるかな……。
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