第463話 美しき淑女【シャルロッテ】
ビスマルクとオリビアらの共謀により始まった俺の側室を迎え入れる計画。
グレースとベアトリーチェによってこっぴどく叱られた俺たちであったが、オリビアたちはともかく他国を巻き込んでいる時点で、もう止めるわけにもいかなかった。
2人もその点は重々承知しており、計画自体を止めるようには言わなかった。
特にローゼンブルクとザイエルンの大公女と公女は既にこちらに向かっているらしく、俺たちは急いで迎え入れる準備をせねばならなかった。
彼女らを差し出すと行ってきたローゼンブルクとザイエルンは、彼女らの存在を人質とすることで帝国との安全保障を強化したいつもりなのだろう。
その理屈は分かるが……そのために子供がこのように扱われるのは不憫なように思われるな。
「ローゼンブルクの大公女とザイエルンの公女……どんな方なのかしらね?」
「旦那様よ、ザイエルンに行っている間にその姿を見る機会はなかったのか?」
グレースとベアトリーチェは、まだ見ぬ大公女と公女に興味を持っているようだ。
正確に言えば興味、ではなく対抗心なのかもしれないが。
俺は彼女たちの言葉に首を横に振ると、残念そうな表情を浮かべた。
コンコン……
「陛下、少しよろしいでしょうか」
「ん、オリビアか。入ってくれ」
オリビアが部屋に入ってくると、グレースらの姿を見つけて少しビクッとしていた。
彼女も今回の件の主導者として、俺たちとは別個に彼女らから説教を食らっていたのだ。
だが、俺との関係ももう長いオリビアを、グレースもさほど咎めることはなかったらしい。
「先程、ローゼンブルク大公女殿下を乗せた船が接近しているとの報を受けました。陛下にはその出迎えをしてもらいたいと、チャーチル卿から要請が来ております」
「俺が? 別に構わないがなにか理由でも?」
「詳細はわかりませんが、大公女殿下はイレーネに派遣されるよりも前に陛下について興味を持っておられるようでして、その気持ちに応えてあげてほしいとのことです」
「俺に興味を? 理由はよくわからないが、とりあえず行ってみることにしようか」
グレースは俺にコートを渡し、ベアトリーチェは軍帽を渡してくれた。
それらを身に着けた俺は、宮殿前で待っているグロッサー770に乗り込み、イレーネ湾を目指した。
……背中からグレースとベアトリーチェの鋭い視線を感じつつ。
◇
冬のイレーネ島は、特に今年はよく雪が降っている。
イレーネ湾も例外ではなく、港の施設の道路には、凍結防止のための塩化カルシウムが撒かれていた。
俺は白い息を吐きながら、左手を少し冷えた元帥刀の柄に手をおいた。
「うう、今年の冬は一段と冷えるわね……」
「イレーネの緯度的にはここまで寒くはならないはずなんだが、吹いてくる風の影響だろうな」
「まあ雪が降るのは楽しいことじゃから良いではないか! ほれ旦那様よ、こっちを見てみたまえ」
俺はそう呼びかけられてベアトリーチェの方を見ると、直後に顔に冷たい何かが当たった。
それはベアトリーチェ謹製の雪玉であり、俺に見事当てた彼女は愉快そうに笑っていた。
反撃したい気持ちは山々だが……今は自重しておこう。
「陛下、こんな場所に立っておられては風邪を引きますぞ?」
「チャーチル卿。俺がこんな場所にいるのは君に呼ばれたからなんだがな」
チャーチルは葉巻を口から離し、息とともにゆっくりと煙を吐き、その白い軌跡は息とともに空に舞い上がった。
彼は健康の心配がなくなったこの体になって以降、葉巻を吸う頻度が増えたと言っていたな。
そんな彼に葉巻を差し出された俺であったが、体に悪いという理由でこれを断った。
「そういえばチャーチル卿。ローゼンブルクの大公女が俺に興味津々だとオリビアから聞いたが、どこで彼女は俺のことを聞いたんだ?」
「まあそれは十中八九……いえ、その話は後にしましょう」
「別に教えてくれたって良いじゃないか。葉巻の消費量に見合わずケチだな」
「ハハハハ! まあケチでないと大英帝国の舵取りなどとても出来ませぬよ」
ボーッ……
そんな会話をしていると、湾内に汽笛が鳴り響くのが聞こえてきた。
大公女を乗せた貨客船の橿原丸が雪の外から姿を表すと、イレーネの湾に停泊した。
橿原丸の甲板にはタラップが取り付けられ、そこから一人の女性が降りてくるのが見えた。
その女性……ローゼンブルクの大公女はグレースやベアトリーチェなど、さんざんこの世界の美しい女性を見てきた俺にとっても、ひときわ美しく見える女性であった。
薄い桃色の髪は高い位置で一つに括られており、膝のあたりまで緩やかに続いていた。
グレースとベアトリーチェも想像以上の美貌であった彼女に、呆気にとられているようだ。
「初めまして、神君ルフレイ・フォン・チェスター=エスターライヒ陛下。私はシャルロッテ、シャルロッテ・フォン・ローゼンブルクと申します。以後お見知り置きを」
優雅なカーテシーを披露した彼女は、こちらをちらりと見るとニコリと笑った。
不意を付かれた俺は、もしかすると顔に動揺の色がでていたかもしれない。
また、背中からチクチクとした視線が感じられるのは……気の所為ということはないだろうな。
「シャルロッテ大公女殿、よくぞ帝国にいらした。せっかくの異郷の地、重たき使命は忘れてひとまず楽しんでいただけると俺……余も嬉しく思う」
「ふふ、別に無理をせずともよろしいのですよ? 普段通りの口調で話していただけたほうが私としても嬉しゅうございます」
ビスマルクから「外交使節に会う時に一人称を俺にするのはやめてくれ」と言われたから思い切って「余」などという言葉を使ってみたが、やはり何も慣れないことはいけないな。
「……じゃあ普段の話し方で。俺は君の行った通りルフレイ・フォン・チェスター=エスターライヒだ。以後よろしく頼む」
「はい♪ ……にしても、おじじ様から聞いていた通りのお方ですのね」
「おじじ様? それは誰のことだ?」
シャルロッテが前々から俺に興味を抱いていたということ。
それは誰かが俺のことを彼女に話したからだろうとは思っていた。
だが彼女の言う「おじじ様」とは、一体誰なのであろうか?
「おじじ様はですね……ちょうどお越しになられたようですわよ?」
シャルロッテはそう言い、俺の後ろに向かってカーテシーを行った。
誰がいるのかと思って俺が後ろを向いてみると、そこには意外な人物がいた。
いや、逆に意外ではなく必然の人物なのかもしれないな。
「……マッケンゼン元帥、シャルロッテ殿に何を教えたんだ?」
そこにいたのは、アウグスト・フォン・マッケンゼン陸軍元帥であった。
彼は姫竜騎兵連隊を率いてローゼンブルクにいたのだから、その過程でシャルロッテと接点があっても不思議ではない。
彼は俺とシャルロッテに敬礼を行い、そして口を開いた。
「陛下のありのままですぞ。何も脚色のたぐいはしておりませぬ」
「……本当か? まあ良い。とりあえずここでは冷えるから、鎮守府の本庁舎に行こうか」
俺たちは冬の潮風を浴びながら、丘の上にある鎮守府の本庁舎を目指した。
その間、シャルロッテはマッケンゼン元帥やグレース、ベアトリーチェを交えて話をしていた。
何だかマッケンゼン元帥やチャーチル卿に意図があるような気がしてならないが、今は気にしないでおこう。
◇おまけ 人物紹介①【アウグスト・フォン・マッケンゼン】
ドイツ帝国下の陸軍軍人であり、最終階級は陸軍元帥。
第一次世界大戦において東部戦線(独vs露)での一大会戦である『タンネンベルクの戦い』においてのロシア軍の包囲に大きく貢献し、最終的にはロシア軍が17万近くの損害を出して敗走する事となった。
タンネンベルクの戦い後は、ドイツ第9軍を経て第11軍を率い、セルビアとルーマニアという2カ国を攻め落とす大戦果を上げた。
渾名は【最後のユサール】であり、姫竜騎兵連隊を指揮するのもそのためである。
(ユサールとは軽騎兵のこと)




