3 婚約の条件の確認
「お父様、忙しい中お時間を作って下さり、ありがとうございます」
ルシールは久々に食事以外で父と向き合って座る事に緊張していた。
「そんな堅苦しくしなくていいよ。ルシールがしっかりしているのはわかっているけど、父親が可愛い娘のために時間を作るのは当たり前の事だよ。ほら、ルシールの好きなハチミツ入りの紅茶を用意してもらったから飲もう」
ルシールの対面に座る父は眉間を揉み解しながら、ルシールに紅茶を勧めてくれた。
ルシールは自分の手の中にある巾着をぎゅっと握りしめた。巾着の中には、ヘクターが貸してくれたロジャーの不貞行為を記録した水晶の玉が入っている。ルシールは、ロジャーの不貞行為の現場を見て、ヘクターから古代魔道具師に勧誘されて、帰宅してすぐに父に時間を作ってくれるように家令に伝えた。そして、家令がルシールが着替え終わるくらいの時間に迎えにきたのだ。父はいつだって、ルシールのために時間を割くことをいとわない。
おいしそうに紅茶を飲む父を眺める。あまり母親の事は覚えていないが、絵姿などで見る限り、ルシールは父親似のようだ。前世のアニメでしか出てこないようなパステルピンクの髪色が似合う男性がいるなんて信じられないが、年をとっても違和感なく父に似合っている。そして、娘の目から見ても年を重ねても格好いいと思う。
「今日はどうしたんだい? ルシールが時間が欲しいというなんて、なにか大事な話なんじゃないのかい?」
「今日、お時間を頂いたのは、ロジャーとの婚約の件です」
ルシールは、父の貴重な時間をもらっているので、帰りの馬車でまとめた考えを思い出しながら、できるだけ端的に用件を伝える。
「あぁ……。ロジャー君は相変わらずなのかい?」
とたんに父の眉間に深い皺が入る。父にとっても、ルシールにとってもロジャーの件は、頭の痛い問題なのだ。
「お父様、先に確認したいのですが、ロジャーとの婚約は隣の領で、両家が親しいから成立したのですか? 正式に書類なども作成されているのですか?」
ルシールは、領地が隣合っていて元々親交のあったゴールトン子爵家のロジャーの祖父が持ち込んだ婚約だと聞いている。ロジャーとは幼い頃から仲が良かったし、最近になってロジャーが伯爵家を継ぐのにふさわしくないと悩むまでは婚約に関して思う所はなかった。だから、経緯などは気にしたことがないので、知らない。
「ああ、そうか……婚約した時は幼かったからルシールは婚約の書類を見たことがなかったか……そうだね、ルシールにも知っておいてもらったほうがいいね。そろそろ、方向性を決めないといけないからね……」
父は書斎の奥の金庫から、古びた二枚の書類を取り出して、ルシールに渡してくれた。ルシールはその婚約の証書と、婚約にあたっての条件が書かれた紙を食い入るように読んだ。どうやら親同士が親しくてとか子ども同士の相性が良いからなどというふんわりとしたものではないようだ。口約束などでもなく、しかるべき機関にきちんと書類が提出されている。その内容を読んで、ルシールも険しい顔になる。
「すまない……ルシールへロジャー君との婚約話が持ち込まれた時、クラリッサを亡くした後に大雨による災害が起きていて、そんな条件を飲んでしまったんだ。そのせいで今、ルシールにいらない苦労をかけて本当にすまない……」
「これは……」
条件を見る限りこちらからの婚約破棄は難しく思える。ゴールトン子爵家がパートランド伯爵家の河川に無償で古代魔道具を設置する代わりに、この婚約が結ばれたようだ。ロジャーとの婚約、ひいては結婚が継続される限り、古代魔道具を回収したり、その代金を請求をすることはないと書かれている。つまり、婚約破棄したかったら、設置した古代魔道具の代金を支払い、古代魔道具を子爵家に返却しなければならない、ということだ。
「ロジャー君のお祖父さんは騎士の家系に生まれたのに、変わった人でね。商人になって国外とも積極的に交流して、手広く商売して、一代で財を築いた。なかなかのやり手な野心家でね……孫に二人男の子が生まれたから、どうしても一人は爵位が上の家に婿入りさせたかったようだよ」
「本人の適性や意思を無視してでも?」
「それが孫の幸せになると本気で思っていたんだろう」
ルシールはロジャーやその父親を思い出して、ため息をつく。ロジャーも父親も騎士の家系であることに誇りを持っていて、貴族としての爵位とかへのこだわりや野心は薄そうだ。
「うちの領地の河川に設置された古代魔道具とはどんな物なんですか?」
「ルシールは古代魔道具を知っているのかい?」
「ええ、今日、たまたま知ったところです」
「さすがルシールは博識だなぁ。詳しいことは僕もわからないのだけど、ロジャーのお祖父さんは隣国の古代魔道具を買い付けてこの国で売るということもしていたみたいでね。隣国の古代魔道具で、河川がある水位を超えると超えた分の水を吸収してくれるもののようだよ」
「は?」
文明の進んだ前世の記憶があるルシールも父の説明がにわかに信じられずに、淑女らしからぬ声が出る。
「僕も初めは信じられなかったんだけどね。クラリッサが亡くなった年に大雨で河川が氾濫してね。なんとか水が引いて落ち着いた後に声を掛けられたんだ。そりゃ、僕だって半信半疑だったよ。始めは隣の領のよしみで試しにつけてみないかと言われて、ダメ元でつけてみたんだ。そうしたら翌年もたまたま大雨があって、この目で確認したんだが、いくら雨が降っても川が溢れることはなかった」
「それはどの程度の耐用年数なんでしょうね? どんな原理で水を貯めているのかしら? どこかへ水を逃がしている? でも、その水量に限界が来たらどうなるんでしょう?」
ルシールは伯爵領の河川の大雨対策として、よく仕組みのわからない魔道具に頼っていることに、背筋がぞっとした。
「残念ながら、ロジャー君のお祖父さんは君達が婚約した後に亡くなっていて、ロジャー君の父親もお祖父さんの扱っていた古代魔道具の原理や使用方法はさっぱりわからないというし、書類の類も一切残っていなかったそうだ」
父は首を横に振って告げた。
「その古代魔道具を提供する代わりにこの婚約が結ばれた。この婚約を破棄するには設置した古代魔道具の代金を支払い、古代魔道具を子爵家に返却しなければならない、という理解でよろしいですか?」
「うん。そうなるね。ごめん、曖昧にしてはいけない問題だったね。すっかり河川の古代魔道具の事は頭から抜け落ちていたよ。婚約についてだけではなくて、ルシールが指摘してくれたように原理のわからない物に、大雨対策を頼っているというのもよくないね……」
「お父様には考えるべき問題が山ほどあるので、仕方ないです。………お父様」
ルシールは父の顔を見た。優しくルシールを見つめる澄んだ赤色の瞳を見て、全てを正直に話そうと腹を括った。
「なんだい?」
「ここまでの事をふまえて3つお話があります。
1つ目、ロジャーとの婚約を破棄する方向で動きたいです。お父様もご存じの通り、ロジャー本人は騎士志望で、次期伯爵当主となるためのマナー、勉学が一切身についていませんし、本人にやる気もありません。更には、婚約者のいる男爵令嬢と交際しているようです。
2つ目、ロジャーの不貞行為の証拠を収めた古代魔道具を貸していただくことを条件に、私に魔道具科の兼任、ひいては古代魔道具研究室への所属、ゆくゆくは王宮の古代魔道具師への打診が来ています。このお話を受けて、証拠集めだけではなく、婚約の条件となっている河川の古代魔道具について調べたいと思います。
3つ目、2つのお話と関連しますが、婚約の要である河川の古代魔道具を調査する許可を下さい」
話し終わるとルシールは静かに頭を下げた。
「ルシール、頭を上げてくれ。本来は僕が手配して、動かなければならないことだったんだ。ルシールが考えて動いてくれる事に感謝しかないよ。ルシールの話で気になるのは、ルシールの負荷が重いんじゃないかってことだけだよ」
「自分と伯爵家の将来がかかっているので、多少の負担は構いません。では、明日から早速動きたいと思いますので、お父様も諸々の連絡をお願いします」
婚約者の不貞の証拠を手に入れたので、後は婚約の条件を確認して、婚約破棄するだけだと思っていたルシールは思わぬ所で足止めを食った。しかも、婚約破棄の条件にも古代魔道具が絡んできている。それでも、一つずつ問題を片付けていくしかないのだ。ルシールは一つため息をつくと、引き続き、父親と話し合い、お互いがすべきことをすり合わせていった。