第457話 満天の星の下に生まれし御子
イレーネ島、帝国宮殿内に存在する原初の神殿。
ここはかつて俺が転生してきた時に飛ばされた場所であり、この地上で唯一イズンの力により建設された建物だ。
この神殿で俺は、もうかれこれ8時間ほど祈りを捧げていた。
陣痛が始まりグレースが陣痛室に入ったのが午後4時、だが今は既に日をまたいでいた。
冬の石造りの神殿は底冷えするが、このぐらいは我慢しなければいけない。
なにせ、彼女はもっと苦しい思いをしているのだから。
「……!」
誰かが神殿の中に入ってきた気配がすると、俺の背中に毛布がかけられた。
驚いて後ろを見ると、そこにはオリビア、ミラ、そしてエルシェリアがいた。
彼女らも俺の隣にひざまずくと、神殿に安置された女神像に祈りを捧げ始めた。
「オリビア、ミラ、そしてエリー。こんな時間にここに来ては風邪を引くぞ?」
「それは貴方も変わらないでしょう?」
「それはそうだが……だがグレースの安全を願うならば、こうせずにはいられないのだよ」
「それは私達も同じです、陛下。そして臣民たちも皆」
グレースが出産の準備に入ったことは公に公表されていた。
そのため、各国の教会やフランハイムの宮殿の前には、無事を祈る臣民が集っているらしい。
彼らもまた、凍てつく冬の空気を浴びながら、同じく祈りを捧げているのであった。
帝国の皇帝の子供が生まれる――それはこれほどにも大きな意味を持つのであった。
その子が男の子であれば帝国の後継者と見なされ、女の子であれば誰に降嫁するかで話題になるだろう。
子供と言えど、政治の駆け引きに使われるであろうことは目に見えていた。
それでも、子供のうちは普通の子と同じような生活をさせてやりたいと俺は願っている。
それは俺が生粋の貴族ではなく、日本人として生まれて日本人として育ってきたせいであろう。
たとえ皇族であろうと、子供は子供なのだから。
『……ルフレイ。今日は随分と祈りに精が出ているわね』
俺たちの頭の中にそう声が響いたかと思うと、目の前に光が集まりだした。
それは段々と人の形を形成し始め、やがてはイズンの姿へと変わった。
その姿を見た俺以外の3人は、驚いた顔をしてすぐさま額を床につけた。
「そんなことしなくてもいいわよ。この時期の床は冷えるでしょう。ほら、頭を上げて」
「し、しかし創造神たるイズン様の御前で頭を上げるなど……」
「気にしなくていいのよ。ほら、ルフレイなんて普通の姿勢のままよ?」
「俺は君のことをよく見ているからな。もう慣れてしまって驚きなんてないさ。だから君たちも頭を上げるといい」
その言葉を聞いた後、ミラたちは恐る恐る頭を上げた。
そんな彼女らの目には、イズンの姿は神々しく、何事にも代えがたい美しさを放っているように映った。
特にミラとエリーは、感激で声も出ないと言ったような雰囲気であった。
「で、あなたはこんなに夜遅くまで祈ってどうしたのかしら?」
「……グレースが今出産を行っている最中だ。だから安全を願って祈りをね」
(グレースが……あの子にはいつも先を越されるわね)
「何か言ったか?」
「いえ、別に。それよりもグレースの出産だけど、きっと無事に済むわ。なにせ神の使徒たる貴方の子供だからね」
イズンはそうは言うが、万一というものがある以上気は抜けない。
子供が生まれたとしても、母体が危険にさらされるケースだって存在するのだ。
たとえ子供が生まれようとも、グレースが代償を負えば俺は絶望の淵に立たされることになろだろう。
タッタッタッ……バンッ!
「陛下、失礼いたします! グレース様が――」
急に扉が開いたかと思うと、グデーリアンが息を切らしながら神殿に入ってきた。
「どうしたグデーリアン! グレースになにかあったのか!?」
「それはこの急電を読んでいただければわかります!」
俺はグデーリアンから電報の紙を受け取り、急いで開いた。
ミラやオリビアたちも横からその開封を覗き込み、何が書いてあるのか見守った。
そして底に書かれている内容を読んだ俺の目尻には、涙が光っていた。
「生まれた……元気な女の子が!」
「おめでとうございます陛下! 陛下の御子に幸あれ!」
「おめでとう。私もいつかは子供を生むことになるのかなぁ……」
「ね、言ったとおりでしょう? 次は私と……どうかしら?」
その場にいた全員が祝福の言葉を口にし、グレースとその子を称えた。
一部変な声も混ざっていた気はしないでもないが、俺の耳にはそんな言葉は入ってこなかった。
すぐに神殿からでた俺は、ついてきたグデーリアンに言った。
「ミトフェーラ行きの飛行機を今すぐに手配しろ! 最も速いものをだ!」
「ご心配なく。既に待機させてあります」
その言葉を聞き、さすがはグデーリアンだなと思った。
俺は宮殿前に待機していたグロッサー770に乗り込み、飛行場へと移動した。
◇
イレーネ島を出発してからミトフェーラに到着したのは、さらに10時間後のことであった。
どうしても大陸において東端から西端への移動となると、これだけの時間がかかってしまう。
俺はB-1Bランサーに揺られながら、満天の星の下、ミトフェーラに降り立った。
コンコン……
「はい、どうぞ」
俺が扉を叩くと、奥からグレースの元気そうな声が聞こえてきた。
扉を開ける前に一息ついた俺は、刺激しないようにゆっくりと扉を開けた。
その先に見えたのは、疲弊しながらも幸せそうなグレースと、その手に抱かれた小さな赤子であった。
「……グレース。本当に良く頑張った」
「ふふ、ありがとう。でも、そんなことよりも早くこの子を抱きたいんじゃないの?」
俺はグレースのベッドの縁に座ると、彼女から赤子をそっと渡された。
その子はまるで玉のように美しく、少し触ると崩れてしまいそうなほどに華奢であった。
初めての子……俺の中には言葉に表せないほどの充足感が溢れていた。
「……前に言った通り、この子をエリーザベトと名付ける。そして皇帝の名において、この子をミットフリートの女大公とする」
「エリーザベト……やっぱりいい名前ね。男の子でなかったのは残念かもしれないけれども、それでも大事な子供よ。……ところでなぜ貴族位を与えるのかしら?」
「エリーザベトは政争の道具にされるかもしれないからな。貴族位を与えておいたほうが簡単には手出しできなくなるだろう。この子を守るためだよ」
「政争……私は本当はこの子にはそんなことには巻き込まれずに育ってほしいんだけれどもね……。私も子供の頃は随分と苦労したから」
グレースはそう言い、少しだけ髪の毛の生えているエリーザベトの頭をそっと撫でた。
エリーザベトは金髪に碧眼、両親の特徴を色濃く受け継いだ子であった。
きっとグレースのように美しい子に育つ……と思ってしまうのは親バカであろうか?
コンコン
「グレース、妾じゃ。失礼するぞ」
扉の奥から聞こえてきたベアトリーチェの声に、グレースは「どうぞ」と返した。
扉を開けて部屋の中へと入ってきたベアトリーチェは、お腹がぽっこりとしていた。
歩いて大丈夫なのかと思うが、メイドたちに補助されているし医師も同伴しているので大丈夫なのだろう。
「ふむ、グレースににて美しい子じゃな。この子は将来立派になるじゃろうな」
「まあ、ありがとう。でもベアトリーチェ、あなたは大丈夫なの? もうすぐであなたも出産でしょう?」
「それなんじゃが、さっきから妾にも陣痛が来たようじゃ。グレースに一日遅れての出産になりそうじゃと思って報告しておこうと思ってな」
「「え?」」
まさか2人続いての出産となるとは思ってもいなかったので、俺もグレースも唖然としていた。
虚を突いたことが嬉しかったのか、ベアトリーチェはハハッと笑った。
その顔は無邪気なものであったが、出産という一大イベントに向けたベアトリーチェの痩せ我慢なのかもしれない。
「というわけで妾は陣痛室に移動するのじゃ。旦那様よ、楽しみにして奥が良いぞ!」
「ああ。これだけしか言えないのが残念ではあるが、頑張ってくれ」
俺の言葉にベアトリーチェはひらひらと手のひらを振りながら部屋を出ていった。
残された俺とグレースは、思いがけない幸運な瞬間に驚きを隠せなかった。
ただ一人、何のことなのかわからず俺を手でペシペシと叩いてくるエリーザベトを除いて。
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