4 古代魔道具の調査①
「ふふふ……なぜこんなことになっているんでしょう」
ルシールは伯爵領の川の傍らで風に吹かれてつぶやいた。
ロジャーと婚約破棄するためには、パートランド伯爵家の河川に設置された古代魔道具についてまずは調べる必要がある。ただ、どこから手をつけてよいのかわからないので、父の許可を得て、古代魔道具研究室の教授に相談した。やはり、現物を見て、解読しないと、その価値や機能がわからないとのことだった。そこで、ルシールは、長期休暇を利用して、河川に取り付けられた古代魔道具を取り外しに来たのだ。
河川に取り付けられたという古代魔道具についての資料は残っていない。ただ、父が設置に立ち会っていたので、そのおぼろげな記憶を聞き取ったものをまとめた地図を片手に川下から見ていくことにした。
「しっかし、フィールドワークが似合いませんね」
ルシールの隣になぜかいるヘクターに話しかける。汚れてもいい服で、と事前に伝えていたにもかかわらず高級そうなスーツ姿で現れたため、父の着古した乗馬服に着替えてもらったのだ。やはり貴族然としたヘクターには似合っていない。
貴族は服も使い捨て感覚なのだろうが、ルシールの前世のもったいない精神がそれを許さなかった。あと、ヘクターの神々しい外見でピシッとした格好をして領地をうろうろしたら、領民が高貴な方が見えたと萎縮してしまうし、噂が広まる。できるだけ、ひっそりと調査したいので、ヘクターには着替えをお願いしたのだ。
「ヘクター先輩、わざわざ伯爵領での古代魔道具の取り外しにまで同行して下さって、ありがとうございます。先輩、卒業発表の古代魔道具や論文の作成もあって、忙しいですよね? それに、女性は苦手って聞いてますけど……」
「勧誘活動の一環だ。隣国の古代魔道具にも興味がある。あと、俺の卒業発表の諸々は前倒しで進んでいるから、大丈夫だ。それに、君は俺に興味はないだろう? だから、それに関しても大丈夫だ」
「そうですね。イケメンは面倒事を連れてくるので、こりごりです。だから、ヘクター先輩をそういった意味で煩わせることはないです」
「いけめん……?」
「格好いい人って事ですよ」
乗りかかった舟だから、となぜか今回の調査にヘクターが同行してくれることになった。事前に王都の伯爵家に挨拶にも来てくれた。古代魔術研究室や王宮の古代魔道具師の仕事についても説明していたから、それもルシールの勧誘活動の一環なのかもしれないが、心強い。逐一報告を入れると、父に電話のような音声通信のできる古代魔道具まで貸してくれた。
「ヘクター先輩、髪の毛、下ろしていて邪魔になりません? 今日は結ばないんですか?」
緑豊かな山並みと、涼やかに流れる川の景色に、ヘクターの水色の髪がたなびく姿は絵になっている。でも、肩甲骨まであるヘクターの髪はまとめないと作業の邪魔だろう。普段はゆるくリボンで一つにまとめているが、今日はなぜか下ろしている。
「いつも通りに結んだんだが、風が強くてほどけてしまうんだ。こういったことは苦手なんだよな……」
昔、侍女と色々あったそうで、ヘクターには侍女はついていないと聞いたことがある。身の回りのことはほとんど自分でしているそうだ。
「川沿いって風が強いんですよねー。んー、髪の毛を触っても大丈夫ですか? 大丈夫なら、私が結いますけど」
「かまわない。頼む」
「前世で髪の毛を結ぶゴムってあったんですけどね、伸縮する紐みたいなもので……。一人で髪を結ぶ時の難しさって、最後の結ぶ所ですよね。紐が伸縮すると、あらかじめ結び目が作れるので、留めやすいんですよ。ああ、この皮紐に穴の開いた石を通して、それに魔術式を刻んだら、髪ゴムになりそうですよねー」
ヘクターの髪をきつめの編みこみにしながら、緊張をごまかそうとなんとなく思いついたことを早口で話す。いつもより不格好になってしまったが、結び目を作れた。一人で結ぶ時にやはり、片手ではやりにくいだろう。
「はい、完成です。ヘクター先輩、髪サラサラですね。これはまとめるのが大変かも。ほどけてこないようにきつめに編んだんですけど、大丈夫ですか?」
ヘクターは振り向いて、目を大きく開けて、肩越しにルシールの顔を凝視している。
「ヘクター先輩?」
ルシールに前世の記憶がある事は、古代魔道具研究室の教授とヘクターには話してある。この世界でも前世の記憶があっても、王家に囲われるなどということはなく、前世の日本のように『前世の記憶あるんだ。へー(遠巻きに見る)』みたいなかんじなので、ルシールも人に話したことは特にない。ただ、おそらく古代魔道具を開発する時に、前世の記憶を元に作ることが多くなりそうなので、先に話しておいたのだ。だから、ヘクターは前世というキーワードに反応したのではないと思う。
「ルシール、皮紐はまだ持っているか?」
古代魔道具研究室では、貴族ではないために姓を持たない者もいるし、爵位に委縮しないようにと下の名前で呼ぶ風習らしい。それに倣って、ルシールはヘクターをヘクター先輩と呼ぶことになった。それには慣れたが、自分の名前を呼び捨てされると、まだ少しくすぐったい感じがする。そんな動揺を見せないように、予備の皮紐を取り出した。
「ありますよ」
「皮紐が伸び縮みすればいいのか?」
「ちょっとでいいんですけどね」
「このぐらいの可動範囲か?」
ルシールは予備の皮紐を取り出して、手で可動範囲を示す。
「やってみよう」
ヘクターはポケットから穴の開いた小石を取り出して、皮紐を小石の穴に通すと、皮紐の端を結んだ。きっと、どこでも古代魔道具が作れるように、石や鉱物を持ち歩いているのだろう。ヘクターは皮紐に通した小石を手で握り込んだ。
「魔術式が刻めた」
完成した物をルシールに手渡してくれる。
「すごーいすごーい! ヘクター先輩、天才!」
ルシールが恐々と皮紐の輪っかを左右に手で引っ張ると、固かった皮紐がみょんみょん伸びる。伸縮範囲も理想的だ。
「いや、ルシールの発想力も古代魔道具向きだ」
古代魔道具は始めの製作者に命名権があるそうなので、ルシールは『髪ゴム君』と名付けた。正確に言うと作ったのはヘクターなのだが、古代魔道具は発想が大事だからと、命名権をルシールに譲ってくれたのだ。ルシールの発想とヘクターの技術力で生まれた『髪ゴム君一号』は、ヘクターに進呈された。
古代魔道具を作るところを初めて見たことと、自分の発想が形になるのを見られたことで、河川の古代魔道具の調査という任務に重くなっていたルシールの気持ちが少し軽くなった。