13 突然の申し出
「ルシール!!」
後は大人同士で話し合いをするので、と先に部屋を退出させられたルシールをロジャーが追ってくる。
「こんなことで本当に僕とルシールは終わりになってしまうの?」
「こんな事?」
「たかが一回浮気したぐらいで……」
「だからね、浮気をしたことだけが問題じゃないって、まだわからないの? 浮気はきっかけにすぎないのよ。あなたが伯爵家を継ぐ意思を持たない事が問題なのよ。それに先代が強引に結んだ婚約の条件も満たさない。私にこの婚約を続けるメリットはあるのかしら?」
「メリットって……ルシールは僕の事が好きだろう? あいつの事は僕と同じで一時の気の迷いなんだろう?」
「ねぇ……あなたが私を好きだったのって、この外見なんでしょう? ピンクの可愛い色彩に可愛い顔立ち、小柄で出ているところは出ている体型。中身が気に食わないのは知ってるのよ。表情も心も氷のようなんでしょ? 残念だったわね。あの男爵令嬢みたいにふわふわで、なんでもあなたを肯定してくれる可愛い女じゃなくて。口うるさくて、表情が変わらなくて、物言いが冷たくて、頭が回る。そんなもの求めていないんでしょう? 伯爵家の事を抜いたとしても、外見だけを求められるなんてうんざりよ。確かにあなたは初恋の相手ではあるし、恋をしている時もあったわ。でも、今はそんな気持ちこれっぽっちもないから。お互い一緒にいてもいい事なんてないわよ。あなた好みの外見も中身も可愛くて、料理やお菓子を作るのが上手な騎士の奥さんになってくれそうな人を探しなさい」
ルシールの言う事が図星なのか、ロジャーはあんぐりと口を開いて何も言えずにいる。
「……それで、ルシールはあの男と婚約するのかよ?」
「バカじゃないの。元々、ヘクター先輩は私が魔道具科と領地運営科の両方に在籍して、ゆくゆくは王宮の古代魔道具師として働いてほしかったのよ。でも、ヘクター先輩は自分に好意を寄せる女性が嫌いだから、その話は立ち消えるでしょうね。婚約以前の話よ。私はこれから、もう一度、伯爵家に婿入りしてくれる人をお父様と探すだけよ」
「あいつがルシールに伯爵家と魔道具師の仕事の両立を求めるなら、伯爵家と騎士の妻の両立を求める僕と変わらないじゃないか!」
「確かに伯爵家の仕事と古代魔道具師の仕事の両立も大変でしょうね。でも、ヘクター先輩は求めるだけじゃなくて、ちゃんと伯爵家の仕事も把握して、両立するための道を一緒に考えてくれる人よ。もう、ロジャーとこれ以上、話すだけ無駄なの。これ以上、あなたを嫌いになりたくないの」
ルシールの話を聞かずに、ただ追いすがるロジャーに静かに告げると、ロジャーが肩を落とした。
「ルシールの事、本当に好きだったんだ……」
「ありがとう。でも、二度と話しかけないで。さようなら」
ぽつりと零れるようにつぶやくロジャーを一瞥すると、ルシールは踵を返した。
◇◇
「しつこい男だったな」
二階の窓から、ロジャーが馬車に乗るのを眺めていると、いつの間に現れたのか背後にヘクターが佇んでいた。
「先輩、いつも突然現れますね。びっくりするのでやめてください。父の話し合いに同席しなくていいんですか? 話し合い終わったんですか?」
「ああ、つつがなく、ね。あとは本人の許可を取るだけだ」
「許可? 古代魔道具師になる話はまだ有効なんですか? でも、先輩って自分に好意を寄せる女性は傍に置きたくないでしょう? ああ、違う部署とか会わずに済む方法があるんですね。大丈夫ですよ。お約束通り古代魔道具師を目指しますし、先輩には金輪際近づきません」
後ろに一歩後ずさって、ヘクターから距離を取りながら話す。あんな告白を公衆の面前でしたことが恥ずかしくて、ヘクターの顔が見られずにヘクターの服の飾りボタンを見て話す。
「な、ルシール。さっきのアレ、もう一回言って」
「さっきのアレ?」
「俺への熱い告白だよ」
「は? なんの罰ゲームですか?」
ルシールが涙目になって、ヘクターを見上げると、真剣な表情をしたヘクターと視線が合う。ヘクターはルシールが後ろに下がった分の距離を詰めてきて、後ずさっていたルシールの背が壁に当たる。しばらく無言のまま時が過ぎるが、ヘクターが引く様子はない。観念してルシールはため息をついた。
「ヘクター先輩が好きです」
ルシールは後ろ手に壁に手をついて、ヘクターをまっすぐに見て告げた。
「もう一回」
「好きです」
――なんなんだろう、この羞恥プレイは?
相変わらずヘクターの言う事は突拍子もない。でも、付き合わないと解放されないだろうこともわかっている。
「俺もルシールが好きだ」
「は? なんで? え? 意味がわからない。先輩、女性が嫌いですよね?」
「俺だって意味がわからない。女性は苦手だ。だけど、ルシールは好きだ。ルシール、君に今ある選択肢は二つだ。俺と婚約して、俺が伯爵家に婿入りするか、延々と婚約者探しをするか」
突然のヘクターの告白に戸惑うルシールの前に、ヘクターが跪く。小さな箱を取り出すとパカッと蓋を開ける。そこには指輪が鎮座していた。
「ルシール、結婚してください。これで、合っているか?」
「え? ええーーーー!!!!」
「ふっふっふっ。相変わらずおもしろいな。で、返事は?」
「……よ、喜んで……」
「それはイエスという事でいいのかな?」
ヘクターに下から覗き込まれて、コクリと頷くと、立ち上がったヘクターに抱きしめられる。ルシールはあまりの事態に頭がついていかなくて、抱きしめ返す事もできずにしばらく固まった。
「先輩がバグったのか……夢なのか……」
ヘクターに抱きしめられたまま、いつの間にか左手の薬指にはめられた指輪を掲げてみる。華奢な銀色の指輪はルシールの指にぴったりで、真ん中には深い青色をした石が付いている。
「俺がおかしくなったわけでも、夢でもない。俺だってルシールの事が好きだった。ただ、ルシールの気持ちもわからないし、このまま告げずに終わると思ってたんだ。ルシールの婚約がなくなったとしても、次の婚約者として俺が適任とも思えなかった。でも、ルシールの告白を聞いたら、いろいろ考えていた事や迷いが全部吹き飛んだんだ」
ヘクターの海のように深い青の瞳に見つめられると、ルシールの頭は沸騰しそうになる。
「女嫌いのイケメンのおもしれー女枠に入ってしまったのか……」
あまりの美しさにそれ以上見ていられずに目を逸らす。前世、読んでいたWeb小説でよくある設定を思い出す。女嫌いのイケメンに興味を示さずに面白い行動をするヒロインがヒーローの気を知らない内に惹いてしまう、よくある設定にルシールもスコーンと入ったのだろうか?
現実が受け入れられなくて頭の中をどうでもいい考えがぐるぐる回る。
「ルシールは確かに面白いし、予測がつかないけど、それだけじゃない。枠があるんじゃなくて、ルシールっていう人間が好きなだけだ。ごちゃごちゃと色々考えなくていいよ。前世の夫とか前の婚約者のことなんて思い出せないくらい、幸せにして上書きしていくから」
綺麗に整ったヘクターの顔がルシールに近づいて来て、ルシールは口をつぐんでそっと目を閉じた。ルシールの唇にヘクターの唇が重なった。
「急なことでゲンレの花は用意できなかったが、これから毎年、星祭りに一緒に行こう。毎年、ゲンレの花を贈るよ。ふふっ、真っ赤になったり、驚いたり、泣いたり忙しいな……」
「だって、ヘクター先輩とこれからも一緒にいられるって思ったら、嬉しくて……もう、色々嬉しくて、頭がパンクしそう」
ついに涙腺が崩壊したルシールの涙を、ヘクターはハンカチでぬぐってくれた。
ヘクターの申し出はいつも唐突だ。でも、その申し出はいつもルシールを最善へと導いてくれた。きっとこの申し出もルシールを幸せな未来へ連れて行ってくれるに違いない。そんな予感がした。