第357話 ベアトリーチェの公務
武蔵の艦長室にて睡眠を取っていたところ、俺は扉を叩く音で起こされた。
なにかと思い扉を開けると、そこには山下大佐が立っていた。
彼は静かに艦長室に入って扉を閉めると、俺に一枚の紙を渡してきた。
「これは?」
「ミトフェーラのベアトリーチェ様からの伝言です。私もまだ中身は見ていません」
「そう言えばさっき後部甲板にヘリがやってきていたが、それを持ってきていたのか。では俺が開ければ良いんだな?」
「はい。ぜひお願いします」
俺は渡された紙を開け、中身を確認する。
そこに書かれていたのは、まったく思いもしなかった内容であった。
俺は驚きのあまりに言葉を失い、紙をそっと机の上に置いた。
「司令? 何が書いてあったのですか?」
「……連立王朝を構成する国のうちの一つ、ヴェストフリート王国から我々に対して単独講和の提案が来た。どうやら向こうには戦争をするつもりはないらしい」
「そんな事があるのですか? 向こうから宣戦を布告してきたというのに?」
「まあ連立王朝も一枚岩ではないということだろう。きっとジョヴァンニの権力も遠く離れたヴェストフリート王国までは通用しないんだろうな。……だがそんなことはどうでもいい。問題なのは、ヴェストフリート王国で行うらしい講和会議にベアトリーチェの出席を求めていることだな」
書かれている内容によると、交渉の席にはベアトリーチェが出席するように求められているようだ。
また、ヴェストフリート王国の王女であったらしいサーシャもそれに同行することとなっている。
……まさかとは思うが、ベアトリーチェを人質にでもするつもりなのだろうか?
だが、講和条約を結べるのであれば、たとえ単独であろうと結ぶべきであろう。
講和を結びたがっているのに無視して侵攻すれば、我が国の評価が下がることになる。
それはイレーネ帝国の権威に関わる問題なので、避けなければならない。
「ですが、わざわざ宣戦布告までしてきたというのに、今更講和したいだなんて……何を考えているんでしょうか?」
「さあ、わからない……と言いたいところだが、その理由になるかもしれないことは実は知っている」
「理由? 司令は何を知っているのですか?」
「これが真実かどうかは分からないが……今年の冬は異様に寒いだろう? だから農耕を主体とするフリーデン連立王朝において食物が育たず、深刻な食糧不足になっているのではないかという推測を聞いた。それが本当なのであれば、人口の問題と食料の問題の理由から、もはや戦争など続行できない状態になっているのではないだろうか?」
今年は早い頃から雪がちらついていたことからも分かる通り、異様にこの星が寒冷化していた。
この武蔵でも、甲板上にたまった雪を掻き出している兵士がいるぐらいだ。
そして品種改良などもされず極端な寒さに弱い小麦などを育てて食物としているフリーデンにとって、この天候はもはや天罰とまで言えるぐらいの被害をもたらす可能性のあるものであった。
そして、この影響は他国にも及んでいた。
戦争の勃発と冷害のダブルの要因で、フリーデンから安価で輸出されていた農作物の値段が高騰していた。
国から補助金を出してその値上げを少しは食い止めている状況であるが、それでも高いことに変わりはなかった。
もしもこの仮説が正しい場合、フリーデンとの戦闘は思ったよりも早く終わらせることができるのかもしれない。
これは天が我々に味方しているとしか言いようがなかった。
……これもまた、イズンが介入して意図的に操作しているのであろうか?
「で、司令。どのように返事を返されるつもりですか?」
「……この単独講和自体は認めようと思う。だが、ベアトリーチェを派遣する際にはイレーネ=ドイツ軍と武装親衛隊を連れて行くこと。これを条件にベアトリーチェのヴェストフリート王国への派遣は許可しようと思う」
「それだけの兵力があれば、ベアトリーチェ様も安全でしょう。それに加え、我々からもヴェストフリート王国には圧力をかける用にしましょう。そのためのグスタフ・アドルフですよ」
武蔵の横を航行しているグスタフ・アドルフ。
主砲が炸裂したのはほんの数回であったが、その砲弾はシュリーフェンに壊滅的な被害をもたらしていた。
その砲身が自国に向けられていると考えると、敵も戦意を失うであろう。
「では、そのように返事を行いますね」
「ああ。頼んだ。……ヴェストフリート王国の王への脅迫? も忘れずにな」
「分かっています。後で威嚇射撃もしておきましょうかね」
ベアトリーチェの交渉出席の許可証を携えたヘリは、武蔵を離れてミトフェーラへと戻っていった。
その許可証をもとに予備的な交渉が行われ、イレーネ=ドイツ軍団と武装親衛隊の出動許可ももぎ取ることが出来たようであった。
ベアトリーチェはすぐに出発の準備を整え、サーシャとともにヴェストフリート王国へと移動を開始した。
◇
「……ベアトリーチェ様、少しこの移動は……その……大げさすぎませんか?」
ヴェストフリート王国へと向かう道中、サーシャはハッチから身体を出しているベアトリーチェに話しかけた。
彼女らが乗車しているのはヤークトティーガー、かつての凱旋式でベアトリーチェが気に入ったため、そのまま彼女の愛車となっていたものであった。
だが足回りなどは改造が施されており、信頼性は向上していた。
「これが妾がヴェストフリート王国に行くうえで旦那さまから提示された条件じゃからな。しっかりと遵守せねばならんのじゃ」
「でも流石にこれは……数が多すぎませんか?」
「ヴェストフリート王国が何かをしてくるかもしれんからのう。自衛のためには必須というわけじゃ。それにこの部隊がいれば正直に言ってヴェストフリート王国を攻め落とすだけで言えば、彼らだけでも十分すぎるぐらいじゃろう。警告もかねてじゃよ」
「……そういうものですか。はあ……フリーデンは、絶対にけんかを売ってはいけない相手にけんかを売ってしまったのですね……」
落胆するサーシャと、先をきっと見据えるベアトリーチェ。
2人を護衛しつつ部隊は、ヴェストフリート王国の冷たい森の中を進んでいくのであった。
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