第424話 蛇――失楽園のサタン
イレーネ島、帝国宮殿応接室。
部屋の中では、ローゼンブルク大公国とザイエルン公国のそれぞれの全権が、震えながら椅子に座っていた。
ローゼンブルクの大使は名をミヒャエル・フォン・ミュラー伯爵、ザイエルンの大使はフォルカー・フォン・マイヤー伯爵といった。
「ミヒャエル伯爵どの……どうもこの国は普通ではありませんぞ」
「フォルカー子爵殿もそう感じておられたか。この国に着いてからというもの、その建築物から技術力、国民一人ひとりに至るまで完璧に研ぎ澄まされていると感じます。正直……我が国が哀れに感じるぐらいです」
「私も同感ですな。コアレシアでもここまでの繁栄はしていないでしょう。それに神聖イレーネ帝国は、複数の国家、民族を束ねる多民族国家であると聞いていますぞ。それほどの複雑怪奇な大国を、一人の皇帝が治めている……恐ろしいものです」
「なんとしても味方につけねばなりませんな。そうでないと、我々はもはや崩壊の一路を辿るしかありませぬ」
彼らはそう話しながら、用意されていた紅茶を口に含んだ。
毒見は済まされているので大丈夫であると心のなかでは分かっていたが、コップを持つその手は少し震えていた。
そんな時、応接室の扉がコンコンと叩かれた。
「これはこれは、お待たせいたしました。私は外務大臣のウィンストン・チャーチル。貴族としては公爵に叙せられております。そしてこちらが――」
「オットー・フォン・ビスマルク、同じく公爵に叙せられております。私自身は帝国議会の下院議長を拝命しております。本日はどうぞ、よろしくお願いします」
「はっ、私はローゼンブルク大公国の全権、ミヒャエル・フォン・ミュラー伯爵と申します」
「そして私はザイエルン公国の全権を拝命しておりますフォルカー・フォン・マイヤー。爵位はミヒャエル殿と同じく伯爵にございます。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
チャーチルはミヒャエルと。ビスマルクはフォルカーと共に握手を交わした。
彼らは予想通り彼らが下手に出ていることを確認し、椅子に座った。
チャーチルはメイドが持ってきた紅茶に角砂糖を3つ、ティーカップの中に入れた。
「……まずは今日の話し合いについてですが、単刀直入に申し上げます……コアレシアに対抗するための軍事的な援助を求めてこられたのですな?」
チャーチルがそういった瞬間、2人の全権は表情を強張らせた。
図星だと言わんばかりのリアクションを見せた後、両者は目を見合わせた。
その額には、冷や汗が新割と浮かんでいた。
「そ、そのとおりです……よくおわかりになられましたね」
「なに、言い方は悪いですが貴方がたはコアレシア、という蛇に襲われんとしている兎。その蛇に対抗するために鷲の力を借りに来たのでしょう?」
「蛇……確かに彼らコアレシアは我々に対して毒牙をかけようとしてきております。貴国の進言により侵攻は回避されておりましたが、今後それが続くとは限らないでしょう」
「……その通りであると我々も分析しております。そして我々としてもまた、これ以上コアレシアの勢力が拡大されることは望みません。彼らは民主主義の皮を被った独裁体制……しかも我々の帝国主義を動揺させかねない危険因子です。それは同じく君主制の両国にも言えること。基本的に我々は貴国らを援助いたしましょう……しかし、条件がございます」
ビスマルクはそう言い、持ってきていた資料を2人に配った。
そこには、彼らが策定していた3つの同盟の条件が記載されていた。
2人は真剣な眼差しでその書類に目を通し、そしてミヒャエルがフォルカーに囁いた。
(この条件……かなりの好条件であると思うのだが? 神聖イレーネ帝国が我が国の中に兵を置けばコアレシアへの良い牽制にもなるであろうし、SD……という諜報員による内部のスパイ摘発、およびコアレシアの動向の諜報活動は我々にとっても魅力的だ。フォルカー伯はどう考えなさるかな?)
(ミヒャエル伯……だが、我々の保有する古代文明の情報の開示……これが難しいのでは? コアレシアもそうだが、我々の大陸では、古代文明の遺産を用いて軍備の整備や社会生活の充実化を図っている。そしてその情報は発見国において手厚く庇護されている……。これを流すわけには――)
(しかし、この国の繁栄ぶりを見れば分かる通り、我々の持つ古代文明の技術など、些末なものに過ぎないだろう。それよりも、おそらく彼らは別のものに目的があるとみえる。それが何かは分からないが……失うものは少ないであろう。私はこの条件を飲むべきだと思っている)
(そうだな。そしてそのことを鑑みて、我が国は自国が持つ『海底大陸』の一部の採掘権を譲渡しようと思う。そうすればより同盟は強固なものとなるであろう。発掘技術の乏しい我々よりは、神聖イレーネ帝国が発掘をしたときの成果のほうがきっと大きい。それを一部フィートバックしてもらえば、我々も腐りかけたお飾りの利権から得るものがあるというわけだ)
フォルカーの言葉にミヒャエルは一瞬動揺した。
海底大陸……かつての始祖王の時代の最も栄えた大陸は、今も海中に没したままであった。
その発掘権はコアレシア、ザイエルン、ローゼンブルクの3カ国で分けられていたが、コアレシア以外はまともに運用することが出来ていなかった。
「……コホン。というわけでチャーチル公爵閣下、ビスマルク公爵閣下。我々としましては、貴国の提示した条件を全て飲みましょう。加え、海底大陸における、我々の保有する利権の一部を譲渡させていただきます。その代わり、少し多めに兵を派遣してもらえれば幸いです」
「それはよろしいのですか? 我々とししてもその条件を提示された以上、断ること理由がございませぬ。こちらとしては追加で当初よりも人数を拡大して派遣、そして現地の兵の育成や兵器の貸与なども視野に入れましょう」
「それはありがたい! ではこれで……」
「ええ、今ここに、神聖イレーネ帝国、ローゼンブルク大公国、ザイエルン公国からなる三国同盟が締結されました。これからは共に、対コアレシアに向けて共闘していきましょう」
ビスマルクのその言葉を聞いた2人の大使は、喜びのあまり抱き合うのであった。
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