第455話 芽吹く2つの蕾
イレーネ島、帝国宮殿。
ザイエルンへの遠征から帰ってきた俺は、その足で宮殿へと戻った。
軍服も脱がないままグレースの部屋へと向かった俺は、刺激しないようにそって扉を開けた。
「あら、お帰りなさい」
「ああグレース、只今。どうだ、体調は?」
「そうね、不定期に悪くはなるけれども今はまだ大丈夫、といった感じね。やった来たお医者さんが言うには、生まれてくるのは今から大体5ヶ月後だろうって」
「そうか、5ヶ月後か。それまではこれ以上何事も起こらず無事に生まれた子を抱ければいいが……」
俺はそう言いながら、グレースの座るソファーの隣りに座った。
彼女は机の上においてあったポットを手に取り、中に入っている紅茶をカップに注いでくれた。
それを一口口に含み、飲み込んだ後に俺はほうっと息を吐いた。
「あなた、軍帽もコートも着たままでは邪魔でしょう。ほら、立ちなさいな」
「大丈夫だ、これぐらい自分でやるさ」
「何を言っているの。戦地から帰ってきた夫をいたわることすら出来ずして何が妻よ。今は黙って甘えていなさい」
「そうか。では有り難く」
俺は立ち上がり、グレースにコートを脱がせてもらった。
彼女はそのコートを部屋のハンガーに掛け、軍帽をその上に吊るした。
俺は腰帯から軍刀を外し、杖のように地面に突き立てて保持する。
立ち上がって動き回るグレースのお腹は、こころなしか大きくなっているように見えた。
彼女が着る服もまた、お腹が大きくなることに合わせてゆったりとしたデザインのものになっている。
俺はグレースに負担をかけないようにソファーに座らせ、自分もまた座った。
「そう言えばもう聞いたかしら、ベアトリーチェも妊娠したっていうのは?」
「ああ。追伸に書かれていたから余計にびっくりしたな」
「そう。じゃあ彼女にも会いに行ってあげたほうが良いわよ……いえ、その必要はないようね」
グレースはそう言い、視線を扉の方に向けた。
それと時を同じくして扉は勢い良く開き、ベアトリーチェが部屋の中へと入ってきた。
彼女は満面の笑みを浮かべたままこちらへと歩いてき、グレースとは反対側に座った。
「旦那様よ、遂に妾は旦那様の子供を身ごもったぞ!」
「ああ、めでたいことだ。だが追伸ではなくきちんと報告してほしかったが……」
「そっちのほうがサプライズになるかと思ったのじゃがな。次からは気をつけることとしよう。でじゃ、この子達の名前はもう決めておるのか?」
ベアトリーチェはそう言いながら、自分のお腹をゆっくりと擦った。
グレースも、それは気になるとばかりの目でこちらを見てきた。
俺もちょうど帰路でその事を考えていたので、この機会に意見を聞いてみるのも良いかもしれないな。
「そうだな、一応候補はあるがまだ確定ではないな。なにせその子の未来を左右する大事なものだから慎重に決めたいと思っている」
「その候補ってどんなものかしら?」
「男の子だったらフランツ・フェルディナント、女の子だったらエリーザベトでどうだろうか? 両者ともとある帝国の皇族の名前を拝借させてもらっている」
「とある帝国? この世界に帝国は我らが神聖イレーネ帝国しか無いと思うがのう……まあそれはさておき、フランツ・フェルディナントにエリーザベトじゃが、高貴な響きがし、帝国の将来を担う子にとって大変良い名前だと妾は思うぞ。グレースもそう思うじゃろ?」
グレースも首を縦に振ってベアトリーチェに賛同を示した。
それにしてもオーストリア=ハンガリー帝国がこの世界に存在しないことを完全に失念していたな。
いずれ、彼女らにも俺の出自について説明しなければならないときが来るのだろう。
また、子供の誕生は帝国の問題の一つであった後継者問題の解決に近づくことになる。
いくら領土を拡大したとしても、アレクサンドロス大王のように後継者を残していなければディアドコイ戦争に発展し、国内は分割の悲劇に見舞われることになる。
『分割できず離れがたい』を国家の標語としている以上、それは必ず避けねばならないことであった。
「子供が無事に生まれれば、旦那様も肩の荷が一つ降りることになるであろう。今回のように戦場に出て、もしも帰らぬ人となった場合も後継者が……いや、今はそんな悲観的になってはいけないのう」
「そうよ、こうして無事に帰ってきてくれたんだから。でもベアトリーチェの言う通り、最前線に立ち続けるというのは常に死と隣り合わせになるということ。そこまでの危険を冒さなくても後方の安全なところから指揮すれば良いのじゃないのかしら? 仮にそうしたとしても誰も文句はないわよ」
「……俺が先頭に立ち続けるのは、殺し殺される戦場をただ数字だけのものとして捉えないためだ。戦場が悲惨なものだというのは誰もが知っているとは思うが、実際に目に焼き付けないと報告書では見えないものがあるのもまた事実。特に今回の遠征で見た廃村など、戦場の裏に隠れている民の被害も考慮できるようになってこそ真の司令官であり、それは俺の命よりも重たい国家のためになると信じている」
「国家のために、ね。貴方は模範的な皇帝で大変素晴らしいと思うわ。でも時には自分をいたわることも大事よ? 貴方の言う国家にとって、貴方を失うことは計り知れないほどの損失なのだから」
グレースに諌められた俺は、彼女にはやはり勝てないなと思った。
それに母親としての自覚がだんだんと湧いてきているのか、前よりも大人びたと言うか、一皮むけたような気がする。
俺は改めて、素晴らしい出会いを得たのだなと実感した。
その後、俺たちはザイエルンでの出来事など、他愛ない話に花を咲かせた。
そこには戦場にある窮屈さはなく、俺は自然と元気を取り戻していった。
それはきっと、グレースとベアトリーチェの笑顔がもたらしたものなのだろうなと思った。
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