1 浮気の証拠の収集
「ミアの婚約者はひどいね。こんなにおいしいお菓子を作ってくれる婚約者を無下に扱うなんてさ」
「くすん。ロジャーってやさしいよね。私、彼に嫌われているの。政略結婚なんてそんなもんよね。私の婚約者がロジャーだったら、よかったのに」
騎士科と淑女科の間にある中庭の片隅のベンチで、ロジャーとミアがぴったりとくっついて座っている。ミアと呼ばれている少女が、ロジャーがクッキーを貰った男爵令嬢なのであろう。外見はなかなか可愛らしい。目を伏せていたミアは涙目でロジャーを下から見上げた。
「僕でよかったら、いくらでも受け取るよ。僕の婚約者も僕のことなんてなんとも思っていないんだ」
「将来の騎士様なのに、騎士科の鍛錬に差し入れにも見学にも一度も来ないんでしょう? ロジャーみたいに格好良くて、優しい婚約者がいるのに何が不満なのかしらね? ミアが代わりに聞いて来てあげようか?」
「そんな事しなくていいよ。彼女は表情も心も氷のように冷たいんだ。いつも忙しいの一点張りで。人間らしい温かさのない人なんだ。そんな人の所に行って、ミアが傷つくことはないよ」
ロジャーは小柄で可愛らしい雰囲気のミアを前にして、騎士をきどっているのか、ミアの手をとり手の甲にキスをおとす。
「ロジャー……」
「ミア……」
手の甲にキスされたミアは頬を赤らめてロジャーを見上げる。自然と二人の顔が近づき、キスをした。
『これは完全なクロか……』
ルシールは胸の内でつぶやいた。
目の前で繰り広げられる二人の芝居がかったやりとりに胸やけしてくる。まさか、淑女の鑑と言われるルシールが草むらから覗き見してるだなんて、思いもしないだろう。
思い立ったら即行動がモットーのルシールは翌日から動き出した。父親に直談判する前に、前世の記憶のあるルシールはロジャーの浮気がどの程度なのか把握するためにしばらくロジャーの素行を調査する事にした。二、三日は騎士科の授業後の鍛錬の行われる鍛錬場を見に行ったが、ロジャーの姿は見当たらなかった。方針を変えて、淑女科と騎士科の間にある中庭を捜索したところ、見事、二人を見つけられたのだ。
授業後の鍛錬の差し入れや見学には行かないのに、浮気の素行調査には時間を割くなんて、確かにロジャーの言うようにルシールは冷たい人間なのかもしれない。でも、ルシールだって、ロジャーが伯爵家の当主教育を受けたり、せめて勉強や仕事に励むルシールに寄り添ってくれたら、多少は顔を出しただろう。まぁ、今更こんなことを言っても仕方ないんだけど。
『あーあ、録音とか録画できる魔道具があればいいのに……』
ルシールは、前世ほど文明の進んでいない現状に歯ぎしりした。
それにしても、ロジャーは脇が甘すぎる。中庭の片隅とはいえ、通りすがりの淑女科や騎士科の生徒が人目も気にせずベタベタする二人をチラチラと見ている。自分に酔っていて周りが見えていないのかもしれない。しかも、クッキーをもらった数日後に、もう落とされてキスしているなんて……
ロジャーを甘やかしすぎたのかもしれない。騎士の家系で騎士に憧れるロジャーに伯爵家当主になってもらうことに、ルシールも引け目を感じている部分があった。ザラザラする違和感を初恋と罪悪感で綺麗にコーティングしてきた。だけど、もう無理みたい。
その時、トントンと肩を叩かれて、ルシールは驚いて声が出そうになった。恐る恐る叩かれた肩の後方を見ると、彫刻のように美しい男が無表情で佇んでいた。
すいっと無言で小さな無色透明の球体を差し出される。そこには、先ほどのロジャーとミアのやりとりが映っていた。しかも、静止画ではなく動画のようで、先ほどの光景がその小さな玉の中で再現されていた。男は、もう片方の手でその球体を指し示してから、付いて来いというように手を振った。
特徴的な水色の髪に深い青色の目、彫刻のように整った容姿、魔道具科のローブ、最終学年のタイ。ルシールは自分の脳内の貴族名鑑を検索した。
―――ヘクター・ウォルターズ
ウォルターズ侯爵家の四男。子沢山で多産の家系で、天才肌の者が多いことで有名。六人兄妹の末っ子で、魔道具科の有名人。成績優秀だけど、人嫌いで有名。容姿端麗で、特に女子には冷たいけど、学園内にファンがたくさんいる。
この状況であれば、ルシールを脅したいのだろうと思う所だが、彼がルシールを脅すメリットが一つも思いつかない。お金も権力も容姿も頭脳もルシールが彼に敵うものは何一つない。ルシールは大人しく彼の後に着いて行った。彼の持つ録画機能を持つ球体をなんとか譲ってほしいと思ったからだ。
『さて、どう交渉したら、この女嫌いのヘクター・ウォルターズに球体を譲ってもらえるかしらね?』
広い構内をすいすいと歩くヘクターの後について歩きながら、ルシールは頭を悩ませた。