第302話 親になるということ
披露宴を終えた俺たちは、一緒に宮殿で夜を過ごした。
だがグレースに配慮し、初夜お決まりの行事は行われなかった。
少しの団らんの後に俺たちは眠りにつき、翌日の昼間の大きな声で起こされるまで気持ちの良い眠りについていた。
「御主人様、大変です! 外に信じられないほどの人が!」
俺はオリビアの声で起こされ、眠い目をこすりながらオリビアに引かれてゆく。
彼女についていった先では、国旗を振り回した大勢の国民が集まっていた。
どうやら昨日の結婚式を改めて祝いに来ているようであった。
俺はとりあえず着ていたパジャマを脱いで軍服に着替え、バルコニーに立った。
俺が出てきたことに気がついた群衆は、改めて万歳の声をあげる。
彼らは昨日の演出に完全に心酔させられていたのであった。
確かにあの演出には国家をまとめるという意図もあったが、主な目的は別にあった。
それは軍拡を推し進めようとしているルイに対する牽制でもあった。
義弟となった彼であったが、軍事力の拡大による大陸情勢の悪化は懸念するべきことであった。
その意味では、あの披露宴は成功を収めたと言えるだろう。
しばらく手を振った後に俺はバルコニーから宮殿内に引き上げ、朝ご飯を食べに食堂に向かう。
席について食べようとすると、ちょうどグレースとベアトリーチェが起きてきたようだ。
「……ムム。おはよう、旦那様」
「あぁ。おはよう」
「おはよう貴方」
「あぁ。おはよう」
軽い挨拶を交わした後、俺の左右にグレースとベアトリーチェは座る。
3人で仲良く朝ご飯を食べていると、またドタドタと廊下を走ってくる音が聞こえてきた。
部屋の扉が開くと、また慌てた様子でオリビアが部屋へと入ってくる。
「なんだいオリビア。また群衆が詰めかけてきたのか?」
「いえ、違います! イーデ獣王国からです!」
「イーデ獣王国? 内容は?」
「はい、先程イーデ獣王国王妃のペトラ様が第一王子様を無事にご出産されたそうです!」
そうか、確か昨日アウグストスから「子どもがもうすぐ生まれる」と聞いていたがちょうど今だったのか。
この時間ならばチャーターした飛行機で帰った彼はおそらく間に合っているだろう。
それに第一子が王子ともなれば、今頃獣王国内は大騒ぎになっているだろうな。
グレースとベアトリーチェも俺と同じように嬉しそうに笑っていた。
祝電でも贈ろうかと思うが、こういうときはどんなものをおくればいいかわからないな……
そう思っていると、オリビアは続けて言った。
「そこで第一王子様に洗礼を施すことになっったのですが、ぜひ御主人様夫婦に代父母になってもらいたいとの要請を受けておりますが、いかが返答しましょうか?」
「代父母……?」
「代父母とは、洗礼……女神様への初めて子どもを見せる時に行う、頭に水を掛ける儀式ね、それの時に神への証人として立てるものよ。せっかくだし受ければ良いんじゃないかしら?」
「そう簡単に言うが、本当に良いんだろうか? だがもしも本当に良いのであれば、ぜひ受けたいと思う」
俺がそう言って首を縦に振ると、オリビアは理解したように再び走り去っていった。
その場に残された俺たちはとりあえず残っている分の朝食を食べ、グレースとベアトリーチェは急いで着替えを行う。
そうしている間に再び向こうからの連絡があったらしく、オリビアが走ってやってきた。
「御主人様、代父母になるのでしたら新しい子どもの洗礼名は考えていてほしいとのことです」
「洗礼名? あぁ、洗礼した時にもらう、もう一つの名前か」
「そう、それです。それは代父が考えてつけることが慣習ですので、これもぜひ考えてほしいと」
そこまでのことを俺がやっても良いのだろうか。
だが頼まれた以上は断ることなんて出来できないし、精一杯考えるべきだろう。
そう思って名前を考えようと思っていると、脳裏にミラの顔が浮かんできた。
「そう言えばミラはペトラの妹……姉の子供が生まれたと聞いたら喜ぶだろうし、会いたいだろうな。……よし、ミラにも報告ついでにイーデ獣王国へ同行するか聞いてみよう」
俺は他の面々に断り、ひとり車庫のグロッサー770に乗って大聖堂へと向かう。
大聖堂に付いた俺は、車を降りてその入口の扉をぐっと押して開く。
少し軋む音を立てながら開いた扉の間をすり抜けて、俺は大聖堂内に入った。
「おーい。ミラ……」
俺は声を出して彼女を呼ぼうとしたが、その必要はなかったようだ。
前を見ると、女神像に向けて祈りを捧げているミラの姿があった。
その背中はなんだかまるで必死に祈っている人のように見えた。
「……ん、御主人様が来たね」
「良く分かったな。集中しているところを邪魔してしまったなら済まない」
「別に大丈夫よ。で、何のようで来たのかしら?」
「あぁ。実は君のお姉さん、イーデ獣王国王妃のペトラさんが無事に第一子、王子をご出産されたそうだ。君の姉のことだしぜひ耳に入れておこうと思ってね」
俺がそう言うと、ミラは嬉しそうな顔をして俺の方を見てきた。
そして彼女はもう一度女神像の方を振り向き、姉が無事に出産を終えたことを手短に女神……イズンに感謝した。
その祈る後ろ姿は紛れもない、イレーネ島の国民を導く神官としての姿であった。
「……今日は朝からどうも落ち着かなくて、ずっと女神様に祈りを捧げていたんだけれど、そういうことだったのね。無事に姉さまが出産を終えられたようで良かったわ」
「そうだな。そこで俺、正確には俺たちはその子どもの洗礼式のためにイーデ獣王国に赴くことになったんだが、せっかくだからミラも来るか?って聞きに来たんだ」
俺がそう言うと、ミラの表情がだんだんと険しくなっていく。
イーデ獣王国の神官は彼女をいじめていた父親……嫌な思い出があるのだろう。
せっかくだしと思って誘ったが、これは間違いだったかもしれないな。
「……行くわ」
「ミラ、別に無理をする必要はないんだぞ?」
「いいや、行くわ。そして姉さまに神官となった私の姿を見せて、過去と決別する」
「……そうか、分かった。じゃあそう伝えておこう。俺は一旦帰るから、準備ができ次第宮殿まで来てくれ」
俺はそう言って一旦大聖堂を離れ、自分自身の準備を行いに宮殿に戻る。
その頃ミラはもう一度女神像に祈ったあと、服装を神官の礼装に着替えていた。
姉が自分を見たらどうなるかと想像を巡らせつつ、彼女は荷造りを行う。
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