表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/17

【閑話】クッキーはもういらない side ロジャー

 「お宅の奥さん、今度は舞台俳優にはまってるみたいですよぅ。これ、クッキー焼いたんですけど、いかがです? ちょっと作りすぎちゃって」

 仕事帰りに、街を歩いていると、同僚の妻に呼び止められる。下から媚びるように見上げられて、うんざりする。


 「いや、ダンナさんに誤解されても困るし、もらうことはできない」

 あの頃、ルシールに注意されてもなにがいけないのかわからなかったが、今になって身に染みる。騎士でこれなのだから、貴族ならなおさらだろう。それ以上、足止めされたくなくて、足取りを早める。


 ロジャーは自分の人生全てにうんざりしていた。

 それは全て若い頃、自分がしたことが自分に返ってきているだけだけど。


 ルシールとの婚約が白紙撤回されたことはショックだったが、そのせいで自分の未来が閉ざされるとは思っていなかった。


 だが、その影響は思っていたより大きかった。


 「君は近衛はおろか、王都付近での勤務を望むことはできない。騎士団や王宮の上部では、君のした不誠実な態度は知られている。騎士はなによりも信頼が大事だと習わなかったか? 信用できない者を懐に置くことはない。騎士団の試験でいくら優秀な成績を取っても、勤務地の希望は通らないと思っておいたほうがいい。おそらく勤務地は辺境の地になるだろう。それが嫌なら実家の領地へ戻り給え」


 卒業を前にした、騎士団の入団試験の面接で、そう告げられて目の前が真っ暗になった。それは、はじまりにすぎなかった。


 ルシールが婚約者であった時は群がるように寄って来ていた女の子達は婚約が白紙に戻ったとたん、誰も寄り付かなくなった。次期伯爵家当主になるかもしれない、近衛騎士になるかもしれない、そんな未来の肩書きに寄って来ていたのだと意地の悪い同級生が教えてくれた。


 唯一、クッキーをくれた男爵令嬢のミアだけがまとわりついている。ロジャーの婚約白紙撤回から、相手方から婚約破棄を言い渡されて、後がないようだ。ロジャーは、もう彼女を可愛いとは思えなくなった。どこかルシールと重ねていたけど、容姿も中身もなにもかもルシールに劣る。


 「君には感謝しているよ」

 なぜか、彼女の婚約者に感謝された。彼に惚れ込んだ男爵令嬢の家が金にもの言わせた婚約だったようで、ちやほやしない婚約者にしびれをきらして、色々な男に粉をかけているのを苦い想いで見ていたようだ。ルシールが証拠を固めたので、古代魔道具研究室と騎士団に間に入ってもらって、婚約破棄が叶ったらしい。


 「僕は小麦粉が食べられないんだ。体に痒みなどの不快な症状が出る。だからクッキーは食べられない。彼女には何度も説明したんだけどね。そういう人なんだよ、彼女は。代わりに受け取ってくれていたんだってね。ありがとう」


 その後はロジャーに婚約の話が来ることもなく、男爵家から責任を取れと迫られて、既に体の関係もあったこともあり、そのまま婚約し結婚した。


 ロジャーは騎士団の試験に通ったが、面接時の説明の通り、勤務地は辺境の地で、王都で挙式だけあげると辺境の地へ夫婦でとんだ。


 婚約者に振り向いてもらうためにはじめて、しだいにお互いに婚約者がいるという背徳感に駆られて盛り上がっていただけの二人は結婚する前から関係が冷めていた。


 「ただいま」

 こぢんまりとした家に帰ると、妻はこちらを見もせずに、チーズを片手にワインを飲んでいる。家は質素で飾り気もなく、必要最低限の物だけが置かれていて、新婚家庭にはとても見えない。


 ロジャーは鍋を火にかけると、服を着替えにいった。

 

 「王都にいたら、もっと色々な歌劇が見られたのに……もっと切り詰めたら王都にいけるかしら? お父様も結婚したら、一切援助してくれないしぃ」

 歌劇の冊子をパラパラとめくる妻を見やる。出会った頃はルシールには劣るけど可愛いと思ったのに、今はその面影もない。怠惰な生活が体に現れていて、体のあちこちに肉がつき、髪もパサパサで、ロジャーの前では繕う気もないのか化粧もしておらず、不摂生がたたって吹き出物もでている。


 妻の止まらない愚痴と欲望を聞きながら、毎日変わらない塩味のスープを啜り、固いパンを浸してかじる。自分のワインやチーズの銘柄にはこだわるのに、ロジャーのご飯のメニューは毎日変わらない。まぁ、用意されているだけマシなのかもしれないが。


 「あーあ、ロジャーとなんて結婚するんじゃなかった」

 

 相手に怒りを感じるのは少なからずなんらかの感情があるからだとロジャーは学んだ。もう彼女に何を言われてもなんの感情も浮かばない。自分達は愚かだった。ただそれだけの話だ。


 彼女は結婚できればよいとばかりに、辺境に来るまではおとなしくしていた。だがこちらでの生活に慣れると、その本性を徐々に現していった。


 騎士は怪我や遠征などがあることもあり、家族同士も仲が良く交流も盛んだ。だが、その交流の場で、まさか他の騎士にちょっかいをかけにいくとは思わなかった。何人かに言い寄り、そのたびに上司から注意され、最近、妻が騎士団内の風紀を乱しているため、このままでは首になると最終勧告を言い渡された。仕事を首になるかもしれないと聞いてやっと妻は騎士団での男アサリをやめた。今度は歌劇俳優にはまっているらしい。


 うんざりだった。愛せない上に、問題行動ばかり起こす妻が。

 でも、彼女はそういう人なのだ。自分に婚約者がいながら、婚約者のいる男にすりよって同情を誘う。自分がわかっていなかっただけなのだ。


 更に、ロジャーに同情してなのか、自分の結婚生活が不満なのか騎士団の妻でロジャーに色目を使ってくるものもでてきた。狭い街なので、帰宅時間にはそういった女によく絡まれる。


 食器を片付けて、自分用の安い葡萄酒を煽る。新聞に目を通すことだけが、ロジャーの密かな唯一の楽しみだ。古代魔道具師の発明のおかげで、新聞にも姿画が載るようになった。伯爵夫人であり、古代魔道具のみならず魔道具の開発もしているルシールはたまに絵姿が新聞に載る。ルシールの名前や絵姿を新聞で探すのが、ロジャーの楽しみなのだ。


 ロジャーは自分を過信していないから、ルシールの隣に自分が立てていたら、なんてことは考えない。きっと自分が努力して隣にいたとしても、ルシールがこんなに輝くことはなかっただろう。


 それでも、その輝く姿を追っているくらいいいだろう?


 この地についてから、妻が必要最低限以上の料理をすることはない。

 ロジャーは引っ越してから使われた形跡のないオーブンを見る。


 妻がクッキーを焼くことはもうない。

 ロジャーもクッキーはもういらない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ