第306話 国家保安本部、始動
今はまだ10月だがかなり冷えてきたので、宮殿内には早くも暖房がつけられていた。
俺は執務室でいつも通り書類作業をこなしていると、誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
オリビアかと思ったが……この音はグデーリアンだな。
「司令、失礼いたします」
「どうぞ。慌てていたようだけれども、何かあったのかい?」
「えぇ。大変なことになりました」
「大変なこと? 何があったんだ?」
グデーリアンは持っていた封筒の中から、1枚の写真を取り出して俺の前に置く。
何が写っているのかと思いながら見ると、それは町中を驀進する戦車隊の姿であった。
だがイレーネ帝国でこの形式の戦車隊を保有しているのはSSだが、マーキングが違うのでSSのものではない。
「これはどこで撮られたんだ?」
「ルクスタント王国のとある辺境伯領です」
「ということは、この戦車隊はルクスタントのものか? それともゼーブリックやヴェルデンブラント?」
「マーキングを見る限り、これはルクスタントの戦車隊と思われます。ですが、ゼーブリック側から越境して国内へと進撃してきているとのことです」
ゼーブリック側からルクスタントの戦車隊が越境してきている?
もしかしたら訓練でゼーブリックにいた部隊が戻ってきているのかもしれないが、それならばこれほどまでに騒ぐことはないはずだ。
ならば別の理由……まさかクーデターか!?
「これはつまり……軍事クーデターということか!?」
「はい。ルイ陛下率いる装甲部隊が国境線を越えて国内の各領邦に侵入、同地を次々と制圧したうえで王都イリオスになだれ込んだとのことです」
「ルイのクーデター? 何を考えているんだ……」
「おそらくは貴族から地方の統括能力を奪うことが目的ではないかと見られています。もしそうなのであれば貴族は没落、廷臣化するであろうとのことです」
ふむ……やはり透けて見えてはいたが、ルイにはどうやら絶対王政への憧れがあるようだな。
封建制から絶対王政への移行には、貴族の力を削いで官僚化することと、常備軍を整備することが不可欠だ。
そのどちらも成し遂げた今、彼は絶対王政の実現に向けて強い一歩を踏み出したことになる。
「それと、こんなものも届いています」
「何だそれは?」
「結婚式への招待状のようです。中身は確認しておりませんので」
「分かった。見てみよう」
俺は引き出しを開けて、中にあるペーパーナイフを取り出す。
それを使って封筒を慎重に開け、中に入っていた手紙を取り出した。
中身はグデーリアンの言った通り結婚式への招待状であったが……
「な、なんだと!?」
中に書かれていたのは、ルイとアンナの結婚に関することであった。
この結婚に反対することなどないが……ルイのゼーブリックに対する野心が透けて見えるな。
ゼーブリック内でも有力貴族の娘を娶れば、将来その土地に影響力を持てるからな。
「ふぅむ、祝福したい気持ちは山々だが……どうも素直には喜べないな」
「……確かに、ルイ陛下の考えていることを想像することは易いですな」
「ただの結婚で終われば良いんだがな……」
「そこまで危惧されているのでしたら、そろそろR計画を実行に移しては?」
R計画……それはかねてより構想されていたスパイ計画であった。
正式名称を『Reichssicherheitshauptamt der SS計画』、和訳すると『国家保安本部計画』であろうか。
名前の通り、武装SSの下部組織としてスパイ機関の国家保安本部(RSAH)を設立させることを目的としている。
これまでに諜報活動らしい諜報活動を行ったことはなかったが、今回を機にそろそろ導入するべきかもしれない。
特にルイが領土拡大に野心を燃やしている今、そのことを事前に察知できればこちらの有利に動けるだろう。
ただ、もしバレたら外交問題だがな……。
「……そうだな。ではR計画を承認する。指揮官は、グデーリアン、君に頼みたい」
「分かりました。指揮官の任、謹んで引き受けます」
「ありがとう。ではまずは……ルクスタントの内情調査だな。貴族たちが地位を追われているのであれば、どこかしら不満を持った人間がいるはずだ。その情報を集めて、もし内乱の可能性があるのであればルイに報告することが任務だ。また、同時にルイたちの動向も探ってくれ」
「了解しました。では、メンバーをSSから引き抜いてきますので、私は一旦御暇させていただきます」
グデーリアンは頭を下げ、執務室から退出した。
さて、国家保安部が動き出すのは良いが、こちらも追加で偵察隊を出しておこうか。
俺は空軍基地に連絡を入れ、その要請に応じてU-2が離陸していった。
◇
「皆のもの、私が今回国家保安本部の指揮官に着任したハインツ=グデーリアンだ。さて、諸君らには早速だが任務についてもらう。内容はルクスタント王国への潜入調査だ」
グデーリアンは指令書を一人ひとりに配り、配られた保安部のエージェントはそれをじっと読む。
彼らは武装SSから引き抜かれてきた隊員であり、特にもともとSDに所属していた者たちを中心に構成されている。
彼らは指令書を熟読すると、部屋においてあるシュレッダーにかけた。
「陛下は最近のルクスタント王国、ひいては国王ルイ1世の動向を危惧しておられる。何が何でも成功を納めろ、結果を出せ」
「「「「了解!」」」」
「それと……これを渡しておこう」
グデーリアンはカバンの中から、小さなカプセルを取り出す。
それはシアン化カリウム……つまり青酸カリの入った自決用の毒薬であった。
彼らはそれをひとり3つずつ受け取った。
「毒薬は、1つ目は簡単に見つかるところ、2つ目は見つけるのが難しいところ、3つ目は絶対に見つからないところに隠しておけ。ゲーリングは1つ目は服の中に、2つ目はブーツの中に、3つ目はスキンクリームの中に隠していたそうだ。まぁどこに隠すかは諸君ら次第だがな」
無言で頷いた彼らを見て、グデーリアンは小さくため息をつく。
彼が国家保安本部の指揮官だからこそこう言っているが、部下に自殺を強いるようなことはしたくなかった。
「指揮官。私たちは一度死んだ身です。何ゆえ2回目の死を恐れましょうか。私は国家のために喜んで死にます」
「そうか……。だが生きて帰れるのであれば絶対に帰ってくるように。では解散」
解散後、エージェントたちは夜の闇に紛れて移動し、ルクスタント王国に侵入した。
彼らは様々な職業に扮して、情報集めに奔走する。
そんなことも知らず、ルイは着々と結婚式の準備を進めていた。
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