第312話 帰天
投票の結果、宗教的な権威が認められた俺だったが、票数的には不安が残る結果となった。
現教皇のヨーゼフ13世が親皇帝派であるため現在イレーネとハインリヒ聖王国の間には良好な関係が築かれているが、彼の死後はその関係ももろく崩れ去ってしまうかもしれない。
もしも俺がその結果破門でも受けようものなら、国家そのものがゆるぎかねない。
特に教会の権威が強いこの世界では、破門は死よりも恐ろしいものである。
最悪の場合、俺がカノッサの屈辱を味わう羽目になるかもしれないな。
それと、ジョヴァンニがあれだけ騒ぎ立てる理由もよくわからない。
教皇の座を狙っていることは確かであろうが、それならばもっと大人しくいい人ぶっていれば良いはずだ。
わざわざ聖職者としての品を欠いてまでそんなことをする必要はない。
それに、イーデ獣王国の自警団がジョヴァンニとつながっているという見方があることも忘れてはいけない。
神に使える、平和を愛する神官が私設の軍隊を持つなどあってはならないことだ。
だから教皇のいるハインリヒ聖王国は、身辺警護のための最低限の兵士しか雇っていない。
やはり、ジョヴァンニはインノケンティウス3世のような絶対教皇主義を目指しているのであろうか。
『教皇は太陽であり、皇帝は月である』、このような状況を望んでいるのかもしれない。
そうなると最も対立が起こるのは……使徒の俺の治めるイレーネか、それとも絶対王政の道を突き進むルクスタント王国か……。
先程の投票では、使徒の認可に関しては、イーデ獣王国以外の全ての神官、高位聖職者は認めるという判決を出していた。
だがその後の教皇と使徒の権力の上下に関する投票では、イレーネ、ゼーブリック、ヴェルデンブラント、そしてルクスタントの高位聖職者の半分が使徒が上、ハインリヒ、イーデ、ルクスタントの高位聖職者のもう半分と神官が教皇が上に投票した。
この状況では……再び戦争になるかもしれないな。
それに、宗教での対立ほど面倒くさいものはないだろう。
あぁ、この世界の行き先が思いやられるな……
「では、次の議題に移りましょう。次の議題は、新教皇の選出に関することです」
ヨーゼフ13世は、静かにそう告げる。
その言葉に、神官団は口を固く閉ざして彼の方を見る。
この瞬間、大聖堂内は異様な空気感に包まれた。
「知っての通り、教皇の選出に際しては前教皇の指名、もしくは教皇選挙で選ばれることとなっています。私がそのどちらを選んだのかはこの場では言いません。ただ、その事が書かれた紙がどこかに隠されているということは言っておきましょう」
その紙は……俺が持っているがな。
にしても、彼の口ぶりから勝手にあの紙には指名された者の名前が書かれいるものだと思っていたが、実際には選挙という選択肢もあるのか。
そういえばカトリック教会の教皇も選挙で選ばれると聞いたことがあるな。
「誰が新たにこの座につこうと、私はそのものを祝福するでしょう。そして女神様も同じく新たなる教皇を祝福なさるでしょう。ですが、未来の教皇に対して一つだけ忠告をしておきましょう。各国の君主とは仲良くしなさい。信教の庇護者たる君主たちとの関係を悪くすれば、きっと教会は滅びることでしょう」
ヨーゼフ13世の言葉に、神官や高位聖職者たちは黙りこくる。
特に先程、教皇が上であると主張した者たちはバツが悪そうな顔をしていた。
そんな彼らの顔を見わたしたヨーゼフ13世は、少し間を開けた後に宣言する。
「では、これにてルクスタント公会議を閉会します。お疲れ様でした」
ヨーゼフ13世の閉会宣言に、神官や高位聖職者は拍手を送る。
ヨーゼフ13世は椅子に座ったまま、彼らに手を振って応えた。
俺は彼を介抱しながら大聖堂内を歩き、扉を開けて彼を部屋から退出させた。
「ありがとうございます。これでもう憂いはないでしょう。あとは後継のものに任せるのみです」
ヨーゼフ13世は、そう言って笑って見せる。
俺もそんな彼の顔を見て安心し、小さく胸をなでおろした。
だが次の瞬間、彼の顔は苦悶の表情に歪んだ。
「ゲホッ、ゴホッ、ゲホゴホッ!」
「だ、大丈夫か!? 医療班、彼を治療室に!」
「「「「了解!」」」」
迅速に運ばれてきたストレッチャーに載せられたヨーゼフ13世は、そのまま治療室へと運び込まれる。
治療室の前に置かれた赤色灯が点灯し、中で治療が行われていることを示していた。
ちょうど大聖堂の議場から出てきた各国の神官や高位聖職者も異常を察知し、部屋の前に集まり始めた。
集まって来た野次馬を俺は追い払い、スタッフが治療に専念できるようにする。
治療は日をまたいでも行われ、疲労しないはずの彼らも精神上はすでに疲弊しきっていた。
だがその努力虚しく、午前2時16分、ヨーゼフ13世は帰天した。
「司令……ヨーゼフ13世猊下が、帰天されました……」
「……そうか。すまない、少しひとりにしてくれ」
「わ、分かりました。失礼いたします」
スタッフが部屋を出ていった瞬間、俺は泣いた。
声こそ挙げないものの、静かに涙を流した。
もうあれほどいい人間と出会うこともないだろう、惜しい人を世界は失ってしまった。
遺体はエンバーミングを施され、生前と何ら変わらない状態を維持できるようにされた。
その間にヨーゼフ13世の死のニュースは大陸中を駆け巡り、人々もまた深い悲しみに暮れた。
葬式の準備も進められ、彼の遺体は丁重にハインリヒ聖王国へと移送された。
俺はその後イレーネ島へと帰ったが、何だか心にポッカリと穴が開いたような気分になった。
だが幸いなことに、グレースやベアトリーチェが支えてくれたため、俺はなんとか立ち直ることができた。
ゆっくりと彼の死という現実と向き合った俺は、彼の死をゆっくりと受け入れていった。
窓の外では、雪がちらちらと降り始めていた。
まだ10月だと言うのに雪は止む気配がなく、地面にどんどんとたまっていく。
一面が銀世界に覆われた頃、俺たちは彼の葬式のためにイレーネ島を離れた。
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