第414話 自由湯をば飲ませたい
重たく張り詰めた空気が漂う、上院議院の議場。
議長席に座るヒンデンブルクは、静かに書類を眺めていた。
他の議員たちも書類に目を通しているが、その姿さえひとつの隙も感じさせなかった。
「……そろそろよろしいですかな? 私も自分の議場に戻らねばなりませんので」
「そうであったな、申し訳ない。ビスマルク殿」
「別に構わないですぞ。で、資料の内容は頭に入りましたかな?」
「ええ、お陰様で。……しかし、まさかここまで早くに政党という概念が登場するとは……」
初めての選挙により選ばれた、衆議院の議員たち。
彼らには当初、政党などという概念はあまり浸透していなかった。
志す者もいたが、そもそも遠距離であり結成は難しかった。
だがこうして全員が一同に会した結果、速やかに政党の組織が始まったのであった。
チャーチルが裏で手回しをしていたため、組織された政党はイギリスのように二大政党制となった。
皇帝を絶対的に支持する保守党と、皇帝の権力を尊重しつつ国民の自由の増加を目的とする自由党だ。
現状の国会は保守党が過半数以上を占めており、与党となっている。
そのため、グデーリアンら閣僚組との折り合いも付けやすいだろうと思われた。
だが問題は、与党である保守党に異を唱える自由党の方であった。
「自由……の理念を追求することは勝手であるが、新たな敵に備えて戦争の準備をしなければいけない今、じゃまになる存在である。大人しくしているうちは構わないが、なにか動きを見せたときは……鎮圧に動かざるを得ないかもしれない」
「鎮圧、とは言ってもどうするつもりだ? 自由党議院はフリーデン、もしくはミトフェーラに多い。イレーネ島からの政治的な制御は難しいぞ?」
「マッケンゼン、その時には貴殿の管轄の部隊……ミトフェーラの竜騎兵連隊を投入することになる。あの部隊は皇帝への、国への忠義がどの部隊よりも厚いからな」
「なるほど、確かにあの子達であれば上手くやれるだろうな。じゃが、まだ弾圧に動いてはいけんぞ?」
マッケンゼンの言葉に、ヒンデンブルクは小さく頷いた。
そのやり取りを見てたビスマルクは、満足という表情を浮かべて議場を立ち去る。
そんな彼に向かって、ヒンデンブルクは一言囁いた。
「下院でも、保守党の懐柔と自由党の牽制をお願いします。『鉄血』政策を打ち出してでも」
「……分かっております。全ては陛下のために」
そう言って、ビスマルクは議場の扉を閉じた。
彼がいなくなった議場には、再び沈黙の時が流れる。
そしてその状況を打破したのは、以外にもデーニッツであった。
「……そう言えば先日、コアレシアの大使を変更するという旨の通知がありましたな」
「ああ。どのような理由での変更かは示されていないが、大使殿は軍事パレード以降、どうも体調が優れなかったようだ。……怯えたのであろうか?」
「まさか、そんな意気地無しではないでしょう。……仮にそうであれば、コアレシアも大したことがない国だ、ということです」
「ルーデンドルフ、慢心はいけないぞ。それに前大使が意気地なしであった場合、今度の大使はそれを克服できるほどの優秀な人材が送られてくるだろう。もしかすると諜報活動も行うことができる手慣れかもしれん。気を引き締める必要があるだろうな」
その言葉に、モルトケとローンが大きく頷いた。
外交は国家の運命を左右する……それが例え一枚の電報の紙切れであろうと。
普仏戦争で彼らは、外交の力によってこそフランスを打倒することに成功したのであった。
「エムス電報事件のようなことが起こらなければいいが……逆に言うと、我々がコアレシアに対して戦争を仕掛ける種にもなり得るがね」
「その時はまたビスマルクに頼まねばならん。奴は電報をいい感じに切り取るプロだからな」
そう言ってモルトケとローンは笑った。
それを聞いていたニミッツとクズネツォフは、言葉遊びによって一国が潰される恐ろしさを感じていた。
少し議場の空気が緩んできたところで、ヒンデンブルクは卓上の木槌を打ち鳴らした。
「これは国家の命運を左右する話でもある、そのことを自覚するように。そして我々上院こそが、国家の命運を握っていることを忘れずに」
「……了解です」
その後も夜遅くまで、上院では盛んに議論が行われていた。
その決定の一つ一つは秘密裏に下院へと卸され、下院でも審議の対象となった。
だが下院の議員たちはそんなこととは微塵も知らず、自由党と保守党の勢力争いに耽るのであった。
◇
「……ここがイレーネ帝国の中央部、イレーネ島。前任者の話をある程度は聞いていたが、中々に凄まじいな」
コアレシアから海をわたり、遥々イレーネまでやってきた1隻の大型船。
そこにはイレーネに新たに配属されることになる大使が乗り込んでいた。
彼の名は『ヴィンセント=ベネデッティ』と言い、コアレシアの古株の外交官であった。
「前任の汚名を返上するぐらいの働きをしろと、大総統から命令が直々に下ったが……この国では私をもってしても外交関係において優位に立つことは難しいかもしれん。まずは内部に協力者を作ることから始めなければいけないが……くれぐれも発覚しないよう細心の注意を払わねば。そうでなければ、即刻開戦への道を開くことになりかねん」
そう言いながらベネデッティは、大総統からの手紙を眺めた。
激励の文章が書かれているその手紙であったが、彼にとっては大したものではなかった。
そのままポケットに直し、彼は島の方を見直す。
「まずは我が大陸の問題に片がつくまでの平和の維持、そして戦争に備えてのイレーネの情報の抜き出し、これが絶対にこなすべき目標だ。……私であれば、きっとできるはずだ」
ベネデッティは自分の仕事を成功させると、決意をするのであった。
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